一枚の写真(祖父の写真)
一度も会ったことのない
祖父の写真がある
警察所長だった
俺は偉いと写っている
その写真は捨てるつもりだった
だが置いてあった
墓はあるが墓参りにも行かなかった
母は威張ってばかりいたという
警察をやめてから
機織り工場を経営して失敗した
それで一家離散にもなった
祖父なのに敬わないのか?
確かに不遜である
でも思うに祖父の人生は
ただこんなものだったのか?
もうその子もみんな死んだ
孫は残っているがちりぢりだ
実際に会った人は誰もいない
語る人も誰もいない
私は母から聞いたのは
いつも威張っているということだけ
その母も死んだ
もし祖父でも祖母でも
もっと語ることがあれば
その人生は意味があったのでは
いくら地位があっても今ははかない
捨てようとした祖父の写真が
まだ自分の家に置いてある
なにかわびしく悲しい
もう祖父について語る人はいない
・・・・・・・・・・
母の実家は複雑であった,父は警察所長をしていたが退職してから機織り工場を経営して失敗して一家離散のようになった,警察所長をしたくらいだからもともと経営の才がなくても成功すると思ったのだろう。
事業で失敗する人は何か甘い予測をして失敗しているのも多い
自分が優秀だからと奢りがあり失敗する,そして祖父について語られるのは母が言っていたのは威張っているだけだったということである。
なぜならそうして機織り工場で経営に失敗して母もまた辛酸をなめたからである。
つまりいくら肉親でもそうして子供がひどいめに合うと祖父母でも語ることすらしないのである。
現実にそういう人がいて墓参りすらしない人もいる,肉親でも父親でもしないのである。それだけひどいめにあった結果そうなっているのだ
だから死んでも子供が両親を思うということはあるとはならないのである。
血縁だからといって人間はそれがすべてではない
むしろ親でまともに生きない人は親とも見れなくなるのである。
いづれにしろ祖父にしても死んでから七〇年とかなる,そうなると会った人もこの世にはいない,誰か聞いた話になるが私の場合は母から聞いたが母は百歳で死んだのだから
あとは聞いたという人もいなくなる
するとどうなるのか?誰ももうその人について語らないということである。
自分でも会ったこともないから何か他人のようにその写真を見ているのである
ただ祖父の出自がわからないのが不思議である。
ここで生まれ育った人ではない,転勤してきた人だからである。
それは謎でありもうわからないのである。
人間は祖父母まではわかるがその上になるとまるでわからなくなる
ただ何か功績があれば残り語られる,それがないと全くわからなくなる
結局死んでから七〇年すぎると家族でも語られる人はまれだとなる
みんな忘れられるのである。それが無常の世だとなる
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