藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)
今日六号線を歩いていた人は亘理から歩いてきた,その人は大船渡の吉浜から歩いてきたのである。約500キロ歩いたという
その人は67歳である。この年でこれだけ歩くのは相当な体力がある
自分はこれだけ旅しても歩いた旅を経験していないのである。
だから歩く旅がどういうものかわからない,自転車ではしても歩くのはまた違っているからだ
ただ歩く旅は国道沿いを歩くからそこは歩く人が主役ではない,車が主役なのである。
それはどこでもそうだが特に国道はそうなる
どうしても遠くから来るとわかりやすい道を行くことになるから国道になる
そして国道沿いにはコンビニとかあり休める所があるからいい,それは昔の茶店になるからだ
まずほんとうき旅は未知の世界へ旅することだがそれは今ありえないのである。
自分は阿武隈高原を自転車で気ままに旅するときそうだった
どっちの未知を行こうかなと分かれ道を自由に選んで走っていたのである。
今日はこの旅人小島田から坂になっている所の脇道を案内して一緒にずっと歩いた
その人とは話ができた,何かそうしてかかわることを嫌がる人が多い
でもなんとかその人とは話ができて1キロくらい一緒に歩み話したのである。
その人は神戸の人であった
みちのくの旅は大船渡の吉浜からはじまっている,一日平均50キロは歩いている
500キロとすると10日間歩いたのかとなる
江戸時代でも約40、50キロ歩いたとなるからスピードとしてはそのくらい歩いたのかとなる,ただ今は道がいいからそのくらいは歩める
でもつくづく体力の差がある,その人の足を見たら太いのである。
その人はマラソンもやっていて日頃歩く旅をしているからできたという
継続していたからできたという,日頃していれば歩く旅もできるとういことかもしれないでも自分は50キロ自転車で走っただけでも相当に疲れる
自転車の旅だと途中で休むことができるし栄養もとることができるからつづけられる
登山はそれができないから苦しくなる
自分は旅してきたから旅する人に興味がある
でも車とかバイクはだめである。早すぎるからである。そういう人とは話もできなかった自転車の旅の人だと話ができるのである。
とにかくその人は自分は旅しているのではないが一キロを同伴した,そして藤の花がそちこに咲いている
その人はみちのくには桜が散って八重桜の時来て今は藤の花になった
それで芭蕉の句を思い出した
草臥れて宿かるころや藤の花
まさにこれだった,歩いているからこそこの句ができたのであり奥の細道でも歩いたからこそできたのである。だから本当は歩いて旅しないと芭蕉の奥の細道は鑑賞できないのである。
ただもう奥の細道を偲ぶ道はない,一つだけ白河の関所跡は当時の面影を残している
小暗い森を出ると白河の関所跡に出るからである
あとは国道になるからそうした面影を偲ぶものがなくなる
みちのくの旅路やあわれ桜散り八重桜のあと藤の花咲く
桜は散っていたが八重桜になり今は藤が盛りである。その季節の変化があったが10日間ではそれほど感じない,季節の変化を感じるには相当に長い旅をしないと無理である。
でも八重桜が咲き藤の花が咲くという変化があった
50キロ歩く旅人夏の鳥
歩ききて原町宿や藤の花
原町に草鞋をぬぐや藤の花
原町宿はあった,原町は宿場町でもあった,その絵も残っている
あるいた旅ならこうなるのである。車とかバイクとではこうはならないのである。
歩いてきて疲れて草鞋をぬぎ宿をとるところに人間的なものが生まれるのである。
人間が旅しているのであり車や電車でも何か機械が旅しているとはならないのである。
現代は便利になりすぎて旅も失われたのである。
草履をのぐというときいかにも歩いて旅したときの言葉なのである。
そこにはその当時だけにありえたものでありその言葉の意味をくみとれないのである。
一日歩いてやっと休める宿だなとなるからだ
迎える方もそうしうて歩いてきた人をもてなすのにはそれなりのもてなし方があるとなる車で来る人にはそうした苦労がないからもてなすにしても違うものになるのである。
だから現代には旅人はいないのである。それも淋しいことなのである。
その人は原町に泊まり神戸に帰る,いろいろな所をその人は歩いて旅している
それができるのもやはり体力があるからである。
自分は何か体力がなくなった,だから旅はしていない,遠くにも行かない,仙台にも一年行っていないのである。
介護十年していたときからそうなのである。
でもこれだけ旅したから旅人に興味があり旅をふりかえるのである。
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