夏菊、老鶯(初夏の俳句10句ー故郷の思い出の俳句)
原町の道の駅の公園
夏菊にホースに水やしぶきはぬ
夏菊や風にゆれにつ走るかな
夏菊やスーパーヒタチ走り去る
夏菊に風のそよぎて流る川
夏菊や幼児の声のひびきけり
老鶯や松原の影釣りの人
老鶯や木蔭に休み声を聞く
老鶯や住み着く人のなじむかな
無口なる畑に人や菖蒲咲く
素足にてクローバー踏む少女かな
花時計道の駅かな原町に
公園の大木の日影また休む
大岩に山芍薬や広き庭
籬より庭の見えるや青き花中に赤き花目立つ夏かな
急がずに風車の回る夏の日や津浪の後の景色変わりぬ
津浪後二本の木のなおここに離れじと立ちて夏の日暮れぬ
原町の道の駅の公園は子供も遊ぶし親も一緒に来るから活きている
でも公園は子供が二三人いるとか少ないし活気がない
公園は何か規制が多くて誰も利用しないとかの意見もある
あそこの公園は利用されているから活きている
道の駅でもあり外部の人もよるしいい場所なのである。
人間はやはりその場が活きるというとき人がいなと死んでいるとなる
道の駅とかは活気がある
素足で少女がクローバーの上を踏んでいるのも見ていて気持ちがいい
右田の松原はなくなったがその時のことを思い出す,松原の影に自分は休み釣りの人が必ずいたのである。今でも釣りしているがあの松原がなくなったから残念だとなる
ただもう思い出の中にしかそれがなくなった
それも不思議だとなる,変わって風車が回っているがあれは風で回るから自然の作用だから悪い感じはしない,ソーラーパネルは景観を乱す
風車も実際はあそこに森を作っても合わない,風車が大きいからである。
とにかくこれだけ風景が変わることが信じられないとなる
スーパーヒタチが走っていたときもあった,もう走らないというのも残念である。
河岸の復興住宅に住む人もなじんでゆくのか?老鶯が鳴いている
河岸の道はいい道である。桜が咲き葉桜になり今は日影となり涼しい、老鶯が鳴いている山シャクヤクが咲いていた庭があった,あそこの家の庭の岩は見物である。
自分は庭を見て回っている,青い花が咲いている庭を籬からとった
それに加工して絵のようにする,今は絵の才能無くても絵のようにできる
まず写真の時代は写真と絵を出さないと芸術にならないのである。
その面ではパソンコとかインターネットで即座に出せるから便利である。
日々の変化を写真に出せることがプログの強みなのである。
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