2018年06月06日

NHKのフェイクニュースの技(武田邦彦)に同感 (マスコミの報道は一方的洗脳報道)


NHKのフェイクニュースの技(武田邦彦)に同感

(マスコミの報道は一方的洗脳報道)


週刊東洋経済%202018年5月26日号

武田邦彦氏の見識には敬服する,共感することも多い,
その見識はどこから来ているのか?
科学者として技術者として指導的な立場で現実に働いてきたことである。
自分などは底辺でしか働かないからそうした上層部のこと指導的立場にある人のことがわかならい,だからそうして上層部が指導的立場にある地位と権力をもつ人たちと現実に接しているから具体的でわかりやすいのである。
人間社会はまず底辺層とばかり接していてもわからない,上層部と指導的立場にある人と接すれば社会がどうなっているのかと具体的にわかるだろう

例えばマスコミというときこれも現代では大きな権力であり社会を左右するものなのである。だからこそマスコミについて批判は常にある
でも批判しようにも一般人は報道できないのだから報道する権利はマスコミにしかなかったのだから不満があっても何も言えなかったのである。
インターネットが生まれて普及するとマスコミが批判されるようになったのである。
その力は弱くてもそうなったことは民主主義を発展させるのには良かった
何か自分が公に発言するということを経験していないからである。
たいして影響力がないのにこうして発言することで主体的なものとして積極的に社会に参加するものとして自覚できるのである。

マスコミの影響がどれだけ大きいのか?
それは戦前でも新聞の影響が大きく朝日新聞が戦争をあおり推進させたということをしきりに言うとそうなのかなと思う
マスコミは左であり左系統の発言に洗脳されることが多かった
インターネットは逆に右に偏っているがそれは今まで右は発言を封じられた反動としてそうなっている
報道することはそれも何百万人とかに報道することはできることは大きな権力である。
それによって判断が決められるからである。
戦争中なら朝日新聞が戦争をあおれば国民も同調するのである。
それは今でも安倍政権を森友学園で執拗に批判しているのもそうである。
マスコミというときどの局も常に同じことを追及している
別なことを追及してもいいはずだがどこの局でも一色になるのもおかしいのである。

報道は明らかに大きな権力である。だからこそ権力をもっているからこそ利権と結びつきそれで利益を得る
原発事故を起きた時,中国に東電からマスコミの幹部が招待されているときだったのである。朝日新聞の幹部も招待されていたのである。
全部のマスコミが招待されていたのである。
「安全神話」は日本の神がかりの戦争はこうして政府とマスコミなど一体化して作られたものだったのである。
そして3百万人が死んだのである。朝日新聞は戦争に負けたら今度はそうして戦争に加担していたのに一転して批判する立場になったのである。

武田邦彦氏がNHKを批判するときNHKは公平に見えるがそこに巧妙な操作があるというのには同感である。
この辺で原発事故の避難者が大量に仮設に住んだ,その時前にも書いてきたが飯館村の人が相馬市のトマト農家に雇ってくれと言ったが断られたと放送した
その時知らない人は何なんだ,その農家は冷たいなと暗黙に批判させていたのである。
もちろん飯館村の人にも言い分はある,それは否定できないががトマト農家にも言い分があったのである。
相馬市で松川浦など津浪の被害が大きかった,相馬市では原発の補償金はもらっていないすると津浪の被害者の方が生活に困る人がいたからそうしただけなのである。
原発避難者は多額の補償金をもらっていたからである。
そうして原発避難者もかわいそうだと常に外からボランティアが来て励ましていたのである。その中には津浪被害者もいたのである。

何か人間の問題はもめごとでも双方の言い分を聞かないと本当のことはわからない
それで失敗したのが親戚の人で母と娘が争っていたとき母が悪いとばかり思っていた
そういうつきあい方を自分の家でもしていたからだ
ところが実は娘がとんでもない悪い人だったのである。
それも双方の言い分を聞かないし先入観がありそうなって誤解して判断を誤っていたのである。
だから何でも争いには双方の言い分があり裁判のように双方の主張を聞くべきなのであるところがマスコミの報道は常に一方的洗脳なのである。
そこで反論などは全く許されないのである。インターネットがでてその批判が出るようになったのはそのためである。
マスコミは自分たちの都合のいいように国民を洗脳する権力機関だったのである。

福島民報でも福島民友でも同じである。
地域の新聞だからマスコミでないと思っているがそうではない,福島県でも広いからである。そして福島民報は出資が県で半分出している
そうしたらとても原発でも反対することはできない,批判できないしほとんどその危険性も事実も報道していないのである。
プルサーマールについて危険について報道したとしても原発そのものについての危険性は報道しなかったのである。
プルサーマルについて佐藤栄佐久前知事が失脚したのもそのためだったともされる
東電については「財界福島」でも最初原発を批判していても二三回で全くやめた
それは東電から金が入ったからだとも言われる
福島県で東電を批判することはなかったのである。権力の圧力でできなかったのである。10メートル以上の津浪を来ると東電の科学者たちは想定していたのである。
その報道すらなかったとように思う
もしそのことを大々的に報道していたら津浪に警戒して今回のような大惨事にならなかったかもしれない,そしたら東電は地元に感謝されるようになっていたろう。
だから何か重大なことを知らせる役目が報道にある
でも知らされなければ知り得ようがないのだから危険も感じないとなるからだ

ともかく人間社会はなんでも権力によって利権によって利益優先でゆがめられてしまうのである。それはあらゆるところでそうなる
そもそも東電でも一時は高い場所に原発を建てたのに電源の設置などでコストがかかるとわざわさ高くしたのを削って低くしたのが最大の失敗だったからである。
それもコストのためだったのである。
安全を追及すると金がかかるためだったのである。

ともかく武田氏も指摘にするように利権と結びついてゆがめられる,NHKでも天下り先を確保するために老人の交通事故を大々的にとりあげて老人の運転を減らそうとしている
でも実際は交通事故が多いのは若者だとういうこと女性が多いということは言わない
交通事故は毎日のように起きている,免許をとりあげるなら若い人だとなる
若い人の保険金が高いというのもそうである。それだけ事故が起きる確率が高いからである。
そのことを知っていて公平に報道しない,そして老人が悪いから免許をとりあげるべきだという世論を形成させる,それはもともと老人が目障りでありそういう風潮があるからNHKでもそうしているとなる
だからフェクニュースだとしている

いづれにしろ利権と結びつくとき報道はゆがめられる,伝えるべきものも伝えられないのである。
東電から800億とかの金を報道機関に流していたらもう悪いことは報道できないのである

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週刊東洋経済%202018年5月26日号

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医療関係でも朝日新聞がかかわっていた,こうして利権と結びつき利益を得る
そこで公平な報道はできなくなる,ただ金儲けのために報道があるとだけなる
だから報道の中立性には公平性には利権と結びつかないことだがどうしても報道には金がかかるので今まではできなかったのである。
インターネットで多少その弊害をなくすことはできるようになった
別に今はマスコミに接しなくてもインターネットで報道でも間に合わせることができるからである。それでもう新聞がなくなるとかテレビも見なくなるとなってきたのである。

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