2018年06月08日

下北高平の広い土地の家が壊されていた (その人にその辺のことを聞いてみた-7代目であった)


下北高平の広い土地の家が壊されていた

(その人にその辺のことを聞いてみた-7代目であった)

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高平の五輪塔
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ここは藤の花がきれいな家

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この家が壊された 端にその壊された木材が積まれている

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こういう地形から名付けられた地名なのか?



今日いつも通る原町の下高平の広い庭に藤棚がある家が壊されてのに驚いた
なんだろとう思い見たら誰か木を切ってかたづけている
そこは畑になっていてその家の土地だったのである。
それで聞いてみるとシロアリにやられて新しく家を建てるという
壊した家自体は古くない,20年とか言っていた

それでそこの家の人に聞いてみた,前にもその人とは会ったことがある

「新田川のそばに古い墓地があるんですよ,立派な大きな五輪塔があるんです
この辺は西殿といって浜の方の人に聞いたら西殿をニシドンと言っていました
この辺ではニシドンと言っていますか?」
「にしどの,ああにしどん」

何かこう言ったからやはりこの辺で西殿をニシドンといっていたのである。

「この家は古いですか」
「7代目だよ」
「じゃ江戸時代からつづいている」
「この辺の農家はあそこの家で4町でありこっちは7町とかだよ」
「広いな,やっぱりここは古い所なんだ」

近くに金沢の所に墓地がありそこに越中からなどの移民の墓誌がある
でもあそこの墓地はもともとあそこになかった,移動したという
移民の人も高平に入ってきた

「草履をぬいだ話を聞きました」
「それはいつですか」
「戦前のことだったな」
「それでは江戸時代ではない」

何か戦前でも土地を求めて古い農家で働いた人がいたのだろう

「この辺で槍をもっている人がいたよ,そこは古いよ」
「名前は」
「脇本だよ」
「その人は野馬追いに出ていますか」
「・・・・・」

それから村八分のことを語った

「それからこの辺で村八分にされた人知っているよ」
「どうしてされたの」
「その人は変り者で土橋を渡るとき誤って転げて死んだよ」

村八分など聞いたことがないが何かそういうことは村にあった
そういう話は日本の村には良くあったのかもしれない
ともかく狭い土地でいつも暮らしているから何かうまくいかないと出て行くわけにもいかないからそうなったのである

こんな話になったがその家は7代とするとそれなりに古い,確実に江戸時代にさかのぼる
とにかく蔵がありその脇も広い畑なのだから古い土地持ちの農家だったのである。
海からの風通しもいいし気持ちいい場所なのである。
あそこはいつも通っていたからあの家はずっと気になっていたのである。

そもそも高平(たかひら)の地名の由来は何なのか?
タカタイラともありタイラとヒラは違う,ヒラは傾斜地を意味しているという
ヒラはアイヌ語説になればアイヌ語由来なのか?
北海道には高平の姓が一番多い
ヒラタイというときヒラは傾斜地でありタイは平地になる
ヒラタイとういうのは一体として使われた言葉なのである。
日本には山が多いから傾斜地が多いからそういう地形が多いのである。
それで野とは傾斜地の意味だったのである。
すると高平とは傾斜地がありタイラな地形になる
傾斜地とする金沢辺りから傾斜地になっているからそこから地形として名付けられた

なぜそうなったのか?

それはまず原始時代から自然をみるとそこも湿地帯だから高い所からその地形を見て名付けられた、どうしても傾斜地とすると金沢の方の高台の方から見た地形なのかとなる
高平地区はとにかく桜井古墳も近くにあり泉かんが跡もあり古い地域なのである。
原町の歴史地区なのである。
それが具体的にわかりやすいのはあの五輪塔なのである。
あれは南北朝時代のものであり相馬氏が入り西殿となづけられた
あの辺ではニシドンと言っていたのである。

前にもあの辺りだと新田川の橋を渡ったところにも古い家があった
六号線かあってもあそこはもともと農家があった田んぼと畑だったのである。
そこで古い馬頭観音が畑にあったのでそのの由来を聞いた
そしたら火事があって馬が焼けたということで供養したのだと聞いた
あそこの家は升形の紋が蔵にあり古い家である
ただ脇本という姓の人は野馬追いには出ていない
そこがどうして古い家なのかは不明である。

つまり高平一帯で三軒から自分は直接話を聞いたのである。
するとバズルのようにその地域の歴史を編むようにつなぎあわせることができる
ただそれもこの辺では鎌倉時代から南北朝頃からでありその前は歴史的に残っていても何か具体性に欠けるのである。

いづれにしろ郷土史はこうして直接その土地の人に聞かないと具体的にイメージできないのである。
そうして聞く機会がなかなかない,たまたま家が壊されていたので驚いて聞いてみたからできたのである。

posted by 天華 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代
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