和歌山ドンファン事件(2)
(家政婦は家族の一員となり犯罪にもからむ)
推理ドラマでは常に家政婦が疑われるし犯罪でもからむ,それはなぜなのか?
その家のことを家族のように知るからである。
家族の一員のようにさえなる,実際にそうなって人もいる
有名な俳優の家で家政婦になった若い女性はその家の家族の一員のようになっていた
愛されていたのである。ところが夫婦に子供できたら愛されなくなったと子供を殺した事件があった
この事件がまさに家政婦がどういうものになるか象徴しているのである。
家政婦とかはその家の事情に深くからむことになる特殊な仕事だと思う
コンビニとか会社につとめればただ時給いくらだとか払って終わりでありこうしたことは起きない
家政婦はその家と深い関係になり家族のようにもなる
するとどうなるのか?犯罪があれば犯罪に必ずからむものとなるしそう見られるのである
だから和歌山ドンファン事件でも家政婦が一番しゃしゃりでていのことでもわかる
家政婦と妻がいて同格にすらなっているのだ
妻が月に小遣い百万もらっていたというときそれが不満で一万五千円にしてくれと頼んだというときもそうである。家族のようになっているときその差があまりにも大きいからである。金を貸してくれとかくれとかも平気で家政婦が言うこともあるし経験している
そして親戚がきて金をやったときそれを見ているから不満になるのだ
それは家政婦はまるで家族の一員のような立場になるからだ
まして二十年間もつきあいがある家政婦となっていたら余計にそうなのである。
だから妻が百万で自分は一万なのかという不満が大きかったことはわかる
そんなことは会社ではありえないが家に入る家政婦には起きてくる
実際だから家政婦雇うほどやっかいなことはないから普通の人は雇うべきではない
ヨーロッパの貴族とかなるとそういう社会であり伝統があるから執事とかは地位があり社会にも認められているのである。
チップとかが生まれたのもおそらくそうした貴族に雇われる家政婦とか使用人がいてそうなった,それは家族のようにもなるからそうなったのである。
日本でも武家では使用人を雇うがそれも時代劇では家族のようになることがある
そういう身分制社会があって成り立っていたのである。
日本でも家事が電化製品がないとき大きな労働となっていた
中産階級ですら二人の女中を雇っていたというからそれだけ家事が手間だったのである。選択から食事の用意するのが手間だったのである。
ゴシゴシ洗濯板で洗っていたり竈で薪をくべてご飯を炊いたりしているたらそれだけで時間がかかる、だから女中という仕事が普通にあった
自分の母親も東京で女中していたのである。
こういうときは家に普通に入ってくるから危険だとなるがやはりヨーロッパのようにそういう社会だからこそ成り立っていたのである。
現代となると家事は本当に楽になった,一人暮らしでもあらゆるものが備わっているので困らないのである。自分のようなルーズな人間でもできる
問題はどういうものが売っていて買うかである
それが意外とわからないのである。品物の数も多いからわからないのである。
今でもわからない,冷凍食品が腐らないからいいと今になって利用している
他にも何を買うかが問題なのである。
外食もすれば食事でも困らない,都会だったら外食をうまく利用すればさらに楽である。
今でも家政婦を雇う人はいるがそれは特殊であり大金持ちの家になるだろう
そういう家でないと今は家政婦は雇いないと思う
家政婦を雇うのはそれだけ贅沢なものになったのである。
例えば本当の大金持ちは介護でも専用の看護師を雇っているという
それだけの贅沢できるのはもう日本ではわずかの大金持ちしかないだろう
だから普通の人はもう家に入ってくる家政婦などでもどう扱っていいかもわからない
戦前のように女中として雇うことが普通の時代だったらいいのである。
今はこうして家政婦というのはなじみがないのだ
みんな電化製品で家事をしているからだ
このように常に社会は変わる,だから対応がむずかしいのである。
それは家政婦になる人の心構えでもそうである。戦前のように社会に女中が普通にあるときは雇う方も雇われる方も心得ているし中産階級でも二人も雇うということは別に大金持ちだから雇っていたのではないからだ
そうしないと成り立たない社会だったからそうなっていたのである。
犯罪があったとしても少なかったことは確かである。
それだけの人が女中となっていた時代だから犯罪が多くてもいいはずであるからだ
いづれにしろ家政婦はその家のカルマにもかかわる,どこの家でも癖があるというときカルマをもっているからである。
和歌山ドンファン事件でもカルマが如実にあった,するとそのカルマの故に犯罪が起きて回りに及んでくる,最も愛していた犬が死んだのも毒殺だとか言う時そうである。
その家の主のカルマによって犬が苦しみ死んだとなる
犬にはなんの咎(とが)がなくてもその主人のカルマによってそうした無惨な死に方になった,だからカルマというのは恐ろしいのである。
主人も自分が罪深いから業が深いから愛犬まで苦しめて死にいたらせたと反省すべきだったのである。その前に自分も死んだとなる
ともかくカルマはその回りの人に及んでくるから怖いのである。
何の罪もない動物でも人でも苦しむ,それは戦争で馬が戦場を狂気のように走っている
『戦火の馬』という映画でもそうだった,人間の身勝手な戦争で馬も苦しんだのである。原発事故でも飯館村などは原発から四十キロとか離れているから関係ないと思っていたのである。でも被害が一番大きかった
飯館村はまでいなせいかつとか素朴な村として森につつまれてある村だった
それが一番被害が大きかったのである。
つまり人間のカルマにより業により罪により何の罪もないものが自然でも動物でも苦しめられるのだ,そこに人間の業の怖さがある
夫婦でも無邪気な子供がいても争いになり離婚だとか家族のもめごとで苦しむのである。
家政婦はよほど信頼がないと家には受け入れられないだろう
和歌山ドンファン事件の家政婦は二十年来の付き合いだというときまた違っていたのか?
ただ金銭的に不満があったように何か積年の恨みとなっていたのか?
それはわからないにしても家政婦が一番しゃしゃりでていることでもいかに家政婦が家とかかわるかを示している
その家のカルマも受けるし一体化するのである。
いい方に向かえば家族の一員となるのだから愛されるのだからいいとなる
反面家族の一員となるとなぜ妻が百万で自分は一万円なのかという不満が出て当然なのである。そこに配慮するものがないと危険になる
盗むことも簡単にできる,事情を知っているからできるのだ
そういうことを自分も経験している,その家と深くかかわる仕事なのである。
そういう仕事は何か人間的であり今の社会では会社勤めとかでは経験できないものである自分も経験しているし家政婦ではないがそういう人が一時間であれ皿二三枚洗うにしろきているとなるとそうである。
ただその女性は家政婦とは言えない,三日に一回くらいきてそれが仕事なのかとなるからだ,でも現実に家族のようになり家族のように要求しているのである。
タグ:家政婦の危険
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