2018年06月28日

人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ! (相馬市は中村でありその由来は)


人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ!

(相馬市は中村でありその由来は)

nakamuraaa1112.jpg

muranona11.jpg

このNHKの番組は面白かった、ドラマ仕立て姓の由来を追求していた
方角地名は一番多い,だから地名を見るとき方角からみる
でも方角でも東西南北があってもどこが中心か問題になる
中村は最初に人が住んだ古い村だから中心になる

相馬市は中村からはじまった、中村という地名が起こりであり中村市だったし中村城になっていた、相馬市と名付けられたのはまだ新しいのである。
中村という方になじみがある人はもう老人だとなってしまった

中村というのが駅前にあり城の側にも中村とある,これは何なのか?
中村が移動したものなのか?中村の発祥の地ではない、
なぜなら中村の城は中村という地名がある所に後から作られたからだ
だから相馬市は中村から生まれて城が作られた、中村は古いのである。

つまり何でも新旧がありそこから郷土史でも歴史でも見ることが基本なのである。
つまりこの城の側の中村は新中村なのかもしれない、中村の人達が城ができて移り住んだのである。何か城下町として城の側だから仕える仕事があってそうなったのかもしれない古町とか新町がありこれは狭い範囲でそうなる、鹿島区でも新築の家が何百軒と建ったから新町ができたとなる
ただこの見方は違っていた、中村という村の領域が城の近くまであったともなる
田町というとき城ができてそこが町になった、田町は新しいともなる、城ができた後に名付けられたからだ
やはりこれは中村という領域にあり中村はそれだけ広かったとなる

そして面白かったのは村は中村から開墾して広がっていった、分家していった
その時竹村とあるとき竹が生い茂っていてそこを開墾して住んだ
そして竹細工を作り売る村になった、他に樫の木があり樫村になったというときその樫は鍬に固いから使用されていた、つまりその木を鍬にして売る村があっとなる
栗村だったら栗を作り売り梅村だったら梅を作り売りとか様々なものを栽培して生活するそれは農村もただ米を田んぼを作るだけではない多様なものを作るうよになった
それは農村が分業化したことなのである。
百姓というとき百の姓があるということはそれだけの分業が起こりそうなった
分業というとき工業のことを考えるがそうてはなかった,村には多様な職業が生まれたのである。

木村が紀伊の国からきているというのも面白い、木のある村ではない、紀伊の国は古代に有力氏族だったからである。紀伊とは和歌山県でありその人たちが全国に散らばり木村となった、現実に紀伊国に年貢などを収めていたからである。
紀伊というとき和歌山県というとき熊野で有名であり熊野神社が多いのはそのためであるいたるところに熊野神社があり鈴木という姓は熊野から和歌山県から由来しているのである。

毛野国は古代で大きな国であり今の栃木県とかで大きな領域をしめていた
南相馬市の鹿島区の浮田は浮田国造(うきたくにのみやっこ)があり一番古い
それも紀伊国に由来しているともなる、ただ木村のすべてが紀伊国とはならないだろう。ただ古代だけではないクジラがとることで太地とか有名だけどそうした漁民もその後東北に移動しているからだ,漁をする技術を伝えているからだ
万葉集に真熊野の船を歌ったものがあり木が豊富だから船作りを古代からしていたのである。

島隠り 我が漕ぎ来れば 羨しかも 大和へ上る ま熊野の 船 

こういう番組の作り方はいい、ドラマ仕立てでできるのがNHKとかの強みなのである。
ただ番組は今や無数に作れる、テレビ番組すらyoutubeで作れる
そして番組の作り方は一つではない、無数にある、その説明の仕方も無数にある
説明の仕方で新たな視点を得ることもできる
だから現代は情報化社会なのである。
まずNHKで番組を作ったからといってただ見ているだけだった
今や批判もできるしその説明も即座にしているからだ
もう番組作りに参加しているのである。共同制作になっているのがインタ−ネットである新聞とかテレビだけが番組を作る時代は終わったのである。

posted by 老鶯 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/183668027
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック