藪甘草(土着的な花)
夏菊のあふれ咲く家よそおいぬ
紫陽花や笑みのこぼれる七色に
夕ぐれや雨ぬれ赤し藪甘草
草深く雨ぬれ赤し藪甘草
田舎なれ田畑をもちて藪甘草
根を張る木藪甘草や田舎かな
のうぜんのあまた咲きしも嵐来て朝風吹きあれ飛び散りにけり
昨日ある人も骨となりにけり隣なる女にしあれば心残りぬ
向かい住む旧知の女(ひと)の死ににけり何か言わむと言わず死ににき
言い残す言しありなむ死ぬ時にその重みの後に残りぬ
この辺は雨は少雨であり今日も少し降ってもすぐやんだ、それで散歩に出た
藪甘草は田舎的な土着的な花だとつくづく見る、それが夕べに雨にぬれて特にそう見えた
この花はもともと田舎の農家で土着的に生活していればよりそう感じた
今は農家といってもみんな会社員だからである。
村といっても別にみんて農家ではないのである。その辺の感覚は昔とは相当違う
田畑を別に持っていない人もいるしみんな農業しているわけではないからだ
ただこの花はそうして暮らしていた農村にふさわしい花と見る
何かどっしりとして土着して生活する,母親のようて感じに見える
この花に泥臭いが何かあったかいものを感じる
俳句はこうして鑑賞することが自体がむずかしい、だから俳句は鑑賞する方が試される
写生俳句が基本でもその意をくみとることがむずかしいからである。
写生俳句の場合,それを深くよみとらないと何がいいのか皆目わからないとなるからだ
向かい子供から知っている女性が死んだ、そのことがなぜ気にかかったかというと一週間前に外にでていた
その時話しかけようと自分はしていた、ただ元気になったから外に出てきて歩いているのかと思った
そのことで心残りになった、何かこの年になると死ぬ人が多くなる
あの人も死んだのかあの人もかとなる、そしてどんな人でも最後に何かを言い残したいものがある
それが重いものとして残る、それは普通の平凡な人でもそうである
認知症の人でも最後に正気にもどる、何もわからなくなったと思っていたらわかっていたとなると怖いものとなる
あなたが私に冷たくしたのを知っている、わかっているとなると怖いのである。
最後に「ひどい娘だわ」と言って死んだ女性を知っている、本当にひどい娘だったのである
あんな人になるとは想像もできなっかた、いろいろそこにはあってもその無念の声を自分に残して帰らぬ人となったのである。
もちろんその人とはうまくいかない仲だったけどそれにしても娘にしても血がつながらないにしても長い間その女性とは一緒に暮らして家族だったのだからひどいと思う
だから最後に言い残す言葉は重いものとなる、なぜならもう死んだら語ることもないからである
最後に交わす言葉となるけど何かそういうことがこの年になると多くなるなと思った
最後に話して死んでゆくようになる、家族でもそうである。そして永遠にもう話すことも聞くこともなくなるのである。
つつり「ひどい娘だわ」ということは最後に自分に言い残されたのだがそれが娘にも呪いのようにふりかかるかもしれない、
だから最後の言葉は重いものとなるから怖いとなるのだ
認知症の人でもそういうことがあるから馬鹿になったから何もわからないとして対処はできないむずかしさがあったのである。
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