原町の菊池ス−パ−の回りの豪邸は船主
(庭だけで1千万以上かかっている?)
菊池ス−パ−の回りの立派な家は庭が広くそこに置かれた石が大きい
だから石が好きだから自分は感心していつも見ていた
でも今日その家が船主の家であることが分かった
車を見たらその中に・・・丸とか書いてあったからだ
これは船の名前だからである。
それでなるほどこれだけの庭と家を作れるのだなと納得した
この辺では新築の家が次から次と建った、そしてそこはニュータウンとなった
その家を見ていると2500万タイプの建売住宅と5000万クラスに見えるもものがある
でも庭だけであそこう見たら二三千万かもしれない、石が意外と高いからである
一千万は軽く越えているだろう
ただ鹿島区にはあれだたけ立派な庭はない,それなりの家はあるが庭にはあんな大きな石はない、ただそこでも船主の家がある、それはやはり車で・・・・丸と書いたものがあったからだ、ただニュータウンには鹿島区の人が建てた人もいるがどうも外部から来た人たちが建てたらしい、磯部の人が建てたは聞いた、どういう人が住んでいるのかわからないのだ、他にも小高とか浪江でも双葉とかでも建てているかもしれない
補償金を一億とか軽くもらっている人がいるからだ
だからあれだけの庭を作れるとやはり船主だったのだと納得した
とにかく船主とか漁業権の問題は法律的にどうなっているのか疑問である
なにかそこを追求していない、なぜ漁業権を東電に売り渡すことができたのか?
そして事故前も多額の補償金をもらえたのかというのも納得いかないのである。
それで原発御殿が建ち回りからうらましがられていて不満があった
それは何か漁業権というのが本来の権利ではない、東電に売るための漁業組合の利権化していたのである。
そしてそもそも漁業権は資源の保護とかのための権利であり法である
東電に売り渡して多額の補償金を得るためのものではなかった
なぜそんな権利があったのかということ行使できたのかも納得いかないのである
原発は漁業権を得ることと原発を建てる土地を確保するだけで知事の許可で建てられたというのも信じられないとなる
なぜこういうようになったかというと事故が起きてそうなった、事故が起きなければとやかくあまり言わないしわからなかったのである。
ここに全く民主主義が機能していなかったのである。
原発を建てるとき漁業権が漁業組合とか船主のものでなければ自治体のものだったらそれは自治体に属する人たちの賛同が必要になる
議会でも議論することが必要になる、そこには賛否両論があるがともかく議論は議会でする、そして最後は市長選となり原発賛成と反対の政策を主張して決着する
その手続きを踏むことが民主主義なのである。
それがないことは民主主義が全く機能していなかったのである
ただ漁業組合の漁業権が自治体と別に設定されていて自治体から認可されていたわけでもない、そして東電に漁業権を売り渡す権利があったかどうかもわからないのである。
それはいろいろな解釈があったとしてもそれが正当な権利として認められるかは疑問だったのである。一つの過去からの慣習してあったのでありだからといって東電に売り渡す権利があったとは思えないのである。
別に金持ちがいてもは正当なものであれば回りでは何も言わない、それは地元に貢献したとか共同体で認めるものとして金持ちもいるからだ
例えば500万かけて石を組んだ庭を作った人がいた
その人は歩合制でトラック一台分でいくらとかもらっていた、その人は倍もそうして荷物を運んで金をためて若い時に家を建てて庭を作ったのである
そういう人には別に誰も文句は言わないのである。
パソコンを発明したビルゲイツとかジョブスとかそういう人がけた外れの金持ちになってもアメリカにそれだけ貢献したのだから誰も言わないし認められているのである。
でも船主とか漁業組合で漁業権を盾にして金持ちになったとか原発の補償金で金持ちになったというのは納得いかないとなる、他でも被害した人たちがいても大方は何にももらっていない、なぜそれほど手厚くするのかということでもめたからである。
原発御殿から原発長者になったと人がいてそれが回りから承認されるのか?
それは国民からの眼もあり許されるのか?なぜならそれは国民の税金も入っているからである。
相馬市の総合病院でも特等室に入って家を建てると言っていた人もやはりそういう船主だったのである。
請戸の人だったからである。
まず船主とか漁業組合に加入している人でも生活には困らない、魚が一匹もとれなくても困らない、事故前もそうだったし事故後も手厚い補償金をもらいつづける
それは廃炉までとかなるし多分30年とかも継続されるのである。
だからこそ生活は保証されているから豪邸を建てることができたのである。
原町だと鹿島より地価が高い,でも原町だとあれだけの家を建てても目立たないかもしれない、原町は広いし家も多いしいろいろな家が建っているからである
いづれにしろ金になればいいとかしか今は考えなけどそれだけで社会がみんなが認めるのか?そうはならない、自分も石が好きだから庭を見て感心するけど認めることができないその庭でも汚れたものに見えてしまうのである。
この世の中金の世界になっても金ですべてができる通るとはならないのである
回りから共同体からの承認が必要なのである。
共同体というとき大きくは国家でもそうだし小さいと村単位にもある
そういう共同体の承認があって金も許容される、それがなくなると世の中に不満が鬱積していつか爆発する、格差社会と階級社会はだから金持ちにとっては非常に危険になる
下層階級化した人々が襲うようになる、一揆のようなことが起きるからである
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