土地のカルマを知れ
(呉市は70年前に2000人が死んでいた!)
過去の主な土砂災害一覧表
No.発生年月要因主な被災地被害概要
大正15年9月集中豪雨広島市山本川(祇園町死者24名),温品川(温品町,死者4名),畑賀川(瀬野川町,死者69名)他
昭和20年9月枕崎台風呉市,大野町死者行方不明者2,012名
昭和26年10月ルース台風大竹市,佐伯郡死者行方不明者166名
昭和42年7月豪雨呉市死者行方不明者159名
昭和47年7月豪雨三次市死者行方不明者39名
昭和63年6月豪雨加計町死者行方不明者15名
平成5年7月台風5号戸河内町,筒賀村家屋全壊1戸他
平成11年6月豪雨広島市,呉市死者行方不明者32名
平成13年3月平成13年芸予地震呉市死者1名,家屋全壊58戸他
呉市はまわりが山で囲まれていたから土砂崩れが起きやすい場所だった、そういう土地のカルマを宿命的にもっていた
驚いたのは昭和20年に台風で2000名も死んでいたことである
そして同じように災害で被害があった、災害はカルマとして繰り返されたことである
カルマはくりかえされることである
人間に業(カルマ)があり同じようなことが繰り返されて苦しむ
カルマは苦しみとなって現れた時に意識する
カルマは何もなければ意識されないのである、ただ苦しみがあるとこれは何なのだろうとして意識して考える、何もなければカルマを意識しようがないのである
カルマには大きな災害もそうだが個々人でも家族でもいろいろなカルマがあるからそれがわからないのである
この辺では相馬地方では津波が来ないとみんな思っていた
津波の経験した人は誰もいないし記録にもなかった、伝説があっても注目した人はほとんどいない、ただ記録として生波で700人溺死として相馬藩で記録していた
ただ二行だけでありソ被害の状況も何も記されていないから本当に津波があったのかどうかいくら調べてもわからなかった、言い伝えも何も残っていないからだ
でもカルマは確実に苦しみとなって現れる
その時カルマを意識する、ただ400年前の津波で人々700人溺死したとしてもそのことについて何もわからない、やはり今回の津波のように苦しみ死んだ人たちがいたとなる
呉市の場合は昭和20年だからそれを経験した人たちも生きている
そんな昔のことではなかったのである。2000人も死んだことを簡単に忘れることはないだろう、呉市は山に囲まれているから土砂崩れがあれば大被害になっていたのである。そういう土地のカルマを背負っていたのである。
自分の家も伊勢湾台風で被害が大きかった、土地が一番低い所にあったからだ
その後も川が堤防が決壊して被害があった
二回水害にあっている、それは土地が低いという土地のカルマであり宿命だったのであるただ河川改修してからは洪水は起きなくなっていたのである。
ただ津波が川を上ってきたときは堤防から水があふれていたのである。
それは500メートルくらい下だったから危なかったのである。
やはり今回でも倉敷の真備町では河川改修始めるところだったが遅くなり大被害になった
ともかくカルマはわからないことがある、何もなければ意識されないのである。
ただ苦しみとなったとき意識する、土地のカルマがありそこに同じような災害が忘れたころに起きてくる、津波とかなるとその間隔が長いから全く意識しないようになっていた
でも400年でも1000年でも大きな地震が津波が起きるように日本では土地のカルマで起きる、だから呉市で70年前に2000人死んでいたことでそういうカルマのある土地であり同じような災害が起きても不思議ではないと思った
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