2018年07月28日

野馬追いは前は暴力団が参加して活気があった? (伝達式を金沢から見に来る人がいた−鹿島(北郷)での儀式)


野馬追いは前は暴力団が参加して活気があった?

(伝達式を金沢から見に来る人がいた−鹿島(北郷)での儀式)

nomahatas11.jpg
これは街内から出ていた只野氏だった
nomahatas1122.jpg
横手での行進
arrow111222.jpg
arrow111.jpg

これは菊池氏なのか?
arrow11122233.jpg
北郷の旗とり(杉の旗は只野氏、あとは御家とあるのは小高の人が
鹿島に移ってきてでているとかある、宇多郷の人も出ている)

 副大将は、他の郷にはなく、
唯一北郷に与えられた役付であることから、
謁見の際の口上や作法のやりとりは、
他の郷には見ることの出来ないものです

駅で地元の人が「伝達式」のことをしきりに言っていた
北郷と宇多郷が大将を迎えて合流する儀式はする
でもそれは12時頃であり11時頃に連絡かかりが伝える儀式がある
それが古いもの古式にのっとりするもので歴史的に伝えられたもので言葉も違っているという、その後に北郷と宇多郷が合流するそれは12時以降である
普通見ているのは合流する場である
その前の方が重要な歴史を伝えるものだという、金沢の人は野馬追いのことを調べて来たとなる、鹿島に来るのは少ない、ただフランス人が二人きていた

その人が言うには野馬追いはもともと暴力団が参加して活気があったという
暴力団だから荒っぽいから喧嘩もするし行列で意気盛んになったという
そんなことがあったのか?
確かに何十年前になるのか野馬追いは熱気があった、地元の人でも食い入るように見ていた時代があった、今はただ行列するだけでおとなしいからつまらないという
そういうこともあった、野馬追いは馬が暴れたりして危険な面があった
それには暴力団がかかわっていたのである
暴力団のとりしまりがきつくなり排除されておとなしくなった

暴力団というとき昔は子供の頃は近くに親分がいたのである。
その親分が死んだとき周りの人は参列者が多いので驚いた
その親分は立派といえば変だが大物の親分だったのである
暴力団は親分子分の関係が厳しいから親分が野馬追いに出て子分が補佐する
だからかえって野馬追いには向いていたのだ

そもそも侍とは武闘から戦争から生まれた人たちだか荒っぽい人たちが多かったのである時代劇で盗賊団が村を支配したりすることがあるがそういうことと似た面もあった
武力で村を支配するのだから似ているのである
だから暴力団がヤクザが支配者だったということもありうる
ただそれが後に洗練されて侍となり支配するものとなった

野馬追いは活気がなくなったというときそれはずっと前から言われてきたことである
野馬追いは歴史の保存だから勝手に出れない、野馬追いに出れるのは由緒ある侍の出でないと出れない、その家には旗とか甲冑が伝えられていて認可されているのである。
スコットランドのタートン模様ともにている、勝手に旗を作って出れないのである。
でもそうした歴史と伝統の保存を残して工夫はできる、その後ろに自由参加で踊りでもなんでもさせてやる、それがないので地元の人すらつまらないとなるし盛り上がらないのであるそのことはもう何度もみんな言っていることだが変わらないのである。
何かそうしたことをしたいとしても上の人が許さないとして変わらないと言っている

ともかく野馬追いに来る人は写真を撮る人が多い、地元の人でも自分でも写真がうまくとれない、それは野馬追い行列でも過ぎるのが意外と早いからである
毎年見ていても過ぎるのが早いからうまくとれないのである
動いているものでありそれが早く過ぎるからうまくとれないのである
野馬追いはどうしても絵になるからいい写真をとりたいのだがうまくいかないのである




posted by 老鶯 at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/184039648
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック