2018年07月29日

原町の雲雀が原へ(野馬追い短歌十首) (黒い顔のイスラム系のモハメッドの姓の人が出ていた)


原町の雲雀が原へ(野馬追い短歌十首)

(黒い顔のイスラム系のモハメッドの姓の人が出ていた)

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イスラム系の騎馬武者





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ナマズの旗印は面白い




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北郷の旗印
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只野氏の旗印
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雨しとと舗道をぬらし大将の母衣(ほろ)の赤くも進み来たりぬ(鹿島−北郷)


鬼百合の朝日さし映ゆ野馬追いの騎馬武者そろい雲雀が原へ

夏日さし旗ゆらめきて野馬追いの行進続く雲雀が原へ

大声の時にあげにつ野馬追いの一年に一度晴れ姿かな

旗印そろい三つや同族の頼もしきかな行進続く

原町の昔の街道練り歩く騎馬500頭の勢揃いかな

原町の昔の街道松古りぬ騎馬武者の兜誇らしきかな

朝日さし兜光りぬ手綱とり馬も誇らし昔思いぬ

小高郷神社の旗は黄色かな雲雀が原へ入りゆくかな

北郷の旗印一つ我が見つけ雲雀が原へ武勲あれかし

総大将の後につづきぬ奥方の紫の旗ついてゆくかな

野馬追いにモハメッドの姓黒き貌国際化する時の変わりて

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原町の野馬追いの行列を見に行った、すでにはじまっていた、今年の野馬追のニュースはなにか?
モハメッドというイスラム系の黒い顔の人が出ていたのである。
これはめずらしいと思った、確かに前にも外人で出ていた人がいた
今回はイスラム系の人なのである。イスラム系というと東南アジアにも多い
中東ではないだろう、なぜ出ていたのか?
東南アジア系の人が野馬追いに出る家の女性と結婚したのだろうか?。

中村神社の神輿をかついでいるのは東京電力の会社員だった、これも原発事故で被害を与えたのであえてそうしているのか?会社員が担いでいることは聞いたが東京電力だとは思わなかった

野馬追いはやはり旗が何を示しているのか?それをある程度わからないと深く見れないかもしれない、基本的に小高郷と中の郷(原町)と北郷(鹿島)と宇多郷(中村)が一体となり雲雀が原に合流している入ることは知らねばならない
標葉郷(しめは)浪江も参加するが基本的にはこの四つの郷が一体となり原町の旧街道を行進する、その時相馬藩の歴史が再現されて一体化するのである
小高からも出るということは原発事故で避難区域からも出たとなると復興のための野馬追いがつづいているとなる、野馬追いは相馬藩を再現する一体化する祭りだからである。

野馬追いも国際化することはさけられないだろう、外国人は日本の侍に憧れる、それを目の当たりにするから魅力を感じるだろう
侍の国でも日本ではこうして侍の時代をリアルに再現する祭りがないのも不思議である
例えば会津藩などは30万石とか大きいのにそういう祭りが残っていないのも不思議なのである。会津武士道の日新館の車が必ずきている、でも武士道は会津に残っているが相馬藩ではそうした藩校などはなかった
でもなぜ野馬追いがこれだけの規模で残っているのか?。
それが相馬藩の特殊性なのかもしれない、代々殿様が変わらずつづいたのもめずらしい
必ず代替わりを他ではしているからである。殿様が継続して変わらずつづいたことが野馬追いを残したともなる

野馬追いの見方として旗印だが三つそろったりするのは同一の一族であり村も同じだろう北郷(鹿島)では副大将の紫の母衣9ほろ)の武者がいる、これも特徴である
小高の神社の旗は黄色だとか見分けることも必要である
そして総大将の後ろに紫の旗がありこれは奥方の旗なのである。奥方も旗印をもって総大将についていたのである。奥方も城では力をもっていたのである。

原町の雲雀が原に行く道は昔の街道である、その絵も残っている、宿場町だった
木戸があり許可なしでは通れなかった、いい松があったがそれほど古いものではないだろう、ただ通りに松があるだけで違うなと思った
ただ家だけがあると景観としてものたりないものとなるからだ
並木道として松があるのがふさわしいとなる、松がもっともふさわしいのである

いづれにしろ国際化して外国人が大勢来る時代になると英語で説明することが必要になるそれを自分でもグーグルの翻訳で試みてみよう、あの翻訳は本当に優れている
外国人でスマホがあればある程度は基本的なものは通訳できるかもしれない
どうししても単語が出てこないからだ、日本では話す機会もないから最近英語で通じにくくなった、でも絵や写真を通じてだとわかりやすいのである。
それをスマホとかですると通じるとなる、まず言葉だけでは今は通じにくいのである。
言葉だけで説明することはわかりにくいのである
ただそこで問題なのは説明の仕方だとなる、外国人にわかりやすい注意をひくものとしないと通じない、外国人に日本をどう紹介するのかということにもなってくる
ただ説明する時ヨ−ロッパだと城が多いからにているから説明しやすいとなる
東南アジアとかなると説明しにくいのである。 

今回は雲雀が原で旗とりは見なかった、行列で盛り上がるのは雲雀が原に入る時である
だからあそこで写真をとるのがいい、曇っていたりちょっと雨がふったり台風が来て変わりやすい天気だったが晴れあがったから写真をとるにはいい天気になった
やはり野馬追いは暑くて晴れて夏の雲が湧きあがるときあっているのである。
ただ雨の時でも風情はある、雨しととふり大将が行進してくるのも良かった

posted by 老鶯 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
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