雲の峰(俳句十句)
大いなる空の広きや雲の峰
みるみるに高くなりにき雲の峰
燕飛び見ぬ間に高く雲の峰
真昼間や日射しの強く雲の峰
形変えみるみる高き雲の峰
畑仕事太りし婦(おんな)にカンナかな
新たなる宅地またふえ雲の峰
今日もまた同じ木陰に休むかな
カンナ咲き夏の雲湧く白さかな
暑き日を吸い込み一日雲の峰
雲の峰二つ割れて山を成す
この道の行く人知りぬここに立つ木の影濃くも後に人なし
今日は暑いけどからっとしている、ここは32度くらいかもしれない、そのくらいだと耐えられる、晴れ渡り雲の峯がぐんぐんと高くなる
それが気持ちがいい、夏らしいなとつくづく思う
名都を楽しむには34度とか35度になったらもう無理である
熱中症になる、日本は季節の変化がありそれで俳句ができた
夏は夏らしいとなる
太った女性はどこにあっているのか?それは畑にいるときあっている
根っからの農民なのである、生まれも育ちもそうだからである
人間は何かそこにふさわしいとなる場がある
自然の中で人間も映えるから農民や漁師や林業でもそういうところで働く人は自然とかかわり自然と一体となる、ただハウスとかなるとそれは別なものになる
働いている人が見えないからである
でももうハウスでなければ農業は成り立たない、それは不自然に見えても今はそうしないと成り立たない、でもトマトでも露地ものがうまかったということはある
それはたっぷりと自然の光を吸ったからだともなる
現実としてはもう畑といってもそれを維持することの苦労を聞けばもうやりたくないともなる、いろいろと金がかかる、それをこっちで支払うのも苦しいとなる
趣味の畑は金にならない、かえって金がかかる
それでもその女性は畑にいる時カンナのように映えている,そこにふさわしいとなる
それは生まれつきであり育ちもそうであり体つきでも農民だという感じなのである
人間はやはりその人にふさわしいものがありその時その人は生きる価値があるともなる
ただ正直それは外から見ている時そうなるのである。
現実に農業するものは違う、だからなぜ原発事故のあと耕作放棄地が増えたのか?
誰も耕さないのか?それは手間であり金にもならないとなり高齢化して放棄したのである
雲の峯は変化する、雲の峰を見ていると気持ちがいい、そこに自由な力も感じる
自然の雄大さを感じる、この辺には高い山がないから本当に山のように見る
駅前通りにも映えたが降りる人が一人とか少なかった
野馬追いが終わり閑散としている、駅前通りはにぎわっていたが今はどこもにぎわいがないのがさみしい、ただ駅からおりてこの雲の峰を見ればきもちいいとなる
小高の不思議は人が通るのがまれである、車も他よりずっと少ない、すると江戸時代のような雰囲気になっていた、車がないと江戸時代に還る
人が一人道を歩く、その人を道は記憶している、そして木の影が濃く道をおおいその後を一日行く人もないともなる
車がなければ江戸時代は戦前でもそういう風景だったのである
江戸時代にもどりたかったら小高とか浪江でそれをある程度経験できるともなる
夜だって暗くなり江戸時代にもどったようになるからだ
江戸時代を体験するとかの観光さえありうる、そんなことを言うとまたしかられる不謹慎だとなるが「江戸時代にもどった町」とかで人が来るかもしれない
ただそうはいってもやはり駅前通りが活気がないように自然でも街でも活気があるとき自然が映えるとういことがある、都会では自然がないから逆に人の活気だけになるからつまらないともなるのだ
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