菖蒲と金色堂
(芭蕉の俳句について)
夢の跡金色堂に菖蒲かな
雨しとと菖蒲の池をそめにつつみちのくの都の跡をしのびけるかな
芭蕉の奥の細道の俳句は不思議である、「五月雨やふりのこしてや光堂」というのは
雨の時期に来たからである、観光に来たら普通雨だと嫌だとなる
でも日本は雨の国なのである、外国では本当に雨がふらない地域が中東とかである
日本はいつも湿っている、だから湿気で余計に暑く感じる
今年が異常に暑いのは都市砂漠化して暑いということもある
まず平泉を訪れたフランス人とかいたけどこれを理解するのはむずかしい
フランスでも乾いた風土だからである
日本のような雨の情緒にはなりにくい、「夏草やつわものどもが夢の跡」でもそうであるとにかく日本は雑草がすぐに伸びるのである、農家の仕事は毎日草刈りなのである
平泉というとここからは今だと近い,新幹線で近くなった
でもなぜ芭蕉の句が生まれたのか?それは時代背景があった
平泉は江戸から遠い僻地となっていた、そこまで行く過程がありそれがこの句が作られた背景である、はるばる江戸から来てようやくたどりついた昔の都の跡には何もなくかろうじて金色堂だけが五月雨のふりこめられるなかにあったとなる
それはやはりその遠さの感覚からも生まれたのである
平泉は近いから春秋冬に行っているが夏には行っていなかった
今回菖蒲祭りを見に行こうとしたがこれも行けなかった
何か介護が終わっても遠くに行けなくなった、家を留守にすらから行きにくいとなる
ただ平泉となると近いから時々想像でその場を回想したり想像したりする
俳句でも写生だというとき想像する俳句は良くないのである。
どうしても実感がこもらないからである
俳句でも文学でもなんでもそうだがやはり継続したものとしてある
芭蕉の俳句はやはりそれがい300年すぎても深みをましている
それは確かに時代背景もありその時代が作ったものだとはなる
今なら東京から二時間で平泉に来たとなっても何の感懐もなくなるだろう
現代の旅は何か浅薄になっている、どこにでも楽に早く行けるのだが旅になっていない
ただ宿でうまいものを食べるとか温泉にひたるとか保養の旅なのである
ただ現代で有利なのは歴史的な場所に何回も行くことができるからそこでその場のことを深く追及して知ることができる、ある場所でも知るには四季に訪れる必要があるからだ
それで平泉についてもわかるとなる
自分の俳句も『夏草やつわものどもが夢の跡』の夢の跡とをとり作ったとなる
800年過ぎても平泉が鎌倉幕府によって滅ぼされて堂塔伽藍が焼失した記憶は残っている、とにかく芭蕉の俳句は色あせない、普通は時間がたてば色あせてくる
その色あせないことが古典になる、千年でも色あせない深みがあるからそうなる
だから「芸術は長く人生は短し」となっているのである
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