丸森短歌十首(森の国で地理がわかりにくい)
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みちのく戦国絵巻、金山城攻め、伊達輝宗、真冬の山城を攻める
春日さしなお雪厚く蔵王見ゆ金山城跡に我望むかな
長々と阿武隈流る丸森に海の近しも春日さすかな
一時は相馬の城と金山城夕べ桜や坂上り帰る
白石へさえぎる夏の山なれや丸森の領地伊達に属しぬ
森深く影なす中に陰々と苔むす岩に流れ清しも
阿武隈の川をそい下り瀬音かな山吹咲きて広き川かも
秋の日に大張りの名や舟に乗り岩の謂れを聞きつつ下りぬ
阿武隈の川の岸辺に栄えたる斎理屋敷や秋の日暮れぬ
丸森に展示したれる仙台銭伊達の歴史や秋の日暮れぬ
丸森の遠きや森の影なして帰りて相馬の秋のともしび
丸森の金山城を後にして相馬の城跡我がより帰りぬ
ある地域をみるときまず地理をみなければならない、ところがその地理といっても知ることが一番難しい、丸森とかなると近いから自転車で何回も行っている
ただ丸森は遠いと常に感じていた、飯館も遠いがそこには峠がありそれを越えることが容易ではないからである
ただ坂を峠を越える距離を行くということで心にその地理が刻まれるのである
車で行ったらあまりにも簡単に行けるからかえって坂を越えるとか峠を越えるという感覚はないし心に記憶されないのである。
だから旅は歩くのが一番いいがそれだと距離は行けないから自転車がいいとなる
丸森は風光明媚な変化に富んだ地域である、丸森とあるように森に深い場所なのである
それで米沢藩と相馬藩と伊達藩で森林資源をめぐって三つ巴の争いがあったことは有名である、それだけ森が深いのである、それでその森にまぎれて出れなくなった恐怖を経験した、この辺は阿武隈高原は飯館でもそうだが森の国なのである。
森がつづいているのである。飯館村でも7割は森なのである
ともかくその土地を知るには地理だというとき例えば鉄道だけではまたわかりにくいのである、坂を峠を越える感覚は鉄道にはないからである
そして丸森は相馬藩と伊達藩が争った場所だった
金山城は一時相馬藩の領地として城主になっていた
金山城は石垣は当時のまま残っているから貴重である
ここで伊達藩と相馬藩が実際に戦闘があり相馬藩は敗れて追い出されたのである
それをゲーム化したのがyoutubeに出ていたのも面白い
丸森を知るには相馬も知る、地理的にも知るというときやはりその距離の感覚も知るべきだとなる、それが鉄道と車ではわからないのである
丸森には相馬からだと三つ四つくらい入る道があるからだ
宇多川をさかのぼって行く所は山を分け入りダムがあるところから古田という地名の所から丸森に入ってゆく
他には森の中の細い道を分け入り上る道とかもあり青葉温泉の方に行く道もある
そして丸森も広いからわかりにくいと思った
丸森はまだ未知の領域が広がっていた、白石の方に行く所も山深い
丸森から入ってゆくが山にさえぎられていた、丸森は白石と近いから白石には伊達政宗の忠臣だった片倉氏がいた、そういう地理的感覚もわからないとその土地のことはわかりにくいのだ
タグ:丸森
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