2018年08月18日

インタ−ネットで変わった放送 (情報の戦国時代となり百家争鳴になった)


インタ−ネットで変わった放送

(情報の戦国時代となり百家争鳴になった)

今回の高校野球は面白い、金足農業の逆転劇もドラマチックである
野球はプロ野球をずいぶん見ていない、王長嶋の時は見ていた
あれはプロ野球人気というよりテレビで放送されるようになって人気がでた
ラジオ放送だったりしたらマニアのような人しか関心がないとなる
テレビの影響は本当に大きかった
テレビの前は映像となると映画だがその時の俳優は映画で有名になったのである
映画館とかありニュースもそこで見ていたのである。
その時鉄道でフィルムが運ばれるから遅れていたのである。
リアルタイムでは放送されなかったのである。

現代を生きた人はテレビの影響が大きかった、テレビに出ればその人を問わず有名人になった、テレビに出ればなにしろ何百万人が見ているのだから影響力が大きい
テレビで取り上げらることはそれだけで有名人になる
今振り返ると本屋でもそうである、ごくわずかの本しか置いていない
それで冠婚葬祭とかの本が百万も売れたのである。
つまりこれは内容など関係ない、宣伝で売れたのである
テレビの宣伝だけで売れた商品はいくらでもあるだろう、内容より宣伝力がものを言うからである、それでテレビは絶大な力をもった、別に内容というより放送できるということで力を持っていたのである

ニュース解説でも放送でもテレビで放送されれば何百万人も見るからである
そして六局しかテレビで放送できないのだから独占だったのである。
するとマスコミでは放送によって独占できるとなる
世論でもマスコミが作ることができた、マスコミは単なる媒体ではない、会社が意志をもって放送する内容を決めていたのである
インタ−ネットだと一応目立たないにしろただの媒体,メデアだという感じになる
誰でも放送できるからである,それでも今はインタ−ネットでも操作されているという時代になった、それはインタ−ネットがそれなりにメデアとしてみんなが見るようになったからである。

メデアというと媒体という意味だけど実際は違う、媒体には機械的なものでそこに人間の意志はない、でもマスメデアであれマスコミではあれそれは明確に意志をもって報道している、だからこれが混同しやすいのである
誰でも言いたいようにマスコミを通じしてマスメデアを通じては言えないのである。
マスコミのマスメデアの方針にそって発言しているしその方針に逆らうことはできないのである。
新聞でも週刊誌でもメデア(媒体)と報道するものが一体となっていたのである
テレビでも放送するには莫大な金がかかる、新聞でもそうである、雑誌でも金がかかる
本だって出版するには金がかかる、その金をどうするのかというのが問題になる
それは会社の宣伝費でまかなうほかないのである。
だからマスメデアは媒体をもっているからそれで権力をもつようになったのである。

でもインタ−ネットになるとほとんど手間はかかっても無料で放送できる
それで中国の現状を討論番組で放送したがそれはyoutubeでも盛んに言っていたなと見た
youtubeだって今や放送局と同じなのである。個人の放送局にもなっているのだ
プログでもそうである、個人は総一億記者になってしまったのである
リアルタイムで写真でも動画でも出せるからである
そして何か自分でもしてみて放送するということが興奮することなのである。
それでこれまでのマスコミと同じく目立つためにわざと火事を起こしてそれを動画にとり視聴率を高めるとかあった、それは絶えずテレビで刺激的なことを事件を報道して視聴率を稼いでいるのと同じなのである。

アフィリエトとかで同じように宣伝費をかせぐからである。それはマスコミも会社から宣伝費をもらっているのと同じなのである。
それで会社から金をもらうと会社の意向にそうような記事を書かねばならないと言っているのもテレビと同じなのである
違うのはほとんど金をかけずに個人でも報道できるから会社から宣伝費をもらわなくてもできることが大きな相違なのである
これまではそういうことはできなかったのである

メデアが媒体だというときそれが目立つから何百万人の眼にふれるから会社でも宣伝として使おうとする、例えばテレビでなくてもコンビニでもそこに雑誌でも本でも新聞でも置けばその見出しだけを見ても目立つのである
書店でもそうでありそこは目立つ場所なのである。でも誰でも勝手に置くことはできないのである、本でも書店で目立つ所に置けば見る人がいるとなるからだ
ただ今や週刊誌や雑誌は買わない、インタ−ネットで月400円で見れるからである
ほとんどの週刊誌や雑誌はDマガジンで見れるのである。
すると読むにしても週刊誌一冊は読まない、目次をみて興味あるものしか読まなくなったのである
そうなるとコンビニに週刊誌が置くだけ目立ったがインタ−ネットでは目立たない
無数の記事から選び読まれるとなってしまうのである
まずインタ−ネットで目立つことは至難だからである
たたテレビと同じようにyoutubeにすると見られやい、たいして内容がなくてもやはり本読むより簡単だから楽だから見る人はいるなと思った

いづれにしろ今やインタ−ネット時代になると報道でも情報の流通でも戦国時代である
百家争鳴になったのである。
どんな人でも発言できる放送できる時代になったからである
そして放送するということは地域でも無数にあるから実際は無数なのである
なぜ自分でも不思議なのは自分の住んでいる場所の駅が無人駅になっていてそこを定点観測したことを報告している
駅長が一人でホームの草刈りしていているとか報告した
写真でも報告したりした、駅で放送するようなことがそんなにないと自分では見ていたのである。

でも駅にこれだけ放送することがあるということが自分でも意外だったのであるとすればどこでも定点観測して放送することがあると思った
駅でなくても病院であれ学校であれ会社であれ工場であれ農業であれ漁業であれあらゆる職業でも毎日ウオッチして報告することがあるとなる
それはでもみんなたが興味をもつ、これまでのマスコミでテレビで何百万人とか見るようにはならない、新聞でも福島県でも百万単位で新聞を見るのとは違うのである
福島県でも広いからである。
自分の場合は自分の住んでいる一万足らずの町を中心に報道しているからである 
ここでもインタ−ネットにより報道が変わったことだと自らしてわかったのである。

いづれにしろ何かを報道することは興奮することだと思った
それで津波の時にその映像をとることに夢中になって助けなかったとか問題になった
反省した人もいた、それはマスコミが今までしていんたことなのである。
まず刺激的な映像をとることが第一になるからだ、それが商売だからである。
その映像を見せることによってみんなが見ることによって会社からの宣伝費ももらえる、大勢見ることによって成り立つ商売だからである
だからこの辺で津波が起きたとき八沢浦が江戸時代の入り江にもどったと写真を出してのせた、それを相当の人が見たのである。
でも地元では現場では津波の後に泥に埋もれた幼児の死体を掘り出しているのになんなのだとしかられたのもそうである
それが自分はマスコミと同じようになっていたのである。
津波の刺激的な映像を報道したかったのである。
ただ無料だし宣伝するプログではない、金をもらっていないことが違っていたのである。別に金をもらわなくても人間は報道する本能があると思った
何か変わったことがあれば何でも口伝いでも伝える、口コミが常にテレビがなくても何がなくも人間はしてきたからである

ただインタ−ネットの問題はあまりにも放送する人がふえすぎたことである
プログしている人でも何百万にもなるとかなれば異常な多さでありそこから今度は読まれることは至難になるのだ、よほどのことでないと読まれないということにもなる
すると公的なもの国民として知るべきものや深く議論などして知るべきものがわからなくなるということはある、そこには確かにオピニオンリーダーのような人がいることはいるがその他にも無数に意見を言う人はいるからである。
そしてそこでもキケルゴールの言う水平化の原理が働くことになる
お前の言っていることはたいしたことはないとか水平化されて何が重要なことなのかもわからなくなるのである。指標となるものがなくなる
すると情報の海でおぼれるということもある、捕まる杭とか何かそういうものがないと判断できなくなるからだ      

インタ−ネットにもいい点と悪い点がありそれをうまく使えるのかということもある
ただマスコミとかマスメデアとか雑誌とか週刊誌とか新聞紙の時代は終わったというのは確かである。それはメデアをもっていたからでありそのことで力をもっていたからである新聞でもそれを配るには大変な金がかかるしテレビでもそうだったからメデアを独占できたからである、今はそれができなくなると報道するのでも内容が問題にされるようになったのである。
ただインタ−ネットではあまりにも数が多いので指標を見失うということはある
ただ個人でもメデアを報道する媒体をもったことは権力が与えられたことだったのであるだから中国ではインタ−ネットでも規制している、政府の批判はさせないのである。

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