好きこそ物の上手なれ
(人間向き不向きがある)
人間にはつくづく生まれつきがあり向き不向きがある、そればとうして作られるのか?
それは必ずしも遺伝とかでもない、家庭の環境とかも大きく作用している
モーツアルトが生まれたのは幼児の時から親が音楽家であり音楽一家だったからである
そういう家に生まれたから感性が自ずと養われたのである。
もちろん才能とか遺伝も関係している
でも才能が生まれつきあったとしてもそういう環境がなかったらその才能は活きてこないのである。
だから才能を活かした人はまれなのである。
時代でも才能は活かされない、戦争では優秀な才能ある人でも天才でも若いうちに戦場の露と消えたのである。
才能というとき何かノーベル賞をもらうとか天才芸術家のようなものをイメージする
でもこの世には無数の職業がある、そこに向き不向きがある
畑をしている女性は農家の生まれである、その女性はつくづく農民として生まれもまた体つきでも力あるから向いていると思った
そうして根っからの農民とかの人がいるのだと思った
その女性は生まれつき環境でせ農民だった、だから本当は農業しているのが向いていたのである。金にならないから農業を継ぐ人がいないと荒地が増えた
でも農業に向いた人はいるから本当は農業をしていた方がいいとなる
大工さんでも知ったがその人の体をみると自分などと全然違うのである。
体がしまっている、柔道の有段者のような体をしていた
きびきびと体が動くのである。その人は一人親方でもあり経営もできる
その人はそうしていろいろなことができる、大工でも庭作りでも壁塗りまでしているとか一人で何でもできるのだ、庭作りもできる
その人は最初は大工でもうまい方ではなかったというが生まれつきだといとき体力も関係している、体力は生まれつきである
その人の欠点は何かということ奇妙だが何でもできること八方美人であり器用貧乏になっている、その人の問題はそうして稼ぐことができるが稼げるならなんでもいいということでなんでもするのだがブラックなことにも手を出している
そんなことをしなくてもその人はそれだけの才能があるのだからする必要がない
でも金がいくらでも欲しいとなりそうなった、原発でも金になるからと賛成していたのである。
その人は大工として大成している、だからそんなにいろいろなことをする必要はなかったのである。
要するに人間は根っからの農民とか職人とか商売人がいる
それはどういう土地で生まれたかにもよる、環境にもよる、大阪とかだったらもうかりまっかとか普通にずけずけいう、それは大阪ではみんなそういう商人の言葉使いになっているからである。それは日常語になっているのだからそうなる
当然商売人に向いている、近江商人の出の人と出会ったが外国でもねぎるのがうまいのである、自分もまねてしてみたがかえって失敗した
そんなに値切る場面ではなかったからだ、そこでしかられたりした
そして東北人はまず商売に向いていない、言葉からしてズーズー弁であり向いていない
東北人は一見見るとわかる、真面目で硬い表情でありうちとけない
だから東北人は農民とか職人とかに向いているが商売人には向いていない
それで知っている人は理系の職人の仕事を会社でしていたが事業起こして借金になり失敗した、事業になると商売人にもなるし職人ではできないからである。
向かないことをすると失敗する、金になるならない前にその人はすでに向かないことをしているということで失敗しているのである
ただ常に例外があるしみんながそうではない、伊達政宗などは商人的気質があったのかもしれない、仙台弁は語尾にだっちゃだっちゃという、これは相馬弁のんだとはかなり違った響きなのである。仙台は繁華な町だったからそうなったのかともなる
そういう土壌があったのかとなる
人間はこうして生まれ育った地域でも向き不向きが生まれる、そして向かないことをやると不幸になる、医者の家に生まれたからとみんな医者に向いてはいない
例え一流大学の医学部を出ても手術がうまいのは手の器用さだとかなり学歴ではない
それは生まれつきなものだろう、だから親が医者だからと医者になるのがみんな向いているわけではない、でもそうなっていることが問題であり結果的に患者がそういう医者にあたると被害まででるから怖いとなる
人間は向かないことをしていたら不幸になる、それがいくら金になるとしても不幸になる性格でも内向的な人間は外交的な営業とかするのは向いていないだろう
政治家などにも向いていない、学者とか職人とか芸術家なら向いているとなる
自分は内向的だから何か学問とか芸術とかを追求するのに向いていた
ただ学問を学校時代は大学でも嫌っていたのである。
もし死ぬ頃になって自分は学問に向いていたなどと知る
人間はこうして本当にその人に向いたもの才能でも開花させることが至難なのである。
それは生まれつきが才能があったとしも活かされないからである
なぜ三分の一が会社に入ってもやめるとか離婚が三分の一とか江戸時代でも多かったのかそれはやはり性格でも違っているし育ちも違っているし会わなくなるである
つまりそれぞれの才能でも性格でも違っているし育った環境も違っているからである
第一才能を活かすにしてもそういう場が与えられる人はまれだからである
自分の場合は特殊であり自分なりのものを追求できたとはなる
それでも自分にはほかにいろいろな可能性があったとか老人になって悔やんでいるのである。それは人間の才能とかは本当に埋もれてしまう、活かされない方が圧倒的に多いからである。
別に数学が得意でなくても何か教育で興味をもつ方法はあった、でも受験勉強だけで本当に興味のあることを追求できなかったとなり後悔しているとかなる
結局諺は今も生きている真理である
好きこそ物の上手なれ
好きでないことを無理やりしてたらいくら金になっても不幸て人生だったとなってしまうのである。
この諺についての関連したサイト
ここでは好きだと長続きするが好きでないものは長続きしない、強制されてやることはかえって他者も不幸にする、その人のあったことをしていれば他の人にもいい影響がある
つまりり花でもいろいろな花があり咲くにふさわしい場所がある
生け花をフラワーアレンジメントをしていだかあきて中止している
それはなぜか?
花は野に咲いているのがふさわしいからである。野に山に咲いている花は自然である
生け花は人工化したものだからである。それはそれとして意味があっても野に咲いている花は飽きない、畑に咲いている花でもそうだしもともと花は自然の野に咲いていたからである。自然の光と風と風景の中にマッチして咲いている時一番美しいからである。
人間もまた同じだったのである。その人なりのあった所に生きるのがふさわしいとなる
そして人間社会が不幸なのはみんなそうなっていないからである。
いろいろなことで金になるならないとかで人生が決められたり時代の影響でもその人なりに生きられないから不幸な人が多いのである。
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