国富は景観として現れる、政治経済は文化の下僕である
(鎖国と資本主義ー川勝平太)
こういう人がいる、その内容はわかりにくい、なぜなら今の時代の人は国富が景観と見ていない、国富とは経済力でありの経済力を作るのは科学技術力である
だからこそ原子力発電そういう観点から作られたのである
原発がある国が科学技術的に優れていて国富を作りだすとなる。
経済でもトヨタがいい車を作るから世界に売れるから日本人は優れているとなる
日本の景観がいいからとそれで日本の国力があがったとかはならない
第一そうてらばこんなに日本の景観に重きを置いていたなら日本の自然景観の破壊は起きなかった、日本の富が一番集中するのは東京でありそこでは自然はない
人工的空間になり景観は消滅している
それは景観は経済力にならない無償のものであるからだ
富士山は日本を象徴している、それをどこからも見えるとして富士山を見たらここに金を置いて下さいとかならない、富士登山には金を払うようになっても富士山はどこからでも見える、そこで金を払ったりしないからである。
景観自体は海でも山でも森でも無償のものとして提供されている、ただ海で魚をとり森で木材を家の材料や昔なら炭の材料として利用すると経済的価値が生まれて富となる
ただ海があり森がありでは山がありでは経済的価値にならないのである
一般には景観は金になるものとして見ていない、だから国富は富として現れるというのはなぜなのかわからない、国富は常にGDPとか金の多寡で表わされているからである
もし国富が景観なら国富を破壊してきたのが戦後日本だし高度成長時代でも過度な開発で自然を破壊してきた、そして一番国富が集中している東京こそ国富であるとしたらそこに景観はビルとか車とかしかない、そうなったら日本には国富を作りだしたのではなく破壊した来た貧しい国だったともなる
江戸は百万都市でも水路が縦横にめぐらされてベネチアにもにていて美しい景観があった富士山を高層ビルがないから映えていた、日本橋でも日本の中心の橋として美しく富士山が映えていた、それは浮世絵に残っている、浮世絵には日本の美しい自然と調和した景観が人の営みが描かれている、現代にはそうした景観はない、高速道路があってもそれが景観として美しいとはならない、ただ電車とかは写真マニアがいるように自然景観とマッチするから国富を作り出したとはなる、船でもそうである
東北には太平洋でも船が行くのがまれなのである。
だから淋しいとなる、船が航行することで海も活きてくる、瀬戸内海は万葉集時代から船が行き来して活きていたのである
天離る 鄙の長道ゆ 恋来れば 明石の門より 大和島見ゆ 柿本人麻呂
海は陸と違って船は景観を汚さないし破壊しない、海には船があってこそ活きるし人間的なものとなる、それは海人の船でもそうである、船が海に浮かび魚をとることで人の営みがあることで活きてくる、もしそれがないとただ荒涼とした海があるだけだとなるからだだから景観が富だというとき海に船が見えるとき国富があるとなる
それは海という景観を壊さないからである。陸はもともとあった自然の景観を都会化で壊す穢すからそこに富はないなとなるがでもそれこそ国富としてきた
GDPは人口とか消費力とか生産高とか家でも数とかビルの数とかで統計的に計られる
それが国富なのである。
また現代の富は貨幣で計られる、いくら貨幣がある国でも計られる、個々人でも会社でも銀行でも国でもどれだけの金融資産があるかで富も計られる
だから国富は景観として現れるというのがありえないのである。
ただこの著者はその意味はまた違っているのだろう、本だけではその本意をすべて示すことはできないからだ
ともかく景観とは人の手によって作られたものがあるということは確かである
農業でも田畑があることで景観が作られたのである。なぜなら田畑には手がかかる
ほうっておくと草茫々になり荒地になる、この辺は原発事故以後避難区域でなくても荒地が多くなった、そこには現実に米も野菜もとれないが景観も穢されたから富が失われたということは確かである。
だから趣味で畑で野菜を作る女性はキュウリが一本一万になったとしても景観を作っていたから富を作り出したとなる
でもそれを富だと思う人はいないのである。
都会人だったら一本一万のキュウリなど食べないからだ、都会では景観と食料は分離されているのである。景観を作るために食料を生産していると言ったら誰もそんなことを理解しないだろう、安くて新鮮ないい野菜を果物を米を食べたいとなるだけである
景観がどうのこうのとか関係ないのである。
ただ景観というとき畑にカンナが咲いている時そこに夏の雲湧き一段と映えていた
生け花とかフラワーアレンジメントをしてきたがあきた
それは自然の景観の中に映えないからである。自然の中に花は咲くのであり花瓶の中にもともと咲くものではなかったからである。
自然の光の中に風の中に一番花は映えているのである
だから菊畑とかありまた花畑になれば美しい景観になる
でも菊畑の隣がソーラーパネルになったりしているからこれも自然を破壊して調和を乱すものだとなる、それは国富を失ったものとなる?
その菊畑に月が出たりしていたがソーラーパネルになるとその景観は失われたのである。
手入れする5色に育つ菊畑
国富が富だとするとソーラーパネルも国富を失うものとしてもあったとなる
原発事故でも故郷に住めなくり荒地化したから国富を失ったとなる
いづれにしろ都会では食料をこうした景観を作るものとして田畑がある、水を活かすためにあるとかはならない、食料は栄養源としてあるだけである、工業製品ならどこでも作っていい、外国でも同じように規格品を作れる、でも食料はその土地に根付いて作られる
自然と一体となり景観と一体になり作られる、そこが根本的に違っている
外国でいい葡萄が作られるのは日当たりのいい場所であり前は湖とかなると光が反射していい葡萄が作られるとかミカンでもそうである。だからこそワインの種類が多い、味がみんな違うからである、それは日本の酒も同じなのである。そこには自然の作用が土地によって違うからである
何か自然の微妙な作用があって作られる、そこが工業製品とは違っているのだ
それはハウス栽培でも水加減とかいろいろむずかしいのが農業なのである
日本が美しいというとき確かにそれは人の手で作り出されたものがあった
白砂青松の風景もそうである、その白砂の風景も人工化とか浸食で壊された
そして津波でこの辺の右田の松原が根こそぎ流されたのはシッョクだった
それは江戸時代から海の方へ開拓して田んぼにして塩害を防ぐために松原が作られたからである。それは国富だったとなる、それを破壊したのはまた自然だった
一方で八沢浦のように元の美しい入江を再現したのも津波だった
ただそこでは人が死に多くの家が流されたのである
故郷の原風景というときここでは自分の場合は俳句にすれば
故郷や実りに松に漁の船
これになっていた、いつもその松原に行き烏崎からは他から来た漁船でも見ていたからである。夏は松影になり涼しい風が吹いて休んでいたのが自分だったからである。
その松影もなにもなくなり今は今度は風力発電の風車の風景になったのである。
これも国富を失われたことになる、ただこの国富を喪失させたのは自然だったともなる
とにかく景観が国富だとか文化が経済の下僕とかはなっていない、その逆になっていた
景観は経済発展の国富のために破壊されて文化も破壊され消失したともなる
でも現実は景観は価値として計れない金にならないとなり無視される
景観から食料は実際は生まれているけどそうは思わないのである。
なぜなら自然という景観があって果物でも米でも野菜でもとれるからである。
都会では食料は作り出せないからである。野菜工場を試しても無理だろう
失敗している,それはやはり食料を作り出すのは自然であり自然景観があるところで作り出されるからである。
だからこの著者の言うことは矛盾しているけどまた共感もしている
何か本でも常に批評の対象になり感想を書く人が増えた、それはプログなどでも書きやすいし発信しやすいからである。
やはり対話する時本の内容は濃いから思索が深められるのである。
本を読むことは著者と対話することなのである。
そして引用は従になると著作権違反になる、自分の主張が思想がありその引用として数行利用することが許されている
となると本の批評することは批評する人がすでにその本を従にするような思想とか見識とかの持ち主でないとできないのである。
だから若い時はただ本によまれていた、批評はできない、今は読まれるというより読み込むのである、自分の思想や文章の中に読み込み利用するのである
結果としてより深くものを見ることができるようになる
だから本を読むことはただ読まれるだけでは何も効果がないのである。
今はアマゾンで関心があるものを連関して読める、そして感想を書ける、それをまた読まれる、そういう作用がインタ−ネットで容易になった
だから本を前より買っているし読んでいる、ただ高い本は買わない1000円以上になるとなかなか買わないが安いものが古本で出ているから買うのである
それでも十分だとなる、まず本の数も多すぎるからだ
今は知的な探求は別に田舎でもできる
アマゾンで本が買えないときは仙台に一週間に一回とか行っていたのは本を買うためだった、でもその時古本でもないし本を買うことは簡単にできなかったのだ
そこで田舎では本当に不利だった、それで東京の古本屋で水道橋に古本の全集を買いに行ったこともあった、それだけ田舎は勉強するには不利だったのである。
そういう差はなくなったから今になると田舎の方がいいとなる
そんなに不自由なことがなくなったからである。
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