2018年09月06日

山形の大学生が折り畳み自転車で来る (駅前のドアと盲人の標識のタイルは完成)


 山形の大学生が折り畳み自転車で来る

 (駅前のドアと盲人の標識のタイルは完成)

stkk456.jpg

stk123.jpg
ここにある八重桜の根っこもなくなる



 折り畳み自転車で来た人がパンクで駅前の自転車屋で直してもらった
 それが古いものでさびついていたしタイヤを交換したり
 ブレーキを直したり大変な作業になった
 タイヤが古くて癖になっていてもどらないのが苦労だった
 それでもなんとか直した
 一万で買ったというがもう使えないようなものだった

 駅前の自転車屋は何か好感がもてる、接客がいいのである
 普通は自転車は愛想が悪いのでとっつきにくい
 あの人はそうではない、だからいつも人がいて話しているのである
 この前は駅で電車賃のこまかがないと交換してもらったりした
 あの自転車屋は駅前の案内所にもなっている
 津波で死んだ人の碑をその学生は見に来たというので説明した
その学生は大船渡出身だったのである
だから津波に関心があったとなる

 駅前の半自動ドアは入り口も直した
 冬になると閉めれるからいい
 盲人用の標識の黄色タイルも直した
 今は一人が浜吉田から通っている

 今工事しているのは駐車場と自転車置き場である
 写真の所が駐車場でありその脇に自転車置き場を作る
 駐車場の所が自転車置き場になると思ったが
 金を払って駐車する場だった
 駐車場は鹿島駅ではたりないのである
 駅舎の前は一時的にしかとめられないからだ
 それが駅の問題なのである

 あそこには八重桜が咲いていたが根っこが残ったがそれもなくなるだろう
 すると思い出の桜は何の痕跡もなくなる
 一本あった八重桜も切ったからである
 それも淋しい、何かこの辺ではそうして思い出になるものが消えてゆく
 津波で右田の松原は消えたしいつもゆく原町への金沢への道もソーラーパネルになったりして変わった
 ただ池の所の松一本は残っている
 でもまたそこには廃棄物を処理する会社ができたから風致は乱された
 ともかく思い出の場がなくなるのは淋しい

 変わらずに松一本や秋の蝉

 何か駅前でも木があったりとするいいのだ、それは思い出の風景として記憶されるからである、駅は高速のSAとは違って自然でも映える場所だとなるからだ
 それで鉄道が好きなのである。鉄道が写真になるのはそのためである
鉄道には情感がある、それは鉄道には人間の長い時間の中で人間の情はしみこんでいるからである、そこが高速とかとは違っているのである。




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