2018年10月23日

人間が最後に問われるのは人生の意味である (歴史でも問われているのは意味である)


人間が最後に問われるのは人生の意味である

(歴史でも問われているのは意味である)


オウムとは何だったのか?
それを考える時怖いのは優秀な青年が無意味に死んだということではないか?
最後は死刑になったときそれが厳しい過酷な現実として示されたのである
その死に直面したとき本気でその生を問うたが遅かったとなる
つまりそれは災いをもたらした他者を勝手な宗教の曲解で殺したことである
だから何であれ人を殺したものは殺されてもしかたがないとなる
その理由がなんであれそうなる

人間はともかく動物のように食べなければ生きていけない、パンなしでは生きていけないでもパンのみでは生きることができないのが人間でもある
そこにジレンマが生まれ葛藤が生まれる
日々の生活はただ食べることに動物のように追われる、利益優先になりそのためにはいちいち意味を考えていたらできない、まずは利益だとなる

でも恐ろしいのは人間が最後に問われるのは求めるのは生きる意味であり生きた意味だとなる、だからこそ一体戦争で三百万人死んだけど今問われているのはその意味なのであるそんなものを無意味だったとなればその生も死も無意味となる
それこそ空恐ろしいことになる、意味がないことのために3百万に死んだのかとなるからだ

カルト教団の怖さは何か複雑な社会で優秀な青年が意味を求めてカルトに入ったりしている、自分もそうだった、でもそこは何か意味を与えるように見える
複雑な社会でそうしたカルト教団に入るのはやはり意味を求めていたからである
つまりオウムに入った青年は純粋だったということを直接接していた記者など言っているからである
それは自分も創価に入っていたから理解できる、何か意味あるものとして錯覚するのである、そういうふうに仕組まれているのだ、だからこそカルトなのである
現実は社会で利益優先にしているのと同じなのである
ただそこに何か巧妙に宗教を利用して一票を得て権力を手中にするのが目的なのだが王仏冥合とか中世時代の思想をもってくる、それで理論的に正当化しようとする

だから矛盾してくる、一票とることが成仏することであり入れなければ罰があたると恐怖におとしこむ手法である、平和の時代は武力で政権を奪取できないから票をとることで政治権力を得ることに奔走する、そこに宗教がかかわると矛盾しているけどそうなる
現実に民主主義の投票でもアフガニスタンでは30人くらいが投票のために殺されているのである、投票という行為で政治を変えるということが本当はむずかしいものなのである中国では民主主義がないからその政治は暗黒なのである
一党独裁であり反対者は闇にほうむられる、サウジアラビアでも批判した記者が暗殺された、それはまた宗教がかかわると怖くなる
オウムのように宗教で正当化されポアされるのである
それでヨ−ロッパではカトリックの政治支配があり政教分離になった
戦後も天皇が現人神(あらひとかみ)となり国家が国家神道となり宗教と一体となったから政教分離になった

いづれにしろ人間は歴史となったとき問われるのは意味である
一体カルト教団がどんな意味があったのか?
それが歴史的に問われる、人生個々人でもそうである
最後に問われるのは意味なのである
だからこそその前から実は意味を求めて人生を生きることが大事だとなる
でも現実社会は利益をもとめるのが最優先なのである、利益が上がればいいとなり是認される、実際銀行などでも何をするところなのか?
それが良くわからない、ただ投資信託を売りつけ手数料をとればいいとなり営業の銀行員はノルマを果たせばほめられていいとなるだけである
でも本来の銀行業にはやはり地域に貢献して意味を求めるものがあった
でも利益優先になるときそれは無視されるのである

意味を求める時それはあらゆる分野にある、ジャーナリズムにもあるしいろいろな職業にもある、ただすべてが利益優先になる、そこで歪められる

でも人間最後に問われるのは意味である

もしオウムのように有為な青年が意味なく死んだとなることを思えばわかる
また戦争で有為な将来有望な青年が死んだというときそれが無意味だったとなればその3百万人の死は何なのだったとなる
それは空恐ろしいことになる、人間はそんな簡単に無意味に死んでいいのかとなるからだただ何が意味があるのかとなるとそれは具体的な利益のように見えない
いくらいくらもうかったとか、議員になれたとか地位を得たとか具体的な御利益とはならない、だから庶民は多数はただ利益になるからと御利益で宗教団体に入る
それは何でもいいとなる、それであれだけの数となり今度はその数が権力となり社会に圧力をかけて利益を得ようとするのである

ただ最後に問われるのは歴史で問われるのは意味である、意義である

例えばナチスに何の意味があったのか?ファシズムに何の意味があったのか?
そういうことがオウムであれ戦争の死者であれまたこれからも問われる
明治維新だっていろいろに問われるている、見直されているのもそのためである
明治維新が礼賛されるだけの時代は終わったのである
そういうふうに歴史が常に見直されるのは意味を問うようになるからである
人間は誰でも哲学的存在なのである
意味がない生や死こそ本当は恐ろしいものなのである
そして意味とか価値は時代によって新しく作られてもゆく
例えばこの辺では津波や原発事故で荒廃した、でもここで復興することがあればそれは新たな価値と意味を創造したことになり後世の人たちに評価される
そして先祖が良かったから今の自分たちがあるとか感謝するようになるのである
でも実際は若い人は流出して故郷を捨てたのである
それはまた先祖が悪かったともなるのである、原発など誘致した先祖が悪かったとなるのである

人間の最後になると何か見えてくるものがある

人間が最後に問われるのは意味である

最後から本当は人生を生きなければならなかった、しかしそうはいかなかったとみんな反省しているのだが遅かったとなるのが人生なのである

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