常磐高速の鹿島のSAで丸森の人の手作り展
(丸森の猫神のお守りなど売る)
養蚕が盛んだったころ、養蚕の大敵のネズミを駆除してくれる「猫」を大切にし「猫神」として祀ってきたようです。
猫神の全国的な分布を見ると東北地方や長野県など養蚕地帯が多く、その中でも宮城県、さらには丸森町に数多くの猫神が祀られています。
なぜ、丸森町に多いのかまでは分かっていません
猫神巡礼−猫神の碑(30個)
鹿島のSAでいろいろな手作り展が開かれていた、猫の手招きのおもちゃとかあった
あれも面白い、手が動くからだ
それにしてもなぜ丸森町に猫の碑が多いのか?
時代的に天保と弘化とあるからその頃に増えたのかせしれない、50もあるとしたらなんなのだろうか?
養蚕が盛んにしてもそれだけ猫を碑にするのは金もかかるし手間もかかる
その労力をかけてこれだけ猫を石に彫ったからである
その女性は丸森町の金山の人だった、金山には城があり石垣が残っている
築城年代は定かではないが永禄年間(1558年〜1570年)頃に相馬氏の家臣井戸川将監によって築かれたと云われる。
丸森・金山・小斎一帯は相馬氏と伊達氏による争いが行われ、永禄9年(1566年)相馬氏がこの辺り一帯を支配し、家臣井戸川将監が金山城を築いて籠もった。
そこの人で相馬市の総合病院に入院していた人と一緒になった
その人がんだちゃといっていた
仙台の人は語尾がだっちゃになり相馬だとんだとなる
それが一緒になってんだちゃになった
その女性もんだちゃと使うという、やはり相馬弁と仙台弁が一緒になってそうなった
方言はやはり一つの文化なのである、訛りは国の手形なことは変わらない
ここには原発事故以後いろいろな人が全国から来た
やはり訛りが違っていたのである
おそらく他でもこうしてなまりがいろいろあるのは人が混じり合うからそうなる
それがまさに文化なのである、ただ東北弁は何か馬鹿にされるので嫌なのだけど
やはり方言は地域性があり面白い、みんな標準語になったら面白くないのである
これから何でも地域的なものをまた発見してゆくようになる
明治以降の中央集権時代は終わったからである
丸森については書いたが魅力ある場所である、森が深いしその森の中に深く踏み入れ出れなくなった恐怖を書いた、実際に今でも森が深いのである
阿武隈川も流れているし蔵王も見えるし景観的にもいいのである
飯館村は森に包まれているにしても川とか高い山がないから今一つ景観的には変化がない丸森は景観的に変化がある
何度も新地の坂を越えて自転車で行ったのである
鶯の夕べ鳴きにきゆるやかに川の流れて丸森暮れぬ
丸森はいろいろ歴史的にも興味ある場所である、相馬藩との歴史もあり興味深い場所なのである
タグ:丸森の猫神
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