2018年11月11日

南相馬市議会議員選挙戦はじまる(民主主義の危機) (最大の問題は原発補償金で市が分断されたこと)


南相馬市議会議員選挙戦はじまる(民主主義の危機)

(最大の問題は原発補償金で市が分断されたこと)

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大山議員制作


原町区は一か月十万で19か月分もらった

一人190万もらった

4人分で760万もらった

鹿島区は一人10万で7か月分で70万もらった

4人分になると280万である

760−280=480万になる

この差をどうみるのか?


差が大きすぎた、でも原町区の人はそれなりにもらったから文句は言わない
そして政府や東電に要求するにしてもその動機が弱くなる
どうせもらっているんだからいいやともなるからだ


だから何か原町区の人が来て鹿島区の人と協同しようとした会合があったがうまくいかなかったのである、それは原町区の人はもらっているのだから別に要求しなくてもいいともなるからだ、鹿島区の人はもっともらいたいという強い動機があり要求がある
でも南相馬市全体の要求とは意志とはならないのである
つまり南相馬市全体で一致しないから協同もできないのである
だから合併しても協同が計られなかったという皮肉な結果になったのである





「議員たちは本来、二元代表制のもとで行政をチェックするのが役割のはずですが、実際は自らが行政に食い込み、コネクションを利用して支持者や関係者のために公共事業をとってくる『利権の配分者』になってしまっている。すべてが公開されるべき行政の情報も、議員が行政と結託して『ブラックボックス』にしてきた。住民と行政の仲介者であるはずの議員が、公正な行政の実現を妨害している。今のような職業としての地方議員は、いなくなったほうがいいと考えています」

私たちは普通に暮らす人たちが議員になるべきと考えます。そういった人たちが日常見聞きする問題について専門家やその当事者を議会に呼び、オープンな議論を住民に見せて、住民が賛否を判断する。議員はその仲介役でいいのです」(同)

地方議員をゼロにする運動まで起きている、それはもう民主主義でも資本主義でも制度疲労であり社会の要求に答えられない、民主主義が多数決で公平になっているかとなるとなっていない、かえって不公平になっているのである
それで一票の権利をもっていても投票もしたくないのである
結局何も変わらないからである、そうして民主主義の本場のアメリカでも今無力感がつのり国が二つに分断される、それはもう選挙で多数決で決めることの限界が来ているからである

例えば日本だとシルバー民主主義であり若者がいくら投票しして数が少ないから老人向きの政策になる、それが民主主義が多数決で決められるからそうなる
それがかえって不公平になりもう選挙しても無駄だとなり投票にも行かなくなる
資本主義だって世界の数パーセントが富を独占しているとなると公平でないからもう資本主義はやめた方がいいとかなる、そういう資本主義でも民主主義でも制度疲労を起こしているのである

南相馬市は津波原発事故が起こりあらゆる問題の場所になったのである
政治の場にもなった、日本の政治や世界のアメリカのことも問題になった
だから政治意識が高まったことは確かである、またそうならざるをえなかったのである
それは直接利害をみんな及ぶことになったからである

その最大の象徴が原発事故の補償金問題だったのである
これによって小高区と鹿島区は分断された
それと原町区が関係しないかというと実際はしていた
ネットで百億円鹿島区に仮の賠償金として払うというときネットでものすごく反対した人がいたのである、それは南相馬市の予算から出るからである
でもそれは後で東電からでも支払われるものだったのである
ただ百億円が大きいから反対した
そして小高区の人にはなんでも手厚いサービスがされた
介護でも優先されていた、その時私自身が介護で四苦八苦していたから腹ただしかった
すくに病院でも高速でも有料になったのである、半年くらいでそうなった
原町区と小高区は三年とか無料だったのである
ようやく市長が変わって高速でも無料になったのである

そして前の選挙のとき鹿島区出身の議員が仮設に住んでいた小高区の人と一緒に投票するよう頼みに来たのである
南相馬市として合併すれば別に票になるから鹿島区を優先する必要はないからそうなる
でもこれもおかしいなと思った、なぜそんなに小高区の人が優先されて良くされるのか?そのことが鹿島の人たちはみんな不満に思っていたからである
もちろん小高区の人には言い分がある、でも全面的に問答無用で小高に文句言うこと原発避難民に文句言うことは禁じられるようになっていたのである
NHKでもマスコミでも原発避難民側についていて批判することはタブーになっていた
それが鹿島区の人たちは不満をくすぶらせていたのである

だから南相馬市として小高と原町と鹿島が合併してかえって不公平になったということはある
多数決で決めることはかえって不公平になる、それがここでも起きていた

原町区では鹿島区の三倍の補償金をもらっている

それはなぜか、それに反対できないのか?

国が決めたということもあるがそもそもが同じ南相馬市なのにこれほどの差があるのか?それは国や東電が悪いということは確かである、鹿島区にも30キロ圏外でも配分すべきだとなる、なぜなら同じ南相馬市だからである
ここで南相馬市の一体感はなくなったのである
そのしこりが今でも残り協力できない関係になったのである

ではどうすれば良かったのか?

多数決で決めてはならない、公平にすべきだったとなる

原町区が鹿島区の三倍もらうのはおかしい、二倍でいい、その分を鹿島に配分するとかすべきだった
なぜなら鹿島区でも避難した人は半分いたからである、30キロで区切られたにしろ鹿島でも半分は避難したのである、避難したから原町区の人はもらって当然だったとなる
でもそうなら二分の一にしてその分を鹿島区に与えれば良かったともなる
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こんな風に配分すればよかったともなる、これを四人分にすると原町区は126×4=504万円
鹿島区は103×4=412万円になる、鹿島区は4人で280万にしかならない
そもそも原町区が一人190万は多かったのである
これは一つの例だけど鹿島区がこれでは多いといえば引いてみるとかする50万くらいひいてもいいとかなる
でも確かに鹿島区は原町区と比べて少なすぎるのである
こういうふうに原町の人がしろとして賛成は誰もしない、そしてら原町が多数なのだがら議員だって代表となるには当選するには原町区の人たちの言い分を尊重しなければならない、結局誰も原町区の人は賛成しない
つまりすべて民主主義は数で決まるから不公平になるのである
利害だってそうである、少数者は切り捨てられる、それは他の国アフリカなどでも起きて凄惨な殺戮が起きている
多数決だと多数であれば何でも通るとなっているからそうなる

ここで大事なのは公平感をもたせることである、そうすれることが一番大事なのことだった
確かに30キロ圏で区切られたから国で決めたことだから市ではどうにもならないという理由がある
むしろ一致して要求すべきだとなる、でもその前に国でも東電も差別して協力させないようにしたのである
それを市の方でまた南相馬市民全体でそれに対処しなかったのである
自分たちだけ良ければいいとしかなかった、それは避難区域でもそうである
自分たちが補償金もらって脱出していちはやく家を建てて帰らないと決めた人がいた
補償金はかえってそうして町全体の復興のためには使われなかったのである

でもここでも多数決になるから不公平になる
それは前からもそうだったのである

原町区の人口は7万あったとして5万くらいがもともと原町区の人口だからそこが人口が多いのだから行政でも予算でも原町区中心に配分されると不満があった
今回の補償金でもそうである
原町区の人口が多いからその人たちが鹿島区の三倍もらっていれば何も言わない
原町区の人には不満がないのである
その原因が人口が多いから南相馬市の決定権は原町区にあるからだ
市長選挙でも原町区の票をとらないかぎり当選しないからだ
つまり多数がかえって不公平になるのである、多数の横暴によって少数者は損する仕組みなのが民主主義だとなりシルバー民主主義と同じく投票しても何も変わらない
投票しても無駄だとなって無力感をもつだけなのである

だから議員はいらないとかなる、議員を具体的になくす方法を東京でも模索されていることでもわかる、ただそこにあるのは都民でれ市民であれ国民であれ無力感しかないのである
市民であれ国民であれ何か要求があってもそれが議員を通じて達成されないから無力感をもつだけだとなる、それで民主主義の危機になっている

例えば庶民レベルだと誰を選ぶとかなるとあの若い人は一流の大学を出ているとか評価している、それも変なのである、どういう成果をあげたのかが実際は問題である
どんな大学を出たかなど関係ないのである
それは就職すると仕事ができるかできないかで成果でその人の評価が決まる、東大出ても仕事ができない人は評価されない、でも何か議員になるとその成果がわからないのである

社会は成果に対して厳しい、家を大工さんに修理してもらったら直っていなかった、それでかなりの金はとられたのである、でも直らなかったら金をとる権利がなかったのである医者でも病気を直したら金をとれというが実際は直らなくても膨大な国民の金が医療関係者にとられているから膨大な医療費が節約できないのである
それと同じように議員の成果がわからない、それでも国民の市民の税金で給料をもらうのはおかしいとなり地方議員の場合はいらないという運動まで起きているのである
つまり議員はどういうふうに評価していいかわからないからそうなる
どこの大学出たからなど関係ないのである
ただ庶民レベルだとそうして投票する人もいるのかとなるとまた民主主義は結局愚民主義になり政治家でもろくなものがいないとなっているのである

いづれにしろテーマごとにその時代表でも選ぶ方法とかいろいろ改革が必要なのである
今のままではただもう民主主義に対する不公平感がつのるばかりであり選挙しても無駄だとなり選挙自体機能しなくなる、それは民主主義ではだめだということである
何でも選挙で多数決で決めることがいいのかとなる、それは不公平感が増すばかりなのである

例えばでは大山議員は原町区の人だけど原町区の補償金を一割でも二割でも減らして鹿島区に回すとかできるのかとなるとできない
それを国や東電に要求することはできる、でもそれがむずかしいとなるとき
南相馬市の一体感をもたすために原町区の補償金を鹿島区にまわすとか何か痛みともなうことはできない、つまり南相馬市は小高区と原町区と鹿島区と補償金の配分で分断されたのである
割をくったのが鹿島区でありる、でも南相馬市では原町の人口が三分の二とかなり多いのだからそれで政策も決まるのである
だから投票の数で決まるかぎりこの不公平感はなくなることはない
それはシルバー民主主義でもそうであり民主主義の本場のアメリカでも分断されたように多数決とか投票だけで多数決至上主義が限界に来ているのである
ただそれに代わるものが何かあるのかとなる
いろいろ模索されているけど明らかなことはもう多数決で投票で決める民主主義は制度疲労であり限界に達している、その時どうなるのか?
誰もそうして多数決で何でも決まることに無力感を感じて関心もなくなることである
遂にはほんの党派の人とかしか投票に行かない、もうそうなると民主主義自体機能しなくなる、そういう危機になっているのである


posted by 老鶯 at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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