2018年11月20日

人間は必ず経験を経て教訓を残す (泥棒が残した教訓‐欲をおさえろ)


人間は必ず経験を経て教訓を残す

(泥棒が残した教訓‐欲をおさえろ)

人間は長い間に経験を積み重ねてきた、その経験から諺や教訓が生まれた
三国志などでも戦争の中で教訓が生まれた
それは生きるか死ぬかの経験の中で生まれた教訓なのである
最近そうした諺で教訓でも重い意味があると思った
それはなぜか?それは実人生とか経験の中で生まれていたからである
頭の中でイメージして作ったものではない、事実の経験から生まれたから重みがあるし継続されてそれせ今の社会でも活きているのである
それは地域や時代を越えて普遍的真理ともなる

人間とは科学技術がどれほど進歩しても変わらないのである
様々な欲が根本的に変わらないとしたらやはり科学技術がいくら進歩しても悪がなくならないのである
その人間の業は人間の欲が滅びるまで継続されるのである
若い世代でもやはり同じように犯罪が生まれる、若気の至りでも犯罪になる
そういうことは変わらないのである
それは江戸時代にもあったし現代でも違っているようでも同じなのである
つまり人間の欲が消えないからそうなっているのである

だから私自身が経験したことも不思議だった
泥棒が残す教訓ともあるものだと思った

「その人はある家に入った、そこには…円の金があった、しかしその金はその人にとって目にしたこともいような大きな金だった、その人は貧乏暮らしをつづけていたからであるそれでその金の半分を盗んだ、それでも大きな金だった」

こういう話になるけどなぜこれが教訓になったのか?

半分だけ盗んだということでその人は奇妙だけど救われたとなる
なぜなら全部盗んだとすると裁判沙汰になったりしたかもしれないからだ
盗まれた人は大きな金でもあきらめたからである
それは半分だけ盗まれたとういことで一応まだ余裕があるから訴えることもなかったのである

その盗まれた人にはあきらめたということで恨まないということで互いに何か極端になれば殺し合うとかまでにはならなかった、しかしそうでなければ極端になればそうなったしそういう事件も多いことでわかる
友達に何万とか貸して返さないからと恨みになり事件が起きたりしているからである

ここで何が教訓なのか?

欲をおさえろ!欲を減らせ!

それが災いとかから逃れ徳を積むことになる
人間は欲をおさえられない、欲は限りなく増大してとめられないのである
そこに必ず災いが起きてくるということである
だからどの宗教でも欲をおさえろと説いている、宗教はそういうものである
でもカルト宗教となると欲を限りなく増大させる
煩悩即菩提とかなんとか勝手に解釈して強い煩悩があった方がいいとも説いている
そうしなければ欲をおさえろというとき誰も従わないからである

すべての災いと事件と問題の大半は欲をおさえられないことから起きている
もしこのように欲をおさえれば事件は起きない
それは盗まれた人と盗んだ人双方に言えたなとふりかえる
双方ともに泥棒は大きな金でも半分に盗むのをおさえた
盗まれた方は大きな金でもあきらめた、そこに共に欲をおさえたということである
何か奇妙だけどふりかえるとそうなったのである

原発事故でもそうである、補償金でもめで分断された、それはどっちもどっちだったかもしれない、この経験と同じかもしれない
第一そもそも原発事故も人間の欲と関係してたのである
原発は金になるから誘致した、金になればなんでもいいということで誘致したのである
そこに災いを生まれたのである
金になるなら危険など構わないのである、その欲は限りなく増大してゆく
漁業組合で船主などでは補償金で原発御殿が建つとかなっていた
人間の欲の故に原発が作られたともなるのだ

でも人間の欲をおさえるのが一番むずかしい、それをやめろとか言うとその土地にすら生きていけなくなる、なぜならみんな豊かな贅沢な生活をしたいからである
だから原発には反対できなかったのである

でもなぜ人間は宗教が生まれたのかとなるやはり仏教でもキリスト教でもなんでも欲をおさえるということを説いたのである
資本主義のはじまりも宗教的なものキリスト教の修道院からはじまったというときもそうである
それは欲をおさえて働き神に奉仕する、そこで資本が富が蓄積されて配分されるということだったのである
今の強欲資本主義とはまるで違ったものだったのである
今のグローバル資本主義とか株の世界とは違ったものである、もうここにはモラルは消失しているからである
だから自分自身が株で欲を増大させて失敗したから株も投資も人間の欲がからんでいるから怖いものとなる
別に働いて利益を得ることは悪いことではない、でも何か株とか投資は常に一攫千金とか目指すギャンブルの要素があった
それがモラルにかなった経済活動とは思えないものだった、だから何か資本主義自体がもう維持できない状態になっている
格差が極端になっているから限界になっているのだ

欲がなぜ怖いのか?

それは必ず災いをもたらすからである、人間から災いが消えないのはなぜか?
それは欲があるからだとなる
国の争いでも石油で戦争になったりする、石油というのは絶対に必要だとなりそれのために戦争になる、では石油なしで人間は生きていけないのか?
実際はここ百年ばかりが石油を使用している
それまでは人類は石油を利用していないのである
すると石油なしで生活しえないということはないのである

人間が欲をおさえることが本当に災いを避けさせるとか平和をもたらすということを真剣に思わないのである
例えばもし日本の戦争が石油が入らなくなり戦争になった良くいう
でも別に石油がなくても炭でも薪でも暖房できるのである
ある程度の電気は石油なしでも供給できるのである
そんなことで戦争して人間の命が300百万人も死ぬよりはいいとなる

人間はそもそも欲を真剣におさえることをしないできない

結果的に欲はかぎりなく増大してゆく、借金してまで家がほしい車が欲しい、欲しい、欲しいとなり制限できなくなる
何かを欲を制限することが災いから逃れ平和をもたらすということを考えない
それは真剣に欲がもたらす災いを考慮していないからそうなっているのだ
私自身が経験したことでも双方で殺人事件にまで発展することはありえた
普通にそういう事件は起きているからだ
でも双方に欲をおさえたから何の事件にもならなかったし災いから逃れたのである

そんな殺人事件にならなかったのは奇妙なことだが互いに欲をおさえたことによっていたのである
そういうことは国同士の貿易でも起きてくる、貿易戦争になるのも戦争の原因である
どちらも利益のためにゆずれなくなり戦争になる
それは国同士でも欲をおさえられないからである
自国の欲をおさえられないからそうなる
だから欲をおさえるということが互いに必要なのだけどできなくなり戦争になる

日本でも貧乏になったとか、格差社会になるのはなぜか?
それは金持ちがいても自分たちだけが贅沢したい欲を満たしたいということでそうなる
別に配分すればそうはならないのである、それは金持ちはさらに金を欲しい減らしたくないとなる、それは人間の心理である、増やしたとしても減らしたくないのである
それは自分でも同じだった、自分だって欲をおさえられないのである

平和というのはこうして欲をおさえないかぎり生まれない
剣をもつものは剣で滅びるという時もそうである
人間は何かを断つ捨てるということを真剣に実行しないかぎり互いの平和はない
なぜこの世から災いが争乱が絶えないのか?
それは欲が消えないからである、それで遂に欲でこの世が滅びるというのも理解できる
要するにこの世が滅びないためには欲をおさえろとなるのだ
でもどうしてもおさえられないから滅びるのがこの世なのである

人間の一生は本当にはかない、青春などあっというまにすぎさる
そしてみんな老人になり見る影もなくなる、ただ無常を感じるだけである
もう家族もみんな死んだとか津波原発事故でこの辺は無情だった
私自身も本当にこの世の無常を知った、人間はこの世に束の間生きるだけである
そして消えてゆくだけだとなる
何を成そうが何を得ようが人間の一生ははかない、だから人間の欲もやがては消えてゆく認知症になった母が一円にこだわって使わない母が大金を盗まれて笑っていたのも不思議である、つまりに欲がなくなってそうなったのである
金のことがわからなくなってそうなったのである
その姿を見て不思議だった、最後に欲もなにもなくなったとなる
要するに人間の欲が消えたとき平和が訪れたとなるのか
もしでも正気だったら狂気のようになり騒ぎ殺し合いまでにもなりうるからだ

別に石油がなくても原発がなくても車がなくても生きられる、現実に人類の歴史でここ百年くらいが異常にそうしたものに頼ることになった
それまではそれがなくても生活できていたからである
石油がなくなっても車がなくなっても電気でも今まではなかったのだからそれで世の中は滅びるということはない、むしろ欲で滅びるのが人間なのである
だから欲をおさえるということがいかに大事な教訓であるかそれは宗教が生まれたのである、それは結局実行されていない、科学技術が現代の宗教というときそれは欲と深く関係しているのである、人間の様々な欲が科学技術で実現するとみんな本当に思っているからである、だから科学技術は危険にもなり災いにもなる

なぜなら人間の限りない欲望を実現するものとなるからだ
それで原発でも危険でも作られたからである、結果的に事故となり故郷にすら住めなくなったからだ、科学技術は災いを生むのである
それは科学的精神とかとサイエンスとかと違って人間の欲を実現するものとして魔術的なものとして追求されているからである
何か科学技術は全面的いいものとして肯定されるが果たしてそうなのか?
原発事故の結果をみればわかる、もう故郷にすら住めなくなったからである
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