2018年11月22日

山眠る(俳句は説明がないと鑑賞できない)


山眠る(俳句は説明がないと鑑賞できない)


晩菊や落ち着き死ぬ場のほしも

数日や部屋に散る入る木の葉かな

無人駅二三枚落つ木の葉かな

平和なれみちのく遠く山眠る

みちのくの山々眠る争わず

石一つここに動かず冬の星


俳句は何か短すぎるから鑑賞しにくい、写生だと本当は説明はしない
詩は説明しにくいのである、説明すると散文になる
でもこの俳句が何を意味しているのか?
その背景を読み込まないと鑑賞できない、でもそれがむずかしい場合がある
それで私の場合は説明している

短いからその後の説明が生まれる、木の葉が二三枚家の中に入っていた
風で入ってきたのだろう、それか数日ずっと家の中にあった
その時向かいの家で死んだ女性のことを思った
その女性のことは知っていたからである
でも一週間前顔出していたら死んだのである
何か知っている人に会いに歩いて行った
だから直ってまた会いに行ったのかと思った

死ぬ人は最後に別れを告げるために知っている人に親しい人に会いに来るというのは本当である
兄も交通事故になる前に私の家に来て笑って去って行った
その後は死んだのである

ともかく人間ははかない、この木の葉のように数日部屋に入っていまのとにている
はかなく散ってしばらく自分の家の中にあった、その木の葉を私は見ていたとなる
無人駅のことはシリーズとしてずっと書いている
二三枚木の葉がホームに散ったりしている
何か無人駅だから数人とか待っていて話したりする
それはこのように人はまれだからである
だからこそ話したりできるのである、数が多かったらとてもできないのである
そこに人が少ないから人間的な場が生まれていたのである
ただ商売にはならないとなる

みちのく的なものは何かとなるとそれは東京とか西のように混雑していないことである
みちのくと的なものとはそこは癒しと休息の場としていいのである
ただ正直この辺は津波や原発事故でそういうこともなくなった
それでいろいろありすぎて疲れたとなり山眠る、静かに冬は眠りたいとなる
津波原発事故でみちのくも平和がなくなったのである

人間はとにかく一つの問題が解決してもまた問題が生まれる、延々と問題が生まれる
もう解決は永遠にないのだ、なぜなら一つの問題が解決したらまた新たに問題が生まれるからである、そして絶望的になるのである
だから山眠る、もうそういうことに関係しないで冬は眠りたいとなるのである
そういう場としてこれまではみちのくはふさわしい場所だったのである

老人になると石のように動きたくなくなる、この俳句は前も作っていた
認知症の問題など今の世の中は変わりすぎることで対応できない
認知症だと何か物を置いても変わらない場所にあるといいのである
いつも同じ場所にありその物を動かさないことがいいのである
なぜならそれを動かすと忘れるからである、それで今ここにあったのがないということでパニックになるのである、いつも同じ場所に同じものがあると安心するのである
だから狭い部屋でそうしておけば財布をなくしてもすぐにその場所が特定できるからいいのである
それで認知症というのは現代では治療しにくい、あらゆるものが変わりすぎるのである
また機械の操作も多い、なぜならテレビをつけるリモコンすら操作できなかったからである  

認知症になったら今の世の中は本当に困る、江戸時代のように単純な社会だったら良かったのである、その時代には時代の悪さもあるが良さもあったからである
江戸時代なら物もあまり持っていない、いつも見知っている人と暮らしているとか
それで症状も安定するのである
認知症にとって現代の環境は最悪なのである
例えば今みんなスマホを操作している、でもは認知症になったらテレビのリモコンも操作できなくなるからどうにもならなくなる
今はいいにしても認知症の人がこれだけ増えるのだからそういうとき困るのである

江戸時代のように情でもって人と人が対面的に情的に通じ合っている社会なら認知症の人にとっても楽なのである
それは認知症だけではない、現代が生む様々な問題も江戸時代のような環境の喪失がそうさせているのである
介護とかは機械で代替できない、それは対面的情的に接しないとできないからである
だからこれから情的なものが大きな役割を果たす時代になるかもしれない
なぜならそれは機械ではAIでも代替できないからである



この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185025442
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック