2018年12月02日

冬の日の俳句と短歌 (深野のユッサから大原ー橲原ー飯館村へ―ユッサの庭は貧弱すぎる)


冬の日の俳句と短歌

(深野のユッサから大原ー橲原ー飯館村へ―ユッサの庭は貧弱すぎる)

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舞い去りぬ今日も一羽の冬の蝶

道の辺に南無阿弥陀仏木の葉散る

(深野ー大原)

深野に地元の温泉冬紅葉

集いける地元の温泉木の葉散る

大原やや大根干しぬ家古りぬ

冬紅葉水面に写し川の奥

(飯館村)

離れじや落葉に埋もれ四人石

冬日没る遠山の影刻むかな

満天に漏らさず輝く冬銀河

心澄みきらめき増ゆる冬銀河

冬銀河千、万の星秘めにけり

(真野川)

大岩のここに隠され冬の星

闇深く隠さる岩や冬の星


大原に住みにし人の家なほもありしも住まず冬の日暮れぬ

大原に眠れる人の墓あわれここに生きしと冬のくれかな

橲原の奥にし家や隠されて我が知らじかな冬の日暮れぬ


ぬばたまの世のけゆくや大倉に冬の灯二三誰が住めるかも

(大原)

病院に大原語るその人の思いはここに短き日暮る

大原や子は街に出て家継がず残れる家や冬の日暮れぬ

(飯館)

村人の豊作願ふ井戸のあれ帰らぬ人やまた年暮れぬ

庭荒れて空家となりて久しかな帰らぬ人や冬の日暮れぬ

(我が家)

姉と母待ちにしあれや亡きにしをありしと思ふ冬の夜かな

我が家に帰り来たるも一人かななぐさむ人なく冬の夜ふけぬ

我が家に家族のなしも我が家やよすがとすべし冬の夜ふけぬ

(相馬市)

五本松二本欠けしもなおありや冬田の暮れて道の駅かな




天気がいいので深野(ふこうの)から橲原渓谷を行き飯館村までトンネルを通って大倉を通り帰ってきた、橲原渓谷は通行止めが解除されていた

深野のユッサはこの辺では唯一の温泉となるけどそれが本物なのかどうかわからない
一応温泉にはなっている、でも八〇〇円は高いが温泉ならこの辺ではないのだから価値があり高いともならない
ただあそこの問題は庭は貧弱すぎるのである、それはただ石を並べただけでありがっかりする、あまりにも貧弱なのである

普通のありふれた庭より貧弱なのである、個人の庭より人が集まる場所の庭が貧弱なのはがっかりする、まず個人の庭でも目を見張るものがいくらでもある
最近は船主の人が豪華な庭を作っている、それは軽く一千万以上の庭かもしれない
石だけで相当な値段である、なぜなら見ただけでほれぼれするような巨石だからである
私は石が好きだからしげしげと他人の庭の石を見ている
それで何か写真をとってとがめられたことがある
それに比べたらユッサの庭はあまりにも貧弱である

私は今旅行すらならいい庭がある旅館とかホテルに泊まりたい、そういう宿には泊まったことがないからだ、日本の文化は庭にある、だから京都は庭を見て歩くことになるからだなぜいい庭を作らないのか?予算の関係なのか?
今の時代はハードは整備された、それでこれからの経済は感性の時代だといういう人がいる、それはハードは建物であるがそれにほどこす装飾などがソフトになる
それから実は人もソフトなのである、もてなしとかソフトだからである
そういう時代の変化がある、だから人が集まる場所であの庭はあまりにも貧弱である
私がしたいことは庭作りだった、でも私の家の庭は狭すぎてできなかった

温泉という時長野県のアルプスに近い所の岩風呂の露天風呂は貫禄があった
大きな岩でありその岩から何か本当に英気となるものがにじみでていた感じになる
残念ながら浜通りにはあのような貫禄のある温泉はない
何か岩に癒されるとかなる、そういうことは本当にあると思う

深野から大原に行き大原では私立病院で一緒だったS家の家を見た
そこには息子は住まない、街の方に家をもって住んでいるからである
一か月いて大原の話をその人はした、暇だだからその話を聞いて興味をもったのである
でもそのあとすぐ死んでしまったのである
それで今でも大原を通るとその人のことを思い出すのである

橲原渓谷の奥の方に冬紅葉が美しかった、それが水面に映っていた
そこから飯館に向かった、トンネルを歩いた、あそこは幅が狭く歩く他ない
二キロくらいあるらしいがもっと長く感じた
飯館は坂がきつくて簡単に行けない、今回もひさしぶりである

トンネルを出たら日が暮れかかっていた、かなたの山に安達太良なのか冬の日が輝き没するところだった、までい館で働いていた人は地元の人ではなかった
年配の女性の人だったが地元の人ではない、それも変だと思った
飯館村はまず一五パーセントと帰ったとか言っているけど通りは誰も住んでいない
草野ですらそうなのだからもう村が崩壊したという感じになる

途中で石が四つくらい落葉に埋もれていたので四人石と名付けたがそもそも人が住んでいなければそういう石すら活きてこない、人が住んでいて自然も活きるということがある
人が住んでいなければただの石であり名前もないとなるからだ
小高と比べると飯館村は帰った人が本当に少ない、浪江でもそうである
小高は街でも帰っている人が増え店も増えているとかある
飯館村はもともと広いからもう崩壊したという感じになる
作見の井戸でももう人が住まないと生業が消失すると死んだものとなる
なぜなら人がいないければ農業もしていなければ誰も豊作を祈るということもなくなるからだ、その井戸を見て豊作を占なったということもなくなるからだ

大倉も真っ暗だった、二三灯が見えたから誰かが住んでいるが真っ暗である
それで万葉集のぬばたまという表現がふさわしいとなった
万葉集時代にどんな明かりがあったのかとなるからだ、行燈すらない時代だからである
それでぬばたまという表現が生まれたのである、漆黒の闇である

それから我が家を目指して帰った、満天の星がきれいだった、冬の空は澄んでいるから気持ちいいとなる、夜に行くのも景色が変わるから昼に見えないものが見えるのでいい
飯館は日帰りできる、ただ坂がきついのでなかなか行けない、風が吹くと自転車では行けない、今日は風も吹かないし晴天だったから行って見た
トンネルはできても自転車では何の役にもたたなかった
横の道が狭すぎるのである

いづれにしろ家に帰っても誰もいない、それでも何か家族が待っているような気がするのは不思議である、結局それだけ一緒に長くいたせいなのである
六〇年とか子供の時から一緒にいれば人間はその存在が簡単に消えるものではなかったのである

相馬市の道の駅の五本松の二本は枯れて消えたがやはり五本松として地名が残りまだそこには二本の松があるように見えるのと同じである
そこに長くあったものは簡単には消えないのである
ただまだ三本がまだあるから五本松をイメージできる
しかし津波のように根こそぎなくなるともう何もなくなってしまうという恐怖なのであるもう誰も右田の松原を思い出せなくなる、そこには何の面影も残っていないからだ
一本松もないし何も残らないからだ、土盛った高台とか風力発電の風車とかソーラーパネルになったとき思い出しようがなくなっているからだ
そこに津波の恐ろしさがあった、根こそぎあったものが消失させられたからだ



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ユッサのこの庭が貧弱すぎる、枯山水だとしたらもっときれいな砂があったり白い小粒の石でもしきつめるとかあるからだ
狭いこともあるが狭くてももっといい庭が普通の家であるからだ

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