アメリカの国の成り立ちをホイットマンから読む(短歌十首)
(日本は時間軸に生き外国は空間に生きる)
アメリカの空広々と大なり冬の夕焼け赤々と染む
アメリカの建国いかにリンカーンの丸太小屋や冬の日暮れぬ
大いなる太古の巌層をなし大森林や凍てつきにけり
アメリカの国土広しも長々と冬夕焼けの赤々と染む
アメリカの国土の広しも冬夕焼け赤々と消えず心に残りぬ
アメリカの大陸走る凍てつくや貨物列車の長々と行く
西部なり原始の磐のそそりたち冬の月いで明るさ増しぬ
アメリカの大地に根付きインディアン住みしもあわれ昔を語る
アメリカを希望の地として渡り来ぬ夢のふくらむ大陸なるかな
アメリカの冬の夜ふけぬアムトラック誰か一人おりプリンス駅かな
とても書ききれない
詩にも言葉にもできない
新大陸の万物が人々の営みが
一人の詩人、ホイトッマンにおしよせる
その万物に人々に意味を与えようとした
多くの死者にも、名もなき人々にも
アメリカに国王はいない、貴族はいない
アメリカは血筋ではない、自力で這いあがる国
一人一人その土地を拓いて主となった
その自ら開いた土地を守るのは銃であった
その荒野に警官はいない
荒々しい原始の巌が屹立する
彼らは何を頼りとしてたのか
聖書一巻たずさえ信仰なのか
彼らに古いヨ−ロッパの教会は大聖堂はない
その歴史もない、粗末な教会を建てる
リンカーンは粗末な丸太小屋からはじまる
黒人は奴隷として連れて来られる
白人の下で働かされる
しかしその黒人も建国とともに古い
アメリカに様々な国の人が人種が押し寄せる
アメリカ合衆国はいかにして成りしか
それは壮大な実験場なり
今も移民が押し寄せる
アメリカの産みの苦しみは今も続いている
アメリカの土地はその広い土地
その資源、石油、そして機械工場産業
巨大技術が大陸に適応する
莫大な富を産み出すも
アメリカの歴史はまだ古層とならぬ
原始の山塊が岩山が砂漠に横たわる
なお国は新しく産みの苦しみにある
人種や言葉が混交して分断の危機にある
アメリカの国土はまだアイデンティティ化されていない
広大な原始の大地がまだ広がっている
まず国を理解するとなると容易ではない、地理の理解に始まるがそれ自体が中国でもアメリカでもあまりにも広大すぎるのである
日本の感覚では理解できない広さである、空まで広いと感じる
それで日本は時間軸に生き他の国は空間に生きるというときなるほどと思った
日本は狭いからその狭い中で工夫して生きる、時間軸というとき狭い中で何か時間的に集積してゆく狭い土地で生きる術を身につけてゆく、それは土地が制限されているからである
だから日本には空間を生きるより時間を活きるとなるのかもしれない。狭い中で歴史の積み重ねがあり工夫して生きるとなる
茶の湯などの文化も狭い国に生きることから生まれた芸術である
俳句とか短歌でもそうである、俳句などこれほど短い詩は世界で存在しないからである、それは日本の風土にあったものだから生まれたのである
それでグランドキャニオンを前にして俳句とか短歌など作れるのかとなる、その差に愕然とした、そこは地球なのかと火星なのか別な惑星に来た感じになったからである
その時言葉を失う、とても一句詠むかという気分にもなれない、それほどスケールが大きすぎたのである
外国が大陸国家になると空間を生きるというのはその広さを知ればわかる、無限に広がる大地が空がある
すると遊牧民などは無限の大地とか草原とか砂漠がありそこを移動してゆく、移動する生活である
特定の場所にこだわり生きる訳ではないからこれまた理解しにくいのである、一つの場所に日本の村のような所に生きるのではない
それで日本では一つの狭い場所からぬけられないから村八部が制裁になる、それは重いものとなる、そこで暮らすことが辛くなるからだ、そしていじめが日本ではどこでも普通にある
北海道には広いからいじめがないというときそうなのかともなる
日本の感覚は狭すぎるのである、大陸国家だと空間を生きるというときその住んでいる場所が暮らしにくいとしたら移動すればいいのである、するとその広大な土地に新しい世界が開けるとなる
空間を征服することが生きることになる、世界史をみてもそうである、空間が拡大してゆくことが新しい世界を見ることであり開けることなのである
日本でも明治維新で北海道がフロンティアになったことでもわかる
まだ開かれていない土地があったからそうなる、アイヌが住んでいたとしてもそれはアメリカのインディアンとにていてやはり広大な開かれていない土地があったから移住できたのである
遊牧民の空間感覚は農民のように土地に定着するものと根本的に違っているのだ、その世界観も違ってくる、都市は遊牧民が作ったというとき遊牧民は自ずと移動するから商業民族になる
するとオワシス都市があるようにその中継点として都市が生まれる
空間を結ぶものとして都市が生まれる、オワシス都市を結ぶものとして都市が生まれたとなる
農業からは都市は生まれにくいともなる、農業は移動しないからである、都市は商業都市であり物資の流通や人が行き交う場所に発展して作られるからである
そして空間を生きるという時大陸国家では河が重要な役割を担う
それは道路と同じであり遠くを結ぶものとしてある
広い空間の離れた地点と地点を結ぶものとしてある
河は運河ともなり現実に道路と同じなのである
資本主義というときcapitlismでありcapitalとは頭のことである
それは羊の頭だともなる、羊とともに移動して生活するのが遊牧民である、そこから資本主義が生まれたという説もある
(英語: capital)の語源は、ラテン語で「頭」の意味を持つ「caput」で、12世紀から13世紀にかけて動産を意味するようになり、更に「資本家」や「資本主義」との言葉が派生した「資本家」(英語: capitalist)との用語は、17世紀に「資本の所有者」との意味で使用されるようになった
ここで説明されているように頭には資本という意味もある、日本の株もかぶら(頭)からきているから共通しているのかとなる
大陸国家から資本主義とかグローバル社会が生まれたことは確かである
イスラム世界は遊牧民から生まれた、一神教は遊牧民から生まれた
それは農民から生まれたのではない、一定した土地をもたない遊牧民の宗教なのである
だから空間を生きる遊牧民がやがて地中海に進出するフェニキア人の祖先だったとかとも言われる、アーリア人というのも遊牧民でありヨ−ロッパは遊牧民を祖先とするともなる
ただローマとのなると先祖は農民であり農業国家として発展したのである
大航海時代というときも空間を生きる遊牧民の末裔が開いたとなる
航海は未知の世界でありその知られざる世界を発見することだからである、それは大きな冒険であり死ぬ人もそのために普通にいた
アメリカに船で渡った人たちも死んでいる
今は移民でもやはり命がけで死んでいる、ただ今の移民はそこが豊かだからそこに住みたいと移動する
それもやはり過去にもありローマ帝国があったところにいろいろな蛮族が押し寄せたという時ヨ−ロッパの歴史にもそういうことがあった、文明国を目指して蛮族が移動したのである
つまり大陸では空間の移動が大規模に起きる、それで歴史が変わる
日本ではそういうことがなかった、海に囲まれていてなかった
ただ秀吉が朝鮮半島を遠征したことはあったくらいである
それ以上広がらないのはやはり海に囲まれていて大規模な移動ができないからである、そのことでモンゴルも大挙押し寄せたが海にはばまれて日本は征服できなかったのである
いづれにしろホイットマンの詩が理解しにくいのはその広大なアメリカを詩っているからなのだ
押韻も、古典も、外国の宮廷に漂う香料も、屋内の書庫もわたしは歌わず
私の歌う香気とは、例えばメインの松林、それともイリノイ大草原の息づかい、それにバージニア、ジョージア、テネシーの、それともテキサスの台地、フロリダの湿地帯から
それともサギネイ河の黒い流れ、ヒューロン湖の広く青い湖面から
漂いよせるさわやかな空気、
そしてイエローストーンの風景やヨセミテの描写
それに底流を成す低いつぶやき、すべてにくまなくゆきわたる
不変の調べ、世界の二つの大海から終わりなくひびきつづける
あの波立ち騒ぐ海鳴りも歌うつもりだ
これだけの広大なのアメリカが開けたしそれを詩にするとなるとあまりにもスケールが大きすぎるからそれを日本では理解しにくくなる、日本ではこうした詩が生まれようがない
それはそうした背景の風土がないからである
日本は最果ての土地にひかれるというけど島国だからすぐに最果てになってしまうのである
そして大陸国家が遊牧民から始まって空間を生きるというときなぜかアメリカ人が西へ西へと進出する拡大してゆくというときそういうふうにそもそもが空間の拡大征服を生きるのが遊牧民だったからだとなる、そういう性質というか文化をもつ人たちだったからだとなる
アムトラックでアメリカを旅した、それでもロサンゼルスとかからシカゴまでとか行ったのはアメリカの一部なのである
とてもその広大さを理解することはできない
テキサスとなればさらに広くメキシコに接する土地となる
砂漠もあるからその広さに空間に生きているというのはわかる
その広大な土地の感覚から世界を見るからアメリカを理解するのがむずかしい、日本はその土地に制約されたものとなる
だからこうして遊牧民とか空間を生きる世界から生まれたという資本主義というのは日本にはあっていないのである
グローバル経済もあっていないのである
そういう世界に適合できないのである、そこに文化や歴史の相違があり溝があり適合できないのである
大陸国家では常に空間を生きるから摩擦が戦争が生まれる
ともかく激しく対立してそれでそのあとに調和を産みだす、理解し合うとなりルールが法律が生まれる
それで外国では自分の主張をいい喧嘩もいとわないとなる
そこで互いの合意点を探るとなる
日本だと争うことをそもそも嫌う、それは狭い土地で村とかで生活して離れられないからである
だからなるべく穏便にすませる、事をあらだてないとなる
いい点としては敵味方塚のように敵まで手厚く葬る
東北では明治維新の戦争でも薩摩長州軍でも官軍でも敵味方塚として葬っているのである、それを中国人が見たらありえないとしている、中国では墓まで暴いて敵を罰するからである
それだけ大陸は空間を生きる、その争奪戦が過酷になる
民族同士が熾烈な戦いになる、負けたものは奴隷にされる
そういう過酷な世界なのが大陸国家だったともなる
日本は歴史でも異民族との争いがないから敵味方塚がありえたのである、同じ日本人じゃないかとなり通じ合うからそうなる
腹でわかるとかなる、でも外国ではそうはいかない、わかるように説明しなければならないのである、そこでルールが大事になり法律が生まれたのである
【評論鑑賞(本サイトリンク)の最新記事】
- 金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論..
- 感銘した漢詩ー天華が入っていた (..
- 俳句の英訳の試み (外国語でもその言葉..
- 菜の花の俳句(外国でも菜の花が咲いていた..
- 神の園の鷺(詩) (人間はなぜ自然..
- 心(こころ)の詩 (心はここのこと..
- 平家伝説殺人事件ー故郷とは何かを問う ..
- 老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)
- 先人の知的遺産を活かす (古典にな..
- 死者は生きた地に場にいる (死者とともに..
- キリコの絵と万葉集の比較 (場所の..
- 小さな畑に何のために投資するのか? ..
- 場所の現象学を読む(場を無視した工業化情..
- 代悲白頭翁(劉希夷を読むーその激しい変化..
- 冬の詩と漢詩の鑑賞 (現代文明は自..
- 現代の旅では風景も記憶に残らない ..
- 河の俳句から歴史をたどる (淀川か..
- 芭蕉と蕪村の五月雨の俳句の鑑賞
- 死者は面影となり生きる(古典の短歌を読む..
- メールで質問がありました (高村光..