2018年12月15日

相馬藩内の花の短歌 (狭い地域でもそれぞれ個性がある


相馬藩内の花の短歌  

(狭い地域でもそれぞれ個性がある

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相馬市の城跡あわれ藤の花夕闇の中に灯のともるかも

真野川の岸を歩めば草深く月見草咲き夕暮れにけり

原町の線路にそいてひまわりや電車の音の昼にひびきぬ

飯館にソバナの花のあまたかな草深くして家々静まる

飯館に芙蓉の花のおおらかに咲きて隠さる家々なるかな

小高の城跡に立ち海望む紅梅しだれ古りにけるかな

なみなみと青々とのぞむ海村上城跡かもめ飛びゆく

海望み船の行くかな山により桜の咲きて風に散るかな

相馬焼ここに伝えて柿なりぬ大堀の里ありしときかな

高瀬川激ち流れて春の日やさらに上へとのぼりゆくかな

高瀬川そそりし岩や紅葉して色の一際赤くなりしも


その場所にあった花がある、ただこれは外から来ただけではわからない、ある場所に長く住んでいないとわからないものがある
相馬市と原町の区別がつきにくいが相馬市は城下町であり何かしんみりとしているのである
入母屋作りに公共の建物が統一しているのも城下町作りとしては良かった
ただそれに反対する人もいた

相馬市が藤の花だというときあそこに古い藤の木がありそこにたたずむとやがて街が暮れて静かに灯がともる、それがなんともいいのである
それは相馬市がそれほど繁華でない街だからそうなっているのだ
相馬市の街は駅前通りがあっても駅前から発展したのではない
城のある所から街作りしたからそのままなのである
原町は街道が街としてあっても駅前通りが発展した
それは原町が機関区になっていて物資を運んだからである
原町は新しい街として明治以降作られたのである
だからひまわりが似合っているとなる
原町の線路の脇に高い大きなひまわりが咲いていた、今は咲いていたが今は咲いていないともかく相馬市と原町の感覚は相当に違っているのだ

次に小高だと相馬氏が最初に城を築いたところであり枝垂れ桜が咲いていた
そこから海が見えたのである、意外と海が近いのである
この辺では海が近くても海が見えない、でもちょっと高台に立つと海が見えるのである
小高は海が近かった、津波が駅のすぐそばまで来たことには驚いた
その下の水道官から駅を越えて津波によって泥が運ばれたのである

そのことでもともとは駅前は海でありそこには中世に鎌倉時代辺りに港があり蔵院とかがあって相当な船が出入りしていたのだ
そこは港だったのである、それほど海が近い所だったのである
だからそこが海になった時驚いた、それは八沢浦でもそうでありそこも港があった
中世から船運があったのはそうした入り江があったからである
それが失われてわからなかったが津波でその入り江が再現されたのである

相馬藩内でもそれぞれに土地の特徴がある、そこに変化があってあきないとなる
浪江になると前は高瀬川の上流に大堀があり相馬焼の陶工の村があった
そこは高瀬川渓谷に入る所であり場所が良かった
それは原発事故で失われた、それも大きな痛手だった
浪江はほとんど人が住んでいないから悲惨である
ただ別に高瀬川がなくなったということではない
以前としてそこは風光明媚な所なのである

飯館村は森に包まれた静かな隠された村だった
それが原発事故で人が住まない土地になった
田んぼの表土がけずられて無惨である、あとは放射性物質の廃棄場がいたるところにある草野はソーラーパネルが敷き詰められて変わり果てた
素朴な村という感じもなくなった、それより人が住んでいないのである
飯館村の特徴は一軒一軒が離れてあり森につつまれてあった
そこは広いから牛を飼うには良かった、放牧できるからである
今何軒かはじめている、牛の餌は買えばいいとなるから意外と農業よりはいいのかもしれない、農業となると土に頼るから土が汚染されたらどうにもならないからである

人間は場所が変わると心も変わる、飯館村に行ったときは特に変わる
何か花まで草深く咲き純なものが自然のままに隠されて人知れず咲いているとなる
ただ残念なのは原発事故前に大倉から入り峠を越えた所に人の手が入らない森がありそこに清流が流れていた、そこは神秘な場所であり秘境だった
それが道ができて喪失した、秘境というのは今でもある
それはなかなか外から来てはわからていのである、丸森にもあった、そこに行くには道が悪いから簡単には行けない、そこを行ったら道に迷い深い森から出れなくなった恐怖を味わった、それだけ丸森は森が深いのである、飯館も70パーセントが森なのである

それが放射性物質で汚染されたからどうにもならない
ただ森は森として依然としてある、ただこの森に放射性物質が循環して消えないから困るのである
もし森とかでも色が変わったりしたり枯れたりしたらそのショックが大きくもう住めないとなっていたことは確かである、水でも汚れたりしたら住めない
以前として水は澄んでいる、でも魚は放射能で汚染されているのである
それが放射能被害の不思議なのところだった

いづれにしろこの辺は元の状態にもどらない、それは三陸とか他でも津波の被害にあった所は復興していない、それだけ甚大な被害だったのである
8年になろうとしていても復興はしていないのである

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