2018年12月29日

失敗した原発事故後の政策と処理 (飯館村に移り住んだ田中俊一氏の指摘)


失敗した原発事故後の政策と処理

(飯館村に移り住んだ田中俊一氏の指摘)

iidatemurara1.jpg

文芸春秋に2018−4月号で意見を述べていた

●早期に避難解除すべきだった

●除染は表土をはぐのではなく下の土を入れ替えるべきだった

●放射性物質は各自治体が管理処分場を作るべき

主な意見はこういうものだった、早期に避難解除すべきだったというのは別に飯館村でも双葉とか大熊を除いてはそうだった
避難生活が5年以上になった結果若い人たちは他で生活するようになり仕事も他で持ち子供の学校にも入り別な暮らしになってしまった
他の土地で生活基盤をもつようになったら帰れなくなったのである
そして大家族で住んでいた人たちもみんなばらばらになったのである

そもそも小高などは海岸部は放射線量が低かったから避難させる必要はなかったのである0・5マイクロシーベルとであり浪江すら海岸部は街中でもそんなものだった
でも双葉に入ると7マイクロになっていたのである
つまり明確にブルームとなって雲のような塊りとなって飯館村の方に流れたからである
でも浪江でも全部を避難させるとかさらに長く避難させたことが失敗だった
30キロで強引に区切ってそこに生活しているものを全く無視して避難させたのである

除染に何兆円もかける必要もなかった、田中氏は放射性物質は各自治体で処理すべきだというとき運ぶと金がかかるからその金が外部のものに使われからだという
そのことは原発事故周辺ではゼネコンだとか暴力団関係者が来たとか地元の復興のために役たたなかったのである

表土は下の土と入れ替えるべきだったというのもわかる
飯館村に行けばわかる、田畑の表土はけずられ無惨な状態になった、荒廃したものとなった

放射性物質が付着した土をとりのぞくために、田んぼの表土を無闇にはぎとってしまったのです、土建業者に頼ってブルドザーではぎとったため重機が踏んだ土は硬くなってしまい水田として再生するのは容易でくなったのです

まさにその土地のことを良く考慮しないで検討しないでブルドザーで表土をはぎとる
津波の被害地では高台を作って住民を住まわせようとしても住む人がなく街が成り立たない復興できないというのも同じなのである
強引にその土地のことを人たちを考慮しないでブルドザーを入れて一方的に工事をする
それが権力をもつものの怖さである、早く復興するというのも必要だがこれだけの災害だと簡単にはいかない、時間がかけてやるということも必要だったのである
だからすぐには原爆のように被害がないのだから中核メンバーでも放射線の被害が少ない老人でも残るべきだったとなる、それを全員を避難させたり強引なやり方で自治体ずたずたにされたのである

そして多額の補償金を出したがかえってそれでそこに住んでいる人たちが分断されたのである、30キロで区切った結果原町でも深野(ふこうの)では牛を飼っている人が不満を盛んに言っていた、30キロで区切られるとそこで補償金の差が格段に違ったものとなるからだ
ただ一時飯館村で放射性物質を入れたフレコンバッグが雨で流れだした
するとその放射性物質が南相馬市にも流れてくる
土地はつながっているから飯館村だけの問題ではないからここは疑問である

このことはずっと私自身も書いてきた、避難させなくていい人たちを避難させた
避難解除を早くすべきだったのにしなかった
その間に避難者はギャンブルとかに興じて働く気もなくなり遊び人と化してもう補償金で暮らすことしか考えなくなった、特に老人はそうなった
早く避難解除して帰らせて復興のために働くべきだったのである

そして避難生活が仮設生活が長くなりそれが心まで荒廃させたのである
町を復興させるより補償金をもらうことしかなくなったのである
もし2年くらいで解除されていればまた違っていたのである
なぜなら農業は三年していないともうできなくなる、体が動かなくなると二人の経験者が同じことを言っていたからである、だからせいぜい二年が限度だったのである
それが5年以上になったもう復興できなくさせたのである
政府の失策が町でも村でも崩壊させたのである
それは原発そのものがそうだったのが事故処理でもそうだったのである

例えば被爆するとうときものすごく怖いものとして爆発したとき感じた
原子爆弾のように感じたからその時の判断が誤ったのである
被爆といってもすぐに広島のように人が焼けただれて死ぬようなことはなかったのである
確かに爆発したとき20マイクロと高かった、それも浜通りでは双葉大熊以外では0・2とか0・5くらいまでしかならなかったのである
それでも年に一ミリシーベルを主張して避難すべきだという学者がいた
それもわかるにしても現実生活がありそれを一挙に崩壊させることが間違っていたのである 

確かにその影響が10年後とか20年後とかさらに長く放射能の影響がある、ガンにもなるとかいうのはわかる、それでもそれは先のことだから科学者にもわからないことなのである町や村を崩壊させたらもともこうもない、だからまず町でも村でも維持するために残る人たちがいて良かった
例えば老人は放射能とあまり関係ないから避難しないで町や村を維持すべく働くべきだったともなる、現実に飯館村の人が老人には関係ない今までのように山菜まで食べていたのである、一律にみんな避難させたことが失敗だったのである

ともかくこの辺は津波もあったが原発事故が重なり家族もばらばらになったとか補償金では心が分断されたとかもう若い人は避難区域だったところには帰ってこないとか自治体をずたずたにされたのである
そしてその後の政府の復興政策もずさんであり良く検討もしないで成された
緊急性があり30キロで区切り全員避難させた、それも大失敗だったのである
それは政府だけではない、自治体自体もそうだったのである
何の手も打たない、ただ30キロで区切られて政府の言いなりになるだけだったのである
ただここでは政府と自治体の意志疎通ができていなかったことが問題になった
なぜなら桜井市長が左寄りの運動家で自民党に政権が変わった時意思疎通ができないとかなりうまく対処できなかったとも言われる
結局個人的にも日ごろの意思疎通がうまくいっていないと緊急の時対処できないのである
そのことを一番示していたのが事故の時吉田所長と東京の東電幹部がテレビ会議をしても意思疎通できなくなっていた、吉田所長は現場の監督であるから自分の意見を言ったが東京に住んでいる人たちと意思疎通できなくなっていたのである
いくら通信が発達しても離れているとそうなりやすいのである
だから原発は東京に作るべきというのは正論だったのである

そこなら近いし安全を監視する都民がいて東電の本社で四六時中監視できるからである
それができなかったのは一千万の都民が反対するからである
安全神話を作るくらいだからそれだけ安全なら都民を説得して原発を作るべきだったのである、それできないなら福島までもってきて作るべきではなかった
だからこれは都民の問題でもあった、福島に都民が電気の必要のためにおしつけたとなるからだ

そのために原発周辺はずたずたにされたのである
それは津波の被害地域でも政府の復興政策は失敗したと指摘する人もいる
何かそこの住民と密接に話し合わないで一方に決めたのである
そこに住んでいる人たちの言い分を良く聞かないで復興事業を開始した
でも土地を整備して嵩上げてしても人が住まないということにもなったのである
そこに住んでいる住民の意志は無視されていた、十分な話し合いもなく政府が強権的に政策を実行したためである
そして自治体側ても政府のなすままであり何か有効な対策をたてることもできなかったのである
ただ緊急の時はえてして付け焼刃のようなことをする、じっくり互いに話し合い検討できないからである、だからこそ政府は実行力があり権力があるのだからその上に立つ人により下も影響されて甚大な被害になるのである

saftynnnn1.jpg


posted by 老鶯 at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185282938
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック