2018年12月30日

冬深む(年終わる)


冬深む(年終わる

housekofun1.jpg

近江高島市の家形石棺



我が家を継ぎて一人や冬深む

姉語る柱に寄りて冬深む

集めたる蔵書を読むや冬深む

冬深む村に一つの石重し

この石の位置の変わらず冬深む

ふるさとに死者を思うや冬深む

根は深く大地に張りて冬深む

ものみなの静まる時に雪のふる

事もなく今年終わりぬ山眠る

寂けさややがて雪ふり年暮れぬ 
                                          

石造り家型古墳の重々し北風唸りここに生く人



家型石棺重々しかも
ここに生きにし家族なれ
ここにいつまでもあれと
その石棺の重しかな
家族は離れがたくも
ここにあらむと石棺に収まる
落葉を踏みて我がたずね
ここに冬は深まりぬ




今年も終わりになった、家族がみんな死んで一人家に残されたのが自分である
やはりまだ継続して家族でも家でも行きてく、生きるというとき活きることなのである
何かしら活かされることなのである、家でもやがて跡継ぐものがいなくなれば活きることがなくなる、廃墟となるのである

姉は良く柱のことを言っていた、それは近くの橲原(じさばら)の木を同級生の人が木こりをしていて提供してもらって家を建てたといつも自慢していたのである
だからその柱によると何かそれが姉のようにもなる
実際に家族はその家という建物に住んでも柱となって支えたとなる
だから家とはやはり人がいて人がいなくなっても以前として人を思っている
そこに家の重みがある、だから家がそういう思いでとかがつまったものだから老人は愛着があり離れられないとなるのだ
それず避難区域に帰ったのは老人が多いのである

それで近江の琵琶湖畔の高島町の家型古墳はその人間の家を象徴していたのである
どっしりと重みがありここに家族が生きていたという証になる
人間はやはり家族があって人間として生きていたともなる
家族の紐帯が一番強いからである
その他は現代では特に金の関係でしかなくなったからである

ずっと言っていることだが変わらないということに深さを意味を追求する
それがやはり人間として自然だともなる、確かに旅ばかりしていた自分はそういうことはなかったが今になると変わらないものが貴重に見える
変わらないものがある時それで心も安定する
それだけこの辺は変わりすぎたからである
もう老人は変化に弱い、認知症になったらもう今まであるものしか理解できない
それで認知症は謎なのだけどこれは老人一般の心性でありそれが極端化した病気だともなる

老人の心性は過去に生きる、どうしても新しい人とか新しいことになじめないのである
今まであったものを深めることに向いているのである
だから新しい知識でも技術でも新しく起こることに適応できないのである
今まで付き合っている人ならいいが新しく付き合うことがむずかしくなる
だから離婚とかするのは時間の相当な損失ではないか?
他人が親しくなるのは相当に時間がかかる、だから長く一緒にいてまた別れてまた親しくなるというのは時間のロスが大きいとなる、時間が貴重なことが老人になるとわかるからである
時間はもうとりもどせないからである


とにかく今年も終わった、今年をふりかえると何も苦しみがない事もない一年だった
そういう年は介護してからなくなっていた、絶えず何かで煩わされて苦しんでいたからである
ただ家族がいたときは30年間は平穏な日々だったことも不思議である
こういう恵まれた生を送れた人もまれかもしれない、それは特殊な家庭環境でそうなったのである、普通はありえないことである
ただその楽したこと恵まれたことがカルマとなり塗炭の苦しみとなったのである

楽することも実はカルマになっていたのである、人間は楽では終わらない
様々な災難が起きたのもそのためである、なぜなら人間は何かしらみんな苦しんでいるからそうなる、楽することを許されないのである
だからどんな人でもどこかで苦しみが与えられるのである
そして楽している人は苦しみを知らない世間のことを知らないから余計に苦しむのであるそれでお嬢さんで育った姉妹が土地持ちだったのに餓死したのもそのためである
世間のことを知らずに苦しむこともなかったからそうなったのである

俳句でも短歌でもなぜ私が十句と十首で出しているのか?
それはこれは短いから一句一首となるとそれだけでは鑑賞しにくいからである
だから十句とか一連のものとして読めばそれが詩のようになっているし現実にそこから詩にもしているのである
インタ−ネットだと自由に表現できるからいい、他では雑誌でも何でも何かの会に入ってもできないのである
ただ反応はないから淋しいとはなる、やはり同好のものが切磋琢磨するということも必要だからである

でも何か私がしていることは一人で雑誌を作っている、編集者になって雑誌を作っているだから多様なことを書いている、雑誌も多様なことを書いている
それとにている、ただ一人でしているということが違っているのである
書くことはいくらでもある、評論でも創作でもいくらでもある
それができるのがインタ−ネットだったのである
インタ−ネットはどうしても情報の発信者になりやすいのである
それは簡単にできるからである、今思っていることを経験したことを即座に発表できることが強みなのである





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