2019謹賀新年(千両と山鳩と松の内)
北泉の延命地蔵に江戸時代の碑があり正月と記されている
ただここは津波の被害で村自体が消滅するような状態になった
だから祭りも途絶えることがある
新年を北風受けて走るかな
風受けて赤さを増しぬ寒椿
舞い上がる木の葉や街の辻走る
峰二つ大原に望み冬深む
千両に山鳩来たる松の内
我が家や千両百両栄えけり
新しい自転車でypj-xcで小高い山道を行った、風も吹いていたが今度の風を受けても走れる、何か半分がバイクになっているからだ
それで北風でも向かって走れる、悪路も行ける優れものである
今までは風が吹くと外に行きたく無いし行けなかった
これだと行けるなと思い行った
北風はここでは毎日吹くのだから外に出れないと困るのである
冬でもやはり外の風を受けることが自然と一体になることである
だから椿に北風が吹きつけてさらに赤く感じたのである
それは実際に北風を自分が受けて走っていたからである
大原には二つ並ぶ峰が見える、あれは二つ峰となる、対なす峰であり夫婦峰とかにもなる人間でもやはり夫婦でも家族でも二つが一体になると強さを発揮する
私の家は特殊だったけど最後は一つになったという感じである
それは死んでからだともなる、twined peaceという感じになる
正月気分というとき一月は松の内となり小正月とかあり正月なのである
それは農業で生活していたときのものであり農業が縮小するとそうした伝統が失われたのである、農業は自然と密接に関係しているからそうなった
正月でなくてても松が立っている間は農民は休んだ、それで松が立っている内は休むから松の内となった、一斉に農民は作業して休むからそうなった
今日聞いた話ではクボタでは農機具を販売するが収穫の時期の秋は忙しい、何かと修理とかも頼まれたり忙しいが冬は農民も休むから暇になるから長くも休みを取れるとか言っていた、それは農民の生活のリズムに合わせているからそうなるのである
農業社会だったらみんなそうなるのである
千両とか万両とか十両でもにているから区別しにくい、ただ縁起物であり新年にふさわしいものなのである
正月は農民の文化であり農民の生活が衰退すると正月の祭りも喪失してゆくのである
ただ季節感は変わらずあるが生活そのものが農民社会でなくなるとどうしても正月というのがすたれたものになる
正月とは特別なものであり神社にも正月と印した江戸時代の古碑がある、それは正月に記念するものとして奉納したとなる
千両と山鳩と松は正月にふさわしい、山鳩は平和であり千両は金運だとなる、松と末永くとか長寿を示してもいる
今年はどうなるのか?去年も自分にとっては平和だった、平和がもどったという感じになった、今年もそうあってほしいとなる
日本も暗いことが多いがいい年であることを願う
我が家は自分の代で終わりにしても栄えた家だったのである
そうなったのは父と姉と母がいてその栄えを作ったのである
自分はただ受け継いだだけだからである
花幸園芸店の作品(南相馬市鹿島区)
はなこうえんげいてん
これは傑作なのだけど近くの花屋の人は思っていない
著作権のことも知らない、でも忙しくて最近はフラワーアレンジメントはしていない
人間は家事から何から色々なことはできないのである
フラワーアレンジメントも結構暇でないとできないと思った
また金もかかるしいろいろなことで使うから最近はしていないのである
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