相馬市の山上の塩手山や茄子小田の地名の由来は?
こういう地形だから塩手山は地形から名付けられた
「なす」の語源は、「なすりつける」とか、「ならす」の意味の他に、「なずむ」というどろどろの湿地の意味もある。栃木の那須は平坦な地形の「なら」に通じる地名由来だ。岐阜県の茄子川は、川がついているので、平らなところを浸食した意味も含まれる。
シオデ(牛尾菜)
漢方では、根茎を「馬尾伸筋(ばびしんきん)」と呼び、鎮痛などに効能があるとしています。
しおしおと
凹んでーしぼんで、生気を失う、陰気な・・・・
地名を解くとき注意しなければならないのが漢字は当て字でありその漢字から地名を見てはいけないのである、もともと音がありそれに漢字を当てたからおかしくなる、誤解されるのである、北海道のアイヌに漢字をあてた結果奇妙な地名になっているのでもわかる
茄子とあるから茄子と関係しているのかというとない、那須は有名だけどそれ茄子とは何の関係もないのである、地形的なものなのである
川が関係しているとなるとあそこにも川があるからそうなのかともなる
そして茄子小田となれば小田は小さな田だからまさにそうである
そして塩手山とあるがそれは何になのか、塩とあるから塩とは関係ないことが多い
それは山の中に塩とつく地名が多いからである
山間に多い塩地名 ― 塩原(しおばら)
(1)楔形の谷の奥
(2)川の曲流部
(3)撓たわんだ土地(長野県北部〈北信〉にみられる)
(4)植物のシオデ(牛尾菜)に由来
この四つのどれかとなる、楔形の谷の奥、川の曲流部、たわんだ土地というとき塩手山とか奈須小田はあてはまる、しぼんでゆくつ地形であり、しおしおという言葉がありそれは何か陰気な生気がなくなる場所としているからだ
確かにそういう地形なのである
もう一つはシオデという植物がありそれは薬草として利用されていた、農家の出の人は自分の家で薬草を作って処方していたという、それは千振(せんぶり)とかドクダミとかである、それから血止め草と呼ばれていたのもあり薬がない時代は自家製で作っていたのである、現実に千振山といかのがあったり薬として欠かせないものが野草にあった
これはチフリ山と読んでいる
この地方で人気のある「薬来山」は、昔は「せんぶり」の宝庫でした。
千振(せんぶり)山とつく地名があるのか?センブリが薬草として貴重だから薬の山はセンブリが豊富にとれる山だったとなっていた
たいがい何か花でも薬になる、トリカブトは毒薬でありこの辺で山中深く咲いていた
漢方薬が生まれたのは人間にとって必然だったのである
ただそういう知識は専門化したがもともと自家製でも作っていたのである
そうしないと生きていけないからである
その農家出の人は納豆まで作っていたというからだ
いづれにしろ地名の由来で一番多いのは地形に由来したものである
だから塩手山がシオデという植物に由来するかとなると疑問である
インタ−ネットでは地名に関するものが多いから参考になる
全国的に共通なものを調べやすいのである
台町とかあったけどかなり高い所にも畑があり見晴らしが良かった
その前にあの辺は今田という地域である、今田とは新しく田にした地域だともなる
新田は新しく開拓した田のことである
あそこには紙漉川というものが近くにあるから紙漉きが行われていたのである
あの辺は地形的に複雑である、入り組んでいるからである
南相馬市と相馬市の相違は原発事故の被害が南相馬市と相馬市では格段の差があった
放射線量は海側だと変わりないが南相馬市では鹿島区でも半分は避難したのである
相馬市は避難した人はほとんどない、その影響が大きかったのである
だから南相馬市の地域は原発事故で田畑が荒地化した、8年過ぎて回復したにしても南相馬市地域では荒地が依然として多い
特に橲原とか大原とか山側になると荒地のままなのである
それから小さな田はソーラーパネルになったりする、小さな田畑はもともと跡継ぎがないとか生産性が低いので原発事故以後は放置されてしまったのである
だから金にするためにソーラパネルにされやすいのである
宮城県とかでも津波の被害地では農業をやめた人が多いというのもわかる
それはもともと農業していたのは60歳以上であり高齢化で継続できなくなっていたからである
ただそうして荒地化しているのが景観として嫌なのである
でも相馬市は山側でもあんなに高い所でも田畑を継続しているから南相馬市とは違っているとみた
そもそも小高などは避難させるべきではなかったのである
みんな言っている、3年農業をやらないともうできない、体がなまってできないと言っているからである、今でも原発事故の後遺症は南相馬市にあり相馬市は津波の被害が大きかったが荒地は目立たない、全国的に耕作放棄地は多い、それをどう利用するのかとなると全部ソーラーパネルになるのかとなると嫌だなと思う
グーグルの地図で見ると山の中にもあり玉野村では大規模なソーラーパネルが設置されることで問題になっているのである
もうそうなると山村というものではない、工場地帯みたくなるから嫌だなと見る
海岸部は仕方ないにしろ山の中までそうなるのは景観的に嫌だとなる
でも私の場合は景観とか風流だけから見ているからそうなる
そこで生活するとなるとまた違った問題になるのである
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