2019年01月17日

ボランティアの矛盾 (遠くの人が助けて近くの人が助けない)


ボランティアの矛盾

(遠くの人が助けて近くの人が助けない)


東京の方から去年だったか、まだ仮設に住んでいた小高の人の引っ越しを手伝いに来たボランティアがいた
そんな遠くから良く来てくれるものだと感心していた
でもよくよく考えると交通費はどうしたのだろうとか、そんな遠くから自費でわざわざきてもらうほどなのか?それが今になり疑問になった
津波でも最初は京都とか大阪から来て泥をとりだしていた
その時は労働力が必要だったし地元ではできなかったからだ
その時は有効に働いていたのである

でも5年6年すぎるとどうなるのだろうか?
第一小高の人たちは津波の被害者と違ってそれほどの被害ではない、家を失ったり家族を失ったりしていないのである
それで補償金を多くもらったりして喜んでいた人もいるしまた仮設暮らしを楽しんでいた人もいるのである
でも毎日のように仮設に入った人はやることがなくパチンコだとギャンブルで遊び暮らしていたのである、補償金も入ってそうなったのである
だから外から来て働く人が怒っていたのである
そういう人たちを見たらやる気がなくなるからだ

そもそもなぜ5年とか6年過ぎてもボランティアが来ていて引っ越しの手伝いをしていたのだろうか?何も近くの人で小高の人たちが協力すればできることだった
そうして引っ越し費用も必ず援助されるのが原発避難者だったのである
そうすればその金で引っ越しを手伝う人もいただろう
金に困っている人は周りでいるからである
その事情はわからないにしてもこういうことは他にもあった

でも現代社会の矛盾は遠くが近くなり近くが遠くなっているという現実がある
そういう社会の反映でもある、例えば避難した先が妻の実家に行くとなると本当に全国に散らばったのである、この前会った人は淡路島に行ったとか四国に行ったとかなる
それだけ広域社会になっているからそうなったのである
その広域社会だからこそ遠くからボランティアでも援助に来る人たちが多かったのである
でも肝心な地元の人たちは協力しないというのも変だったなとつくづく思う
第一普通の生活で何か困っていても苦しんでいても協力などしないのである
むしろ苦しんでいるのを楽しんでいることさえあるのが普通である
近くの人は助けないのである、介護でもそうだし自分自身も苦しんでいたけど同情すらされないしただただ責められるだけだったのである
それも自分自身のカルマだったにしろ矛盾していたのである

仮設に移り住んだ小高の人たちは困っているからと常に外部から同情されていた
それで奇妙なのは自分が苦しんでいる時自分の家に来た人も事業に失敗して苦しんでいるから助けるところではなかった、それで借金もしているから金に困って自分が弱い立場になったことをいいことに脅迫までしてきたのである
その時その人の家ではパチンコ屋で働いていたのである
そのパチンコ屋には小高の人などが毎日つめかけていた
そして自分自身は何ら助けられることがなかったということで憤りにもなったのである
これも本当に矛盾だったのである

普通はまず困ったら家族が助け合う、次に近くで助け合うのが順序である
まず今は遠くの人が助け近くの人は助けない、これも矛盾していた
そして地元では補償金で助け合うところではない、心は一つになれない、分断されたのである、これも現代の矛盾なのか、まず内部で団結しなければ復興などありえないとなる
外部頼りならもう外部の人に一切まかせて地元の人たちは外に出た方がいいとなる
現実は若い世代は外に出て帰ってこないからそうなったのである

遠くから来るボランティアも必ずしも有効なものとなったとは言えない、その善意はありがたいにしろ何かボランティアが有効に働くのは自分の経験でもむずかしいのである
全然認められないこともあるしやはり社会で認められないということである
いろいろあったけどまず苦しい時は家族だったら家族でまず助け合う、次に近くの人が助け合う、次に外部の人に助けてもらうのが順序である
それがまず外部の人、遠い人が助けることになった
復興の仕事はほとんど外部の人たちがしていたのである一部は地元の人たちがしたとしてもほとんどは会部の人たちだった
家を建てるにしても何をするにしても外部の人が建てたり工事した
それは地元ではできないからそうなったのだからそれを批判することはできない
でも何か外部まかせとなったことがある

何も6年とか7年も過ぎたら自分たちできることはすべきだったとなる
そして結果的にどうなったかというと地元では協力しない、外部とは協力するがその外部の人も来なくなる、残されたのは地元の人たちでありその地元の人たちが補償金などで分断されて協力ひない、心ひとつになれないのである
それを言えば小高の人たちにすれば何で地元の人が協力しないのだと怒りになっている
俺たちは苦しいのに助けないのか、冷たい奴らだとなり怒りになっているだけなのである
こういう内部事情があり外から来るボランティアが悪いとはならない、でもそれが有効に働くかどうかは別問題になる、それは自分自身もそうだったからである
駅でボランティアしても何も認められない、それはそれとしてかまわない、道案内とかしてありがとうと言われるから気分いいからかまわない
ただボランティアがすべてうまく有効に機能しないことは言えるのである
それよりまず地元でやれるかとはやる、地元でまず協力しあうべきだったができなかったのである、それが一番の問題だったのである                                                  

posted by 老鶯 at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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