2019年01月25日

白菊(神の示したかったのはイデアである)


白菊(神の示したかったのはイデアである)

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冬の雲パークゴルフや高齢化

風唸り故郷に老ゆ冬芒

大輪の白菊映えて汚点なく朽ちしも天に昇りけるかな


なぜこの世界が作られたのか?
これはただ偶然にできたのか?
そういうことはありえないのである、神の明確な意志があって作られた
ではその神の意志とは何なのか?
それは簡単に解き明かせない、謎がある

この世には美があるとする、また様々な創造物がある、その意味するものは何なのか?
その一つにイデア論がある、神の意志は創造はイデアにあり
それこそが目的だとしている例えば様々な花があるとする、それは神のイデアである
それは形となり物質となって現れる、でも神が示したかったのはイデアである
そのイデアが不滅だとする時、花ならいろいろあって菊なら菊のイデアを示したかった
それは枯れて朽ちても実は永遠に存在している
菊が仏壇とかに霊前にあった花になったのは人間が作り出した文化である
それは神のイデアを人間側がとりいれて活用したのである

いづれにしろこの世を地球でも宇宙でも万物でも創造したのは偶然ではない
神の意図があり作り出されたものである
これほどの多様な世界を作り出した神というのに驚嘆して賛美するのが人間である
花にしても動物だったら食べることしか興味がない
人間だけがはなを美しい見る能力がある、つまり神の創造したイデアを見る能力がある
神はそのイデアを示すために人間を必要としたから神に似せて人間を作ったのである

ショーペンハウエルのように一方で生殖とかの意志の世界がある、
それと相反して認識の世界がある、その認識の世界こそ神の望むことだったともなる
でもそこに矛盾がある、生きんとする意志の世界と認識は対立する
子供は全身が認識に奪われているから幸福だとしている
大人になると意志が前面に出てくる、生殖に奪われて認識の世界はなくなる
(意志と表象の世界)の矛盾が生まれるのである

神が創造した菊という花のイデアは不滅である、それは枯れて朽ちたとしても不滅である
なぜならまたそれは再現されるからである、ただ具体的に形となるには種とか肥料とかそれを育てるものが必要になる
ただ神の意図していることはあくまでもイデアでありそれを示したいことである
だからたとえ菊が花は朽ちてもそのイデアは消えることなく再現される
創造すると宇宙の中にそのイデアだけが再現されうる
その時土は必要なくなる、そこに様々な花のイデアが現れるのである
あくまでも土が必要となったのは手段であり本当の神の意志はイデアを示すことだったからである

ともかく本当に高齢化社会である、南相馬市のパークゴルフ場は広い、だからあそこは気持ちがいいから自転車でいつもよる、私は喫茶店があるとしてレストランでも食堂でもあるとして見晴らしのいい景色のいいところがいい、やはり人間はただ食べるだけの存在ではないからだ、それで相馬市の道の駅は街中にない、田園地帯にあるから見晴らしがいいからいいのである、ただそこで出している食事は落ちる
でも見晴らしがいいとかでレストランとかでも価値が生まれているのである
価値とは一つではない、複合的なものとしてある

芒というとき意外とこれは強く根を張るのである、まさに今は冬芒であり地方では老人が多い、
この辺は原発事故後老人が増えている
だから冬の雲がパークゴルフ場に垂れて動かないのも何か高齢化社会である
ただパークゴルフはかなりの運動になる、あそこは広いから回ると運動にはなっているからいいのである
とにかく会うのは老人が多いのである、そして病気の人も多いのである
その人はもう腰が悪いとか目が悪いとか病院通いであり他の人もそうである
金もないのに東京の病院に行ったり病院通いが仕事なのである
そんな人ばかり増えているとするととても国の財政はもたなくなる
それを自分に要求されても困るとなる、これも大問題なのである
貧困老人の問題は病気になる人が多いことなのである


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