2019年01月26日

味覚は人間の防衛本能 (老人でも食物の味をかみしめて食べるようになった)


味覚は人間の防衛本能

(老人でも食物の味をかみしめて食べるようになった)



若い時は腹減れば腹を満たせばいいという感じだった、私の場合は食とか料理にこだわったことがない、旅行で料理が楽しみにはならない
旅行だと旅行したいというだけであり食べることではなかった
外国でもだからまともなものも食べていない、ただ外国に来て行けて良かったなとしかない、でも実際はその土地の食を味わうことも旅である
今になるとそう思う、ただそうなると金がかかりすぎるからできなかったのである

食べたいものを食べる、うまいと思うものを食べる

おいしいというものが安全でありおいしいというものが体にいい

味覚を感じやすくするには食事するにも静かな環境とかが必要

これが武田邦彦氏の推奨することである

味覚とは人間に備わった防衛本能だとしている、それもそうかもしれない、現代は調味料とか過剰に使っているし本来の食物の味が失われている
まず動物は人間のように加工したものより生のものを好むのはそこに本来の味があり栄養があるからだとなる
現代文明の逆説として老子の無味を味わうというときもそうである
水こそが一番人間にとっていいものだということである
それはジュース類の多さをみればわかる、あれにはほとんど自然の栄養物は入っていないだから運動した後ジュース類を飲むと疲れるというのはそのためである
糖分をとりすぎると砂糖などをとりすぎると疲れるのである
現代人に糖尿病が多いのは栄養をとりすぎるからである
動物はいつも空腹状態にあるというときそれが自然の状態だとなるからだ

そうはいっても人間はそもそも味覚でもそれがおいしいというとき快感を覚えるからである、そして意外なのは老人になっても快感、快楽を追求することは変わりない
性で食でも同じなのである、老人になると異常性欲者にもなる
淡泊になるということはないのである、だから私もなぜ食にこだわるようになったのか?食物の味をかみしめるようにして味わっているのか?
それは意外と老人になるとき逆になんでもデーブなものを追求する
それは食事にも現れる、知識でもそうだがデーブなものを求める
でも自分自身は料理はほとんどしない買ったものでまにあわせている
それはそんなに色椅子なことに時間をさけないからである

そして食事する時食事に集中することが必要だというのもそうかもしれない
がやがや騒いで食べるのがいいように思うしレストランではみんなそうしているしそうした方か楽しいとかうまいとかなる
一人で食べていると孤食になり食事もまづくなるとかいう
でもそうでもない、一人で誰もいないところでしんみりとして食べていると食物の味を深く味わうということがあるなと一人暮らしになって気付いた

だいたい日本人は忙しい早食いである、じっくり食物の味を味わないで食べる
ヨ−ロッパなどではレストランとなると特別の場所であり正装しないと入れない
そこは静かな場所なのである、がやがや日本のように騒々しくないのである
でも自分の場合はそういうレストランに一度も入ったことがない、そういう身分でもなかった
でもヨ−ロッパでは街でも静けさを大事にしているからレストランでもそうなる
そこにはやはり日本にはない貴族の文化が伝統が活きていてそうなっているのかとなる

老人に対する誤解は何かなんでも淡泊になると言うがそうでもない
確かにあまり油ぎったもの厚い肉などを食べたくないことはあるかもしれない
でも何でも淡泊になるわけではない、だからなぜ自分自身が今になって味にこだわるようになったのか?
それは食事でもそうだが何でも芸術でもじっくり味わいたいということになるからだ
デーブなものを求めるのである、ただそれは別に贅沢とするということではない
普通の食事でも何か味わいかみしめて食べるというふうになった
それは老人になるとおそらく何でも生きることが残り少ないということが影響している
遂に食べることもこれで終わりかとか病気になり最後に好物のものを食べて死にたいとか言って本当にそうして死んだ人もいるからだ
そういう心境は若い時にはない、結局老人の心境は老人になってみないとわからないのである


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