従軍看護婦となった姉への召集令状
(マレーシアのジョホールバルへ4年間の従軍へ)
小林カツ
召集令状には「一銭五厘」という俗称もあるが、これは応召者が本籍地から離れて住んでいる場合、実家から郵便で令状が届いた旨の連絡がされていたことにちなむもの、とされている。
しかし実際には、通知を受け取ってから部隊へ出頭しなければならない日時までの時間的余裕があまりないのが一般的なため、電報などで知らされることが多かったという。
令状の表面には「応召者の氏名」「配属される部隊名」「部隊へ出頭しなければならない日時」が、裏面には「この令状の提示により、部隊所在地までの交通費が割引になること」「天災や伝染病の流行による交通遮断などで、期日までに部隊へ出頭できなくなったときの連絡先」「応召者の心得」などの備考や注意事項が記されていた。
通知を受け取ってから部隊へ出頭しなければならない日時までの時間的余裕があまりないのが一般的なため、電報などで知らされることが多かったという
これは召集令状というより電報で知らされたのである、カタカナで召集令状とあり福島支部とあり赤十字の支部なのである
これは陸軍の命令であり三陸会というのに所属していた
とにかく急なことでありそれでとまどうとか考える余地もなく戦地の地獄に連れていかれたのだ、何か悪いことは何でも急に予告なもなく来るのが多いのである
ベ―トベンの運命のうよにである
その時父と母でも別れを惜しむという時間とか余裕さえないものだった
それはみんなそうである、赤紙一枚来たらすぐ戦地に行かされたのである
今日奇妙だった戸棚を開いたら姉の母の遺影が出て来た
姉の母は私の母ではない、私の母は姉の母が死んで後妻に来たのである
姉の母は姉が戦地に四年間行っている間に死んだのである
そして姉が帰った時死んでいた
それで墓を掘り出してその母の顔を見たという、まだ顔でもそのままだったとか言っていた、それほど日にちがたっていなかったのか?
その頃は土葬だったとなる
姉は父にたって頼み埋められ死体を墓から掘り出したのである
これも悲劇だった、つまり急に召集令状の電報が来てすぐに戦地に行かされてそれが遂のこの世の別れとなってしまったのである
人間は何か思わず最後の別れとなることも多いのである
戦争の時はみんなそうなることが多かったのである
姉の母は新地の出でありそのことはわかるが後は一切わからない
ただ不思議なのは戸棚の奥に姉の母の遺影が残っていたことである
姉の母のことを知っている人はいるだろうか?
親戚ににいたがその人との縁も切れたし今では姉の墓参りとかに来る人もいない
なんらか死んだりしているし縁がみんな切れてしまったのである
親戚なども代が変わると疎遠になり縁が切れるものだった
私の家にはそもそも親戚がいない家庭だった
母の実家の縁も切れた、だから残っている親戚関係はいないのである
こんなに親戚家系などもいづれ切れてしまうのである
これも無常である
戦争のことは親の代が実際に戦争を経験していればその子はその話を聞くがその孫となると伝えられたことを聞くから何か別なものになる、実感がさらになくなるのである
戦争というのは経験しない限り理解しにくいものなのである
人と人が殺し合う世界は実感しにくいからである
だから孫に今度は祖父母の戦争経験を伝えてもさらに理解しにくくなる
ただ戦争の経験が実際はあまりにも重いものだったのである
それで姉はひどい認知症になったけど死ぬ一か月前まで戦争のことを話ししていた
その前にも千回話を聞いたので嫌になっていた
でもそれだけ青春が戦争だったということで忘れ々ことができないものだったのである
青春時代のことはなかなか忘れられないことが平和の時代でもあるからだ
貴重な青春時代を戦争に費やされたのだからそうなる
姉はあねご肌であり体育系でありはきはきしていて頭の回転も速い
太っていたけど動くの機敏であり大の男も恐れなかった
かえって大の男が恐れていたのである
それだけ気丈夫だから家を支えたとなる、ただ何か死んでから訪ねる人もないということは淋しいとなる
ともかく人間は死ぬと急速に忘れられるのである
そんな人いたのとなってしまうのが普通なのである
家というのは今整理しているけど何かそうしたものが出てくる
それは記録として思い出として残されたものなのでみんな捨てるわけにはいかない
これば貴重な資料だとなり家にとっても大事だとなる
そして姉の母のことは忘れていた
それが戸棚を開けたら奥にその遺影があったのである
これも不思議だともなるがやはり家にはそうした記録だけでない現実に家にはそうした家に思いがあり残っているとなる
何か思いが家に残っている、私の家の墓には父と姉と母と父の前の母と後妻に来た兄が埋まっている
兄は不幸にも交通事故で41歳とかで死んだ
母の実家に埋めたがその骨もなくなっていた、それで私の家の墓の隣に墓標を建てて供養している、そこには骨は埋まっていない
私は恵まれたが兄は恵まれなかった、それで墓標をたてて自分が一人供養している
娘がいるとしても何か関心がないのである
何かひどいめにあったから恨んでさえいるのである
ともかく家には何か必ず負の面がある、それはどこにでもある
私は今毎日整理が仕事である、家の整理というのは簡単にできない
終活といってもなかなか終わらないのである
それはやはり家にはそれぞれに家で暮らした歳月が長いからそれを次の代でもすべて終わりにすることはなかなかできない
それで何か残っているとそこから死んだ人を思い出すのである
特に古い家だと蔵がありそこに何代も前のものが残っている
それで先祖のことをふりかえるのである
それぞれの家自体が二代でも歴史になっているのである
我が家にありしも忘らるその遺影い出きて思ふ家の歴史を
時にして忘らる死者のその霊の浮かびて思ふ冬のくれかな
思うは面うになる、面と顔と関係していたのである、遺影がそうだったのである
この女性は新地の人でありでも戦前になるともう実家もわからないし誰も知らないとなった
もう時がこうして過ぎればみんな忘れられてゆくだけである
墓さえ捨てられる時代だから最後に記憶するものもなくなんてゆくのである
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