小さな畑に何のために投資するのか?
(場所を作るため場所のための投資だった―死者も場所に生きる―場所を喪失した現代人)
一体何のために小さな畑のために金を使い労力を使っているのか?
それがわからなかった、ただ単純にこの辺は荒地が多くなったからそれよりはいいとして投資した、援助した
景観的にも何か他でも嫌だからである
でもその畑を維持することは容易ではない、それはこれまで書いてきた
肥料代も本当に高い、土を中和するために酸性化をふせぐために貝殻をつぶしたものとか他に化学肥料をまいたり鶏糞は角田まで行って買ったとかそれだけ投資してもとれるのものはわずかである
鳥に食われたとか盗まれたとか他にも天候に左右されて収穫がない
そういう愚痴を延々と聞かされるだけだったとなる
でも何か無駄だったとは言えない
畑にカンナが咲いたときは大きい花だから映えた、それは景観を作り出したのである
ただ畑でも田んぼでもその景観は人々がその土地とかかわり生業となっていて維持されていたのである
それがなくなると今でも避難区域となったところは草茫々であり荒れ放題になっているからだんそして放射線に汚染された処理場になっているのが目立つだけだとなる
その景観を見たときがっかりするからだ
要するに農業とか漁業とか林業でも第一次産業主体の経済だったら景観は自ずと維持されたのである、第一田畑でも人がかかわらないかぎり荒地と化すからである
だから避難区域になった所や放射線の高い山側ではもう田畑をあきらめたから荒地化している、それも前から子供は後継がない、農業は金にならないとなっていたからそれが原発事故の放射線で汚染されて多額の補償金もらったときこれ幸いと田畑を捨てたからである何かだから補償金で家を建てた人がこの辺では多いのである
農業とかはもともとものすごく苦労が多くて実りが少ないものだったのである
ただ人々はそうする他生きる方法がないからそうしていたのである
それを部外者から外部の人が見ている時景観がいいとかなっていたのである
それは自分自身も農業にたずさわっていないがそうした人たちがいて苦労する人たちがいてその景観もありえたのである
田舎でも別に今はみんな会社員なのである、農業だけで生活している人は一割にもみたないのであ
そういう変化があっても一応田畑は維持されていたのである
ただ農業は過酷でありだからこそ工業化のために日本がは努力して高度成長時代を築いたのである、それは中国でもどこでもそうである、工業化しないと豊かにはなれなかったからである
ただそのために失われたものがある、それが人間の根源的なものに根ざして生活していた農業などが軽く見られそのためにまた景観も失われたのである
都会になるともう場所はない、人間の存在は希薄化してロボットのようになる
それを象徴的に描いたのがキリコのである
そこでは場所を喪失した人間の不安とその存在感の消失を描いている
ただ建物だけの影がその人間に及んでいるだけなのである
高層ビルとかビルの林立する中で人間の存在は消えいりそうになっているのだ
一つの影として根付く場もなく消失してゆく人間の不安を描いている
人間は今物質的欲求のみの追及しかない、それが金の追求となっているが精神的なものとして心としてはもうその存在価値もくなっている
心とはこころはここのことであり場所があって心(こころ)があったからである
場所と不可分に心があったからである
その場所が喪失したとき人間は不安定な根無し草となりただ無機的な物質の建物のみが存在感をまして人間は矮小化されて影となり点となり消失してゆく
逆に場をもって生きた人間は貧しくてもその場から何か世界が拡大してゆく、イメージが広がってゆくのである、それは死んだ人でもその場に生きつづけるのである
死んだ人にも場が必要なのである、だから場も喪失すると死んだ人も先祖もいる場がなくなり幽霊と化して彷徨うことになる
死者もいる場を必要としているのだ!
農業は場を生きる根源的な人間の営みだった、工業化すると自然と切り離されたものとなり人工的空間に生きることになる
すると人間自体も機械化されたロボットのようになる、流れ作業していたときは自分は本当にロボットだったのである
それでその仕事が嫌になり仕事自体に嫌悪感をもちその後仕事をしなくなった、そういう環境が与えられて旅ばかりするようになったのである
そいつはおかしいじゃねえか、人間は小さな土地をもっていりゃ、その土地はその人間のもの、その人間みていなもんだ
人間が本当にその土地をもっていりゃ、その上を歩くこともできる、それがうまくいかねぇときにゃ悲しむし、雨でもふりゃうれしくなるってわけだ
そしてその土地はその人間と同じものになってそれをもっているとうだけでその人間を実際より大きなものになるのだ
よしんばそれがうまくいかねぇにしても、その土地をもっていることで大きな人間になれるんだ
と土地っていうものはそういうもんだよ
スタインベックー(怒りの葡萄)
人間を偉大にするものはその個人だけでは偉大になれない、その背景となる大きな自然がなければ大きくなりえないのである
人間は木となり山にもなるがその大きな山がなければ人間は卑小なままてのである
この辺では高い大きな山がないということで大きな人間になれないともなっているのだ
山があまりにも貧弱だからである
その場に生きたものはその場に生き続けるのである、それは物語となり絶えず語られたり祭りとなったりして先祖もその場に生きつづけるのである
これは非常に重要な人間の根源的な営みだったのである
そのことを家族がみんな死んで自覚するようになった
家族は家に依然として生きつづけそこで生活した場に継続して生きつづけるのである
だからエジプト文明であの世とはこの世の延長そのものだったのである
生前していたこと麦を栽培したり日常の仕事をそのまま同じようにあの世でもしていたのである
墓も生前の生活の延長なのである、そこは生前の家の復元なのである
召使も葬られていたし動物も葬られていた、家畜でもそうだが古代には動物と密接に交わり生活していたからである、動物が人間の精神化されたものとして見ていたのである
それはまさに場があってこそありえたことなのである
そこで死は断絶されずに継続されていて死者と生者も断続分離されないのである
このことは重要なことである、現代人はあまりにもそうした人間の根源的な精神を心を無視ししてきた、何かそうしたものは不合理であり利益にならないものは金にならないものは無視してきた、そこでどうなったのか?
人間存在の精神的拠り所すら喪失してキリコの絵のような根無し草になってしまったのである
そこに生の意義もなくただがしゃらに物質的欲望の追及しかない、金の追及しかないのである
それを象徴していたのが原発事故で避難した人たちである
それは確かに放射線が高いのだから住めない避難させられたということがある
でもそれだけではない、何か場所にこだわらないもの、金があればどこでも住める
そういう経済合理性だけで生活していたからではなかったかとも思うのである
とにかく腹を満たせばいいや、金があれば一億円あれば困ることがない、何かあれば金がなくては生活できない、そんな何かわからない場所がどうだなど言っても現実は厳しいとなる、そんなことを考慮しているのは極一部のインテリなのだとかもなる
それも言えるにしても何かそこから現代人の喪失感が生まれていることは確かなのである
現実にその小さな畑は金食い虫である、何かと金がかかる、その金がないから要求される
そして最近冷蔵庫が壊れたから十何万のものを買ってさらに金がないと困窮しているからである
それはとりも直さず電気が必要であり電気なしでは生活できない現代を象徴しているのである
場所が必要だと言う前に電気が必要だという現実生活をつきつけられているのである
ただ人間はどんな人にしろどんな時代でも矛盾した生活になりやすい、それが人間の現実だともなる
キリコの絵
何か建物があっても場所が喪失していて建物が大地に根付いていていない
建物の重厚感がない、一時的に建っているという不安定なものである
建物自体が影のようになっている、建物の意味も喪失しているようである
彫像も何か存在感がない、ただ置物のようにある
人と人が出会ってもそれが深いつながり出会いではない、はかない影と影の出会いのようになっている、このように現代は存在感が建物でもなんでも希薄化している
エジプトの墓は家そのものの生活を再現したものである、召使も同じ墓に葬られているし動物も葬られていたからである
日本がでも召使とかでなくても雇い人が一緒に一つの墓地に葬られている
それは墓標だけで名前だけとか粗末なものなのである、ただその家で働いていた人だった
それぞれの家で墓をもてない時代があった、別にそれは江戸時代ではない、戦前でもそういうことがあった
大家族のようにして雇い人も生活していたからそうなった
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