キリコの絵と万葉集の比較
(場所の喪失が空虚さを生んだ、場所と密接に結びついていた万葉集の歌)
キリコの絵
人がいても人がいない
建物だけが残された
彫像だけが残された
あれほどいた人がどこに行ったのか
建物だけがしょうぜんとして残されている
何か魂の抜け殻のように
人々は消えた、どこへ
二人の男女が愛を確かめる
しかしそれもはかない
もともと人と人の出会いはなくなっていた
群衆となりあれほど人がいたのに
人と人の出会いはない
また出会う場がない
魂の抜けた何か無機的な建物
彫像も魂がぬけて置物のように置かれる
それは場所の喪失であり
場所に根付いた継続された歴史の消失
そこには過去も歴史も意味をなさない
そこには空虚のみがある
キリコの絵は現代の精神状況を現したものである、何か建物でも本来の重厚な意味をもたない、それはローマの建築から中世の大聖堂のゴシック建築とかとも違う
そこには精神があった、建築にも精神があった、時代の精神があった
それがないから空虚なのである
また本来あるべき場所がない、その建物が建っている大地もまた何か都会であり大地という感覚がないのである
人はその上ではかない影となっているのである
これはまさに現代文明の建物でも自然でも人間でも象徴している
そこには人間はいなかった!
あれだけの群衆が人間がいたのにその人間はある時いなくなっていた
というよりもともと人間はいなかったからそうなったのである
それはそこに人間が生きる場がなかったからである
万葉集だとなぜそれが貴重なものになっているのか?
それはやはり密接に人間が自然と結びついて生きていたからである
だからどうしても今の感覚では解き明かせないものがあるのはそのためなのである
原始的感性とかがありそれが理解できなくなっているのだ
奥山の磐本菅(いはもとすげ)を根深めて結びし心忘れかねつも 笠女郎(万3-397)
こういう感覚は現代では生まれようがない、恋の歌にしても何かそこに自然と結びついた原始性がある
万葉集は必ず地名が大きな働きをしているのもそのためである
場所から離れてありえないのである、この磐本というのも地名だと解釈している人もいる
地名に関して,国」の言葉があてられることがある。吉野の国(巻 1~36) ,隠口の泊瀬の国(巻13~3310) ,隠口の泊瀬小国(巻13~3311) ,押し照る難波の国(巻 6~928) である。住吉については,摂津国風土記逸文に「真住み吉し住吉の国Jとある。春日,巻向,明日香については,国と記す史料はないが,日本書紀綬靖 2年条に「春日県」がみえ,県は固と同じ意味内容の用字と考えられる。
これらの国は,律令国家の地方行政組織である令制国とは違っており,
前述の吉野の国の歌の前段に「天の下に国はしも多にあれどもとある国である。
玉藻よし讃岐の国は国柄か見れども飽かぬ神柄かここだ貴き天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る柿本人麻呂
(巻 2~220)
万葉集の地名
金坂清則報告によせて一一 服部昌之
これは行政的なものとして定められた国ではない、自然発生的に生まれた国の感覚でありこれは無数にあったとなる
廃藩置県ではその自然発生的に生まれ形成された国が消失した
福島県ならまったくなぜ福島なのか?これさえわからないのである
会津が古代から国だったから万葉集に会津嶺の国をさ遠み・・・・という防人に出る人の歌が残っている
会津は明らかに古代から自然発生した国(くに)だったのである
そして万葉集ではいかにその土地土地に根付いて暮らしていたか?
玉藻よし讃岐の国は国柄か見れども飽かぬ神柄かここだ貴き天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る(巻 2~220)
この歌に象徴されている、国柄とは自然発生的に形成されたものであり神柄とまでなる、その土地が神聖なものとまでなる
天地日月とともに満りゆかむ神の御面と 継ぎて来る・・・というとき神の御面とまでしているときそれが如実にうかがわれる
神の御面とはまさに土地土地の地形とか地勢とかでありそれは神が形成した御面としているのである
その土地を代々継ぐのが人間なのである
万葉集を理解する日本がその土地に根付いて暮らした原始的な感覚を知ることである
それは今になると知り得ようがなくなっているからだ、それは世界的にも起きていることである
近代化工業化は生来あった場所と深く結びついた精神を喪失させたからである
こころとはここの意味であり場所から発生していたからである
ところとはとまるでありとまるとどまる場所がありところとなっていたからである
つまり場所とのアイディンティティなくして人間の存在ありえない、それがなくなったときキリコの絵のように人間存在そのものの消失になったのである
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