2019年02月13日

蝋梅 (家に籠り本やインタ−ネットで検索して文章を書いたりするのが老後の幸せ)


蝋梅

(家に籠り本やインタ−ネットで検索して文章を書いたりするのが老後の幸せ)

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まだ雪がふっているね

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これは結構厚かった


蝋梅や古本手にとり籠るかな

蝋梅に雪やこもりぬ年古りて我が楽しみは本を読むこと

蝋梅に春はまだしも寒々と風の唸りてこもりけるかな

本あまた故人残しぬめくりつつ省察深めて冬籠るかな

今日も風唸りつつも大き家に一人籠りて本を読むかな

ずっしりと重たき古本また増えるストーブにより読める幸せ

葉牡丹に万寿菊活け白菊も映えて長くも我が家にあらむ


消寒絶句  清 呉錫麒

礬頭山在屋頭堆
磬口花于水口開   
不遇故人誰共賞   
打氷声裏一舟来

[書き下し]

消寒絶句(しょうかんぜっく)  清 呉錫麒(ごしゃくき)

礬頭(ばんとう)の山は 屋頭(おくとう)に在(あ)りて堆(うずたか)く
磬口(けいこう)の花は 水口(すいこう)に于(おい)て開(ひら)く
故人(こじん)に遇(あ)わずんば 誰と共に賞(しょう)せん
打氷(だひょう)声裏(せいり) 一舟(いっしゅう)来(きた)る

礬頭(ばんとう)の山 家のそばにそびえ
磬口梅(けいこうばい)の花 川のほとりで咲いている
親しい友人と会えないなら いったい誰とこの名画を楽しもうか
(と思って戸外を見やると)氷を打ち割る音が鳴り響き 一艘の舟がやって来た


蝋梅の花は春にしても冬から咲く、だから必ず雪がふったり積もったりする
去年だったかもそうだった、だから冬の花であり春の花だとなる
この漢詩はその感じをうまく表現している
冬だと冬ごもりであり人も来ない、でも春になり凍った川の氷を破って舟が来て遠くから友が来るとなる、これも中国らしい漢詩である
なぜなら川を中心にして中国はあるからだ
川を通じて人は会い別れて行く、大河別離情でありまた出会い遭うことなのである
この感覚は日本にはないのである
この漢詩は蝋梅が咲き春をまちわびているのである
つまり蝋梅が咲いてもなかなか春が来ないということにもなる
最近は今日でも寒い、やはりまだ春は来ていない、ただ後三日くらいで春は来るみたいだ最後の寒さである

そしてこうして寒い時はストーブで一人あたたまり本を読むの適している
外国だったら暖炉である、今の時代のいいのはまた古本を注文した
著者の別な本である、そしてインタ−ネットも今だと関連した文が見つかるから何か知的作業が格段とはかどる時代である
キーワードで調べられるからである、つまり今や誰しも安価に巨大な蔵書でも所有している感覚になるのだ、いちいち図書館に行って調べるのが手間になった
だから介護になってからは家族がみんな死んでから図書館には一二度くらいしか行っていないのである
あとは家事に追われるからゆっくり図書館で調べられないのである
それも隣の街に行かないとできないからめんどうなのである
知的作業をするにはまず家が研究所、基地にならないとできない
ある程度の蔵書もないとできない、それで司馬遼太郎は図書館のような蔵書をもっていたことでもわかる、あれだけのものを書くにそうなったのである

だから地方では知的探求はつくづく不利だった、第一古本は仙台に行かないと買えないしそれでも少ないからである、アマゾンならどんな本でも手に入るとなるから便利である
この恩恵は大きいのである、文系だとまず本を読むことでありそれで事足りるともなるからだ
インタ−ネットだと学者の論文がpdfで読めるのもいい、引用できるからだ
そういうことで地方でも田舎でも知的ハンディを負わなくなったのである
そして気軽にインタ−ネットでプログで日々発信できることも知的作業では効果がある
なぜなら文章を書くことは書きながら考える、創作する
文章を書くことで自らの書きたいことが書けるということがあるからだ
それで様々なことを感想でも評論でも書きやすいのである

今まではこうして気楽に自ら書いたもの発表できない、本となると選ばれた人とか売れるものとか置けない、めんどうなのである
毎日短文でも書くことは楽なのである、本にするとなると長文で編集しなければならないからめんどうになる
こういう点でインタ−ネットの効用は大きかったと思う

葉牡丹と万寿菊は合う、万寿菊は好きな花である、それ字のように長く咲いている
菊も比較的長く咲く、葉牡丹もそうである
生け花の問題は花がすぐにしおれてしまう枯れてしまうことなのである
そうなると取り替えるだけで金がかかる、それで最近はフラワーアレンジメントはしていな、他に金がかかってできないのである、また手間にもなるからだ

とにかく今は田舎の方がこうしてハンディがなくなったことで暮らし安いとなる
そして知的作業にはかえって静かな田舎の方がいいのである
集中できる、混雑した都会だと人混みであり嫌になる
年取ってからさらに介護十年でエネルギーが消耗してそういう混雑した人ごみに行くのが嫌になった、ただ疲れるだけだとなる
そして何か旅する気力もなくなったともなる
だから一日中こもって本を読んだりドラマを見たり文章を書いたりしているのが向いていると思った、そういう環境があることでも余計にそう感じるようになったのである




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