春の山鳩
春の鳥盛んに飛び交い呼び合いぬ
山鳩の十羽遊びぬ春野かな
街の上いづこに飛ぶや春の鴨
餌ねだる猫来る家や春の昼
今日もまた梅のにおいて山鳩の来たりて去りぬ事のなきかも
春日さし桜井古墳の大きなる主の二人やここに眠りぬ
山鳩は平和の象徴である、それが春野に十羽くらいきていた
その野というのが津波の跡でまだ田んぼになっていない所だった
何かまだこの辺はそういう所がある
ただ田んぼがないというときそこは本当に原野になってんるのである
ただまだ春草が生えたり花は咲いていない、そこは放っておくと花野になる
何かそういう光景をこの辺では津浪の後に見てきた
それもいいなとかなるとしかられるが野というとき田畑でもない
原野のことだがそういうのは日本では平地にはあまりないのである
ただ震災から8年もすぎとるとやはりいつまでも津波のことや原発事故のことを忘れられないにしても元の平和がもどってほしいとなる
いつまでもそれをひぎつっているのも問題だともなる
そういわれなくても人間は何でも忘れやすいのである
人が死んだとたんその人はあいまいな存在になり忘れられてゆく
ただそうはいってもあれだけの津波とかの被害はひきずる
実際に被害にあった人はそういう光景が頭に焼き付いて離れられないとないとなる
こうした巨大なさいがいは何百年一回なのだからやむをえないとなる
梅が匂う、山鳩が来る、それはなんでもないことだけど平和を感じる
一身上でももう人間とは思えない狂気のような人が来て自分の家はずたずたにされてきたからである、人間恐怖症にもなった
その人間のあまりのひどさにただ唖然としているだけだったのである
桜井古墳の不思議は二人の木棺があり二人が葬られているという
それは何を意味しているのか?
何か二つの勢力があってそれが和解してここを治めた人が二人が眠っているのか?
そういうことはありえる、それは自分の家でもそうだったからである
二人がいてこの家を支えて栄えさせたからである
ただ二つの勢力が争ってそれが和解して一つの古墳に収まったのかともなる
とにかくあの桜井古墳は大きいから頼もしいとなる
やはり何かそうした標しになるものがないと古代でも歴史を感じられないのである
鹿島区の古墳は多いのだが小さいから見応えがないとなってしまう
猫は隣の家に5匹くらい集まっていた、それを見ていると面白いとなるが猫の問題は増えすぎるのである、餌をやると増える、それで地域猫として地域の人が協力して飼うことをしている所がある、猫の数も去勢して調整している
ただそうなると誰が金を出すのかとめんどうになる
野良猫は何かいたずらされて傷つく、私の家の猫も尻尾を焼かれたのである
それからビッコの猫がいる、片方の足が使えないのだか結構早く動くのも不思議である
その猫をねらって黒い大きな猫が襲うのを見た
猫には相手が身体障害でもそんなことかまわない、同情がないから獣だとなる
猫は何か観察していると面白い、猫は無邪気である、動物でも人間のように邪心がないから欲がないから癒されるとなる
餌をやれば後は何も要求しないからである、人間はあまりにもいろいろなことを要求しすぎるのである、子供すらただ財産を欲しいというだけになっているから猫に財産を残したとか犬に残したというのも理解できるのである
ともかく今日はあたたかく外出するのにはいい天気だった
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