2019年03月20日

山元町の津波の被害 (前にさえぎるものがないと被害が大きくなる)


山元町の津波の被害                         

(前にさえぎるものがないと被害が大きくなる)

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黒く盛り上がる波が怖い

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磯崎山

津波がぶつかってせりあがったようになった
辛うじて御堂は残った

ここしか高い所がない、だから被害が大きくなった

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中浜小学校に残った松
これも海が近いのだから枯れてもいいが枯れていない


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津波の後に残っている松と木

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八重垣神社の松、ここも海が近いから良く枯れずに残っている

山元町郷土資料館

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弥生時代は古い

でも・・・・千軒とか伝説が各地にありそれが消えた、それは津波とかのためだったこともある
南相馬市の鹿島区の海老千軒とかも言っているからである


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白いのが津波の砂の堆積

硝子に自分が映っていた




山元町の磯崎海岸に上ったら土地の人と話できた
その人は毎日散歩のために上っているという
それでいつも港に停泊している船を見ているが漁に出たのを見たことがないという
津浪はこの磯崎海岸も襲ってここも危ない所だった

なぜ山元町の被害が大きかったのか?
津浪は地形の影響が大きかった、山元町を見るとさえぎるものがない
その海岸近くにある家も多かったとすると被害が大きくなった
山下駅の海側にも家が結構建っていた、それをいつも電車から見ていた
仙台に近いから山元町は通勤圏にもなっていた

その人は何か不動産屋らしい、それで阿武隈川を越えて岩沼になると土地が一千万高くなると言っていた
建物の値段は変わらないが土地の値段が高くなると全体的に高くなると言っていた
一千万も高くなるとその差は大きい

それからなんでも小高の人が農業やるために移り住んだという
その人は土地を買いあさって農業をはじめたという
それは補償金を一杯もらったからだと言うとそうかとその人は言った
山元町の土地は安くなっているから買いやすくなっていたのである
ただこんなところにも小高の人が金があるから土地を買っていたとかなる
新地辺りにも小高の人は土地を買って住んでいる
一方で山元町では人口が減っている

死者 637人(遺体未発見の死亡届17人および震災関連死20人を含む)
家屋の被害(平成25年5月24日現在)
全壊 2,217棟(うち流出1,013棟)
大規模半壊 534棟
半壊 551棟
一 部 損 壊 1,138棟

この被害は凄い、全壊が2,217棟というのはそんなに家があったのかとなる
その辺を行ったことはなかったから残念だった、津波の前の状態がわからないからだ
なんでも磯崎山で聞いたのでは三方から津波が来たという
そういう話は聞く、そして渦巻いたりしたということ聞いたから恐ろしい
映像を見ても黒い波が盛り上がり瞬間的に高くなる
その光景は今さらながら空恐ろしいとなる

ただ不思議なのは山元町というとき山元だから山側を中心に発展した町かとも思った
そして山下町でもそうである、そもそも海側にはそんなに人が住んでいなかったのかもしれない、ただ漁港があり江戸時代の神社もあるからそれなりに古いのである
浜吉田だと浜が近いとなる地名なのになぜ山元町なのか?山下駅なのか?
それが不思議に思った、これも単純な疑問ではある
山寺とありそこが宿場町になっていたこの町名が生まれた

郷土資料館には古代のものが展示してあってわかりやすかった
弥生時代に津波が来てその地層で砂がある所が津波が来たためだという
貞観時代の津波も言われるがここでは弥生時代だから相当に古い
ただ津波がかなり奥まで来ていたという証拠である
そして不思議なのはここでも慶長津波については何も語っていないのである
何かこのことがわからないのである

山元町は電車で通り過ぎると海の方にも行ったことがなかった、それが失敗だった
ただ津波の跡は枯れずに残った松とか中浜小学校などに生々しく残っている
本当に海のすぐ側の小学校で屋上に逃れて助かったというのも判断が良かったからだったなぜなら地震から10分後に津波が来たというからだ
この辺では40分後だったのである、それ良くとっさに判断したと思う
やはりあれだけ海が側なのだからそれで判断できたのかもしれない
津浪でもあの小学校は流されないし屋上に逃げた助かったというのも津波の教訓である
ビルのような建物は流されないのである、だから高い所に逃げれば助かるのだ

山元町くらいまでは相馬の続きという感じになる、ただ山元町については調べていないのも失敗だった、ただ電車で通りすぎる町だったのである
ここは浜街道として連続したものとして知るべきだった
結局電車とかバスとかで交通を頼っていると本当にその土地のことがわからないなと思った、その土地に寄ったりもしない、ただ通り過ぎるだけだからそうなっていたのである
仙台には常に用事があって行ってもここには寄らなかったからだ
現代とは交通の便がいいから途中をぬかしてしてしまうのである

posted by 老鶯 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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