2019年03月23日

原発事故の原因として全体を見れない社会があった (ただ個々人の利益追求と私的権利の追求になった)


原発事故の原因として全体を見れない社会があった

(ただ個々人の利益追求と私的権利の追求になった)


原発事故で起きたことは何なのか?その原因は何なのか?
それは複合的だからそれを解決することは簡単にできない
様々な現代社会の矛盾もそこに現れたからである

現代社会の特徴は何か?それは全体を見れない社会、全体を把握できない社会である
無数のパーツになって社会を構成している、その全体を見れる人は理解する人は一人もいない、そんな人はスーパーマンしかいないのだろう
だから原発でもその全部を知る人などいなかったのである

第一吉田所長が復水器のことを知らなかったのである
それは一番所長ともなればわからなければしもそも所長になれない
トップになれないはずである、でも私は資材の専門であり専門でないからわからないといっていた
他の会社でも私は…専門であり私には会社のことでもその分野はわからないとか社長が言っていた
それは今の社会でどこでも起きていることである

原発でもそうして巨大な複雑化したものでありそれを全部知る人は誰もいない
その時何が起きるのか?
今回の事故のようになったときもう手をつけることもできない
メルトダウンして全体が崩壊してしまうことになる
それはあまりにも巨大であり複雑だからである

そういうことは別に原発だけではない、あらゆるところに起きている
医療関係でも体でも体の一部分の専門家がいる、医者がいる、でも体全体を診れる人は一人もいないのである
でも人間は死ぬとき必ず合併症で死ぬのである、一つの臓器がだめになりそれから他の臓器も悪くなり死に至る、それは人間の体ももともと一つのものとして機能しているからそうなる、でも全体を見れる人は一人もいないのである

そうして現代では江戸時代から明治に変わる時、私的所有権とか私的権利とかを過剰に認めた、結果的に山でも無数に分割されて全体として管理できなくなった
いちいち土地の所有者を確定して管理しなければならないからである
それは他でも津波の後に土地を利用するにも遠くに住んでいたり細分化されて土地の所有者すらわからないとして利用できないのである

それは村が山を共同で入会権として利用していた時代とまるで違った社会になったのである、そういう弊害はいろいろな歪みとして現れたのである
原発事故後の補償金問題でもそうである
みんな個々人が金をもらい個々人が勝手にその金を使い個々人が復興すればいいとなっていたからである
江戸時代なら村全体という志向がある、まず村全体をどうしようかとなる
それは村が一つの自然共同体になっていたからである
個々人だけでは生きられない社会だったからである
入会権でもそこでみんな燃料となる薪でも分け合うということをしなければ生きていけないからである、そこに共同が自ずと生まれていた
全体があって個々人がありえたのである
それはまた自然の生態系に依存していたから小さな村で自給自足していたからそうなったともなる

なぜ原発事故で村でも町でもコミニュティが簡単に崩壊したのか?
それは放射性物質の汚染でそこに住めないからしかたがないとなる
でもそれだけではなく現代社会のコミニュティの脆弱性がありそうなったともみれる
資本主義社会とグローバル社会とかも深く影響している

人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである

見えざる手で利己心がかえって社会全体の富をふやしてゆくというアダムスミスの考え方である
つまり利己心は資本主義では奨励されているし競争でも奨励されている

でもそうなると全体というのはコミニュティとかは本当に見えざる手で維持できるのか?それがこの辺で起きた問題である
補償金をもらって個々人で復興すればいい、市町村のことなどどうでもいい、別に金さえあればどこにでも住める、こうして簡単に村でも町でも崩壊したとなる

そもそも日ごろ人間は協力していなければ共同していなければ何か事があったとき協力するだろうか?江戸時代のような村であれば個々人の勝手は許されない社会である
その負の部分は自由がないということである
でも明治以降は自由を与えられてもそれは私的利益と権利の追求になった
個々人が良ければいいのではあり他人は個々人の利益のために犠牲になってもいい蹴落としてもいいという社会になった
そこで全体の志向は失われたのである、だから小高の農家の人は山元町で津波の被害地を安く買って農業をはじめたとなることでもそうである
小高では放射能被害で農業をできないから補償金で山元町の土地を買ってするとなった
肝心の小高では農業をする人もいなくなり老人ばかり残されたのである
何か事あれば今のコミニュティは簡単に崩壊する実例を作ったともなる

十津川部落では政府から援助金をもらったけどそれは村全体のためにもらったのであり
村全体が一致して北海道に移住したのである、それは個々人が勝手にできる金ではなかったのである
だから現代社会には全体という志向がない、個々人の利益と権利の追求がかえって奨励されているのだから今回のようなことがあってもまず個々人の利益や権利が優先される
そして回りでは同じようにいい暮らしをしているとなれば誰も崩壊した村や町に住まないとなるし復興もできないともなる
もちろん原発事故がそうしうたのだともなるが何かそれだけではない現代社会の歪がそうしたのだということもあると思った
現代社会は全体が見えないからいざこのような大事故が起きると市町村自体でも簡単に解体してしまう、全体をどうしようかとか働かないからである

まず自分が自分の家族をどうしよう

これが優先されるのである、ただ不思議なのは戦前だと国家の方がこうした個々人の利益や権利より優先された、それで国家のために3百万人が死んで犠牲になったのである
戦後はそうした国家すらない、ただ個々人の利益と権利のみが過剰に追求されてきたのである、原発事故ではそうした現代社会の矛盾とか脆弱性が露骨に現れたとも見れるのである
posted by 老鶯 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185752911
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック