2019年03月31日

新元号は何になるのか (元号の意味とは何なのか)


新元号は何になるのか

(元号の意味とは何なのか)

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日本の元号の意味は何なのか?その歴史は天皇の歴史とともに始まっている
だから日本の歴史は万世一系の天皇の歴史だとなり特殊だとなる
元号というとき私は郷土史を知るために必ず墓を見て歩いてきた
今日も大内村の隠された墓地を発見した
そこに墓誌があり元禄からの先祖が記されていたのである
元禄までたどることはなかなかこの辺ではむずかしいし記されていない
だから墓でも必ず江戸時代のものがあるのか、古い碑でも江戸時代のものがあるのか
必ず見ている、ただその元号でもわからなくなっているのがある
一番多いのは天保から明治にかけての幕末である
その辺の元号は細分化されている、だから元号というのはわかりにくいのである
元号からその時代をイメージすることがむずかしい

ただ何か元号でもその時代に特筆するものがあれば覚えやすい
元禄というとき何か日本が新田開拓で米が多くとれるようになって豊かになった時代になったとかある
その時代の代表的人物として芭蕉が存在した、俳句が庶民のものとなるとき裕福になった商人がいて俳句を作るようになった、芭蕉はそうした俳句をたしなむ裕福な商人の家に泊めてもらったりしていた、そこで俳句を指導していたのである
元禄というとそうした華やかな時代をイメージはする
ところが葛尾村の落合という所に墓が夏草に埋もれてあった
そこは山の中でありこんなところになぜ元禄の碑があるのかと不思議だった
そこには明暦とも刻まれていた、それは新田開発した記念の碑だったかもしれない
そんな山の中に元禄の碑があるのかとなる
それから相馬市の松川浦に近い新田にも元禄の碑があった
そこは津波が来た所である、それほど被害はなかったが津波の被害があった

その他で何か元号はわかりにくい、でも元禄の前なのか後なのかで区切りがある
それから天明は飢饉の時代だからその前と後では区別する
そして最近では良く津波があって慶長地震のことが盛んに言われ津波のことも言われるから慶長時代で区切ることになった
ただ文禄慶長の役があり朝鮮征伐とかが秀吉の時代にありその文禄の碑を新地の神社で発見されたことは新鮮だった、なぜなら相馬藩より伊達藩の歴史が古いから文禄が発見された、でも相馬藩では文禄の碑を見たことがないからだ
そしてただその碑には文禄とだけ記されていた
何か葛尾村の元禄の碑も検地がありその記念でありこの文禄の碑も検地が行われてその記念として建てたのかもしれない。

文化ぶんか1804/02/111818/04/21
文政ぶんせい1818/04/221830/12/09
天保てんぽう1830/12/101844/12/01天保の改革
弘化こうか1844/12/021848/02/27
嘉永かえい1848/02/281854/11/26
安政あんせい1854/11/271860/03/17安政の大獄、安政の大地震
万延まんえん1860/03/181861/02/18
文久ぶんきゅう1861/02/191864/02/19
元治げんじ1864/02/201865/04/06
慶応けいおう1865/04/071868/09/07慶応の改革  

この辺は一括して幕末になる、なぜなら天保というとき明治になって新島襄などが天保生まれだからである、幕末がこのように細分化された元号になっていることがわかりにくくしている
この時代は昭和のように幕末として一つの元号にした方がわかりやすかったとなる
それで昭和になって天皇一代で一つの元号化することが法制化された

年号とは何なのかとなるとめんどうになる、ただ年号のいい面がある
西暦にすると数字化すると無機質的になる、ただその方が世界史を学ぶとすると世界共通になるからわかりやすいのである
元号とは日本が天皇の歴史を国の歴史としているからありえた
でもそれがグローバル化した世界で通じるのかとなる

ただベトナムが越南と呼ばれて大正という元号が使用されていたことはベトナムが一時
中国の漢字圏にあり日本と共通していた、中国周辺国家として歴史を共有していたことになる、それでベトナムに親近感を覚える、韓国は漢字がないことで何か共通の歴史と文化を継いでいるという感じがなくなる、今はベトナムはもう漢字は全く使っていない
漢字は中国と日本でしか使っていないのである

元号というとき明治があるがこれは明確に時代を画したので明治というときその時代を彷彿とするものがイメージできる
それで「降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男」がありえた
そして大正はあまりに短かった、でも私にとっては大正はなじみがある

明治 父親が酒屋で丁稚奉公
大正 母と姉が生まれる
昭和(前)母は原町紡績で糸取り 姉は従軍看護婦でシンガポールに四年
昭和(後)高度成長時代
平成 バブル崩壊 停滞の時代

私にとって明治とか大正でもなじみがある、それは家族が両親がその時代の生まれだからである、まず祖父の時代までは一つの時代を生きた感じになるからだ
そして明治の前になると江戸時代になるともう時代を共有していない
それで元号の不思議は幕末の安政があるとする、でも慶安(けいあん)1648/02/15とかありそれより前だったのかとか勘違いする
つまり元号は江戸時代になるとその順序を間違うのである、だから変なのことになるのである
それは明治と大正を逆にして時代を間違うことは今ならありえないからである
大正―明治とみる人はいない、でも江戸時代だとそれがあいまいとなり間違うのである
するとその時代に起きたことでも何か時代を間違えてみることになる、そうすると歴史が混乱するのである

昭和にしても昭和前と後では全く時代が変わっているのに同じ昭和ということで違和感を感じる
いづれにしろ元号とは何なのか?それがやはりこれだけグローバル化しているから問われる  
戦後30年くらいまではやはり高度成長の時代であり活気があった時代として見る
でもその後は何かバブル崩壊とか日本の経済は停滞に入った
それが平成の時代だったとなる
ではその次の時代は何になるのか?
どのような元号になるのかいいのか?
これもむずかしい、それは合併して市町村の名前が変わった時そうだった、何か美里というありふれた名前にしたのもいいとは思えなかった、この辺は南相馬市になったがこれは単なる方角地名で良かったのか今でも問われる
結局南相馬市と相馬市が合併して相馬市になるための布石だったという人もいる

江戸時代の元号をみるとなぜ文とつくのが多いのだろうか?
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これも新地にあり伊達藩内だった


            
あや
【文・綾】

物の表面に現れたいろいろの形・色彩。模様。特に、線が斜めに交わった模様。 「―織」

文化とはなぜつけられたのか?これも文字通り文化なのか?文化興隆の時代だからか?
文の意味は文化の時代だからか?その意味が良くわからない

人気のものとして 

 明治、大正、昭和、平成の頭文字をアルファベットにしたM・T・S・Hと重ならないよう配慮したのか、「安」「永」「和」などの漢字の人気が高い 

この三文字が使われるのか? ただ次の時代を象徴するものとして何がいいのか?
私は文和とか啓和をあげた、これはまだ使用されていないし前の明治大正昭和とも重ならない
安と永は江戸時代の年号に良く使われている、でも今の時代にふさわしいのか?
何かどうしても元号は古臭いものとして古典に基づくからそうなりやすい、斬新なものが作れないのである
  
文和とするとき文は文化交流の時代であり文化でもって世界的に和を結ぶとなる  

啓和とすると 


閉じたものをあける。未知のものを明らかにする。教えみちびく。みちびく。 「啓示・啓発・啓蒙(けいもう)・啓開」

これだと現代に合っているかもしれない、つまりこれからの時代はインタ−ネットの社会が成熟してくる
ネット社会でグローバル化することはさけられない、つまり知識の時代が加速して成熟してくる
それはグローバルインテリジェンスの時代になる、知識は庶民にまで拡大浸透してくるのである
それは文化の時代にもなる、ハードの物の生産からソフトなネットワークの知識社会になる
日本はそれに乗り遅れたのである、中国の方に先を越されたのである
それは日本人はどうしても何かインタ−ネットのことがその世界のことが何を意味しているかわからなかったからだろう
それは良質な物を作るというのと次元が違ったものでありそれが理解できないためだったともなる

日本人には苦手な分野だったともなる、そういう時代に適応できなかったためだともなる
それで銀行もなくなるとか何かこれまで安定したものが崩壊してゆく危機にさらされている
それはインタ−ネットというもののコンセプトが何なのか理解できなかったからだともなる
それは新しいネットワークを世界的に結ぶものだったということが理解できなかったからだとなる
そうしてブロックチェーンとかの技術が生まれたりするともう貨幣はなくなる
インタ−ネットの中で世界中でビットコインのように流通して金が直接支払われる、銀行を介さなくてもいいのである
それは私にはわからないにしても何かそうしたネットワークがインタ−ネットの技術にあることが理解できないのである

まさに閉じたものをあける、未知のものを明らかにする、それがたりなかったとなる
だから啓和というのがふさわしいともなりまた文和もこれからの時代にあったとものとなる
そして国風文化が日本にまた起こるということを私は言ってきたのは奈良時代の漢字化した中国文化した時代から平安時代になりかなが発明された時代とにているからだ
西欧文明とかアメリカ文明の時代は終焉して新しい時代の啓和の時代が来るともなる
ただ昭和とか平成の元号が時代にあっていたかどうかは疑問である
明治とかは明確に一時代をイメージする、大正でも短くても親が生まれた時代だからなじみが団塊の世代にはある
でも昭和というのは和の時代でもない戦争があったから何か合っていない
平成でも何か平凡でありどういう時代だったのかただ平凡であり日本の停滞の時代だったとなる

でもこれからどういう時代になるのか、また作っていくのか?
元号は次の時代を現すまたは象徴するものとなるのか?ただ私自身はもう団塊の世代でありその時代を生きることはむずかしい
それでも人生百年時代となるとまだまだともなる
第一次の天皇になる人が59になっていることに驚くのだ
それはたいして自分とも変わりないのかとも思ってしまうからである
現代の年齢感覚はかなり違っている、人生百年となると60は50前であり10年以上差し引く必要があるからだ
60代はみんな現役として生きる時代だからである
長生きの時代として永の字を使うのもありかなとも思う、永和とかなると何か平凡なのである
これは明日のお楽しみではある

我が父は明治生まれや母姉は大正生まれ死にてふりかえる

ともかくまだ平成となるとこうした歴史とはならない、昭和はなりつつある、戦前はの昭和は歴史であるしすでに戦後の昭和も高度成長も過去のものとなり歴史となりつつある、元号というのはやはりそうした歴史として重みをもつかどうかにある
西暦の数字だと無機質であり無味乾燥ともなる、元号は天皇に由来するから人間を基準にしているから人間味があるともなる
ただ天皇象徴制が日本でいつまでつづくのか?
政党名でも民が多い、福島民報とか民友でもそうである、民主主義の時代だからそうなったのである
だから民という字は必要だともなるがなかなか江戸時代の過去の年号をみると入れにくいのである
とにかく元号でも地名でも市町村名でもそれが長く使用するから変な合わないものをつけるといつまでも影響することが問題なのである、美里などどこにでもありあまりにも特徴がなさすぎるのである、でもそれを使用つづけなければならないことに問題がある
まず地名は古代からあり変えられないからである
元号は変えられるが地名は変えられないものだからである、そこに元号と地名の相違がある

posted by 老鶯 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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