2019年04月01日

一世一元制は明治からはじまった (日本の長い歴史にはなかったことでかえって伝統に反していた)


世一元制は明治からはじまった

(日本の長い歴史にはなかったことでかえって伝統に反していた)


年号(元号)は、漢の武帝の即位した紀元前141年の建元元年に始まる。それ以後、各王朝の皇帝は、祥瑞(めでたいしるし)や天災を機会に年号を代えてきた(改元)。改元は皇帝の権限であった。明を建国した朱元璋は、洪武という年号を立て、皇帝一代一元として絶対に改元をしてはならないと定めた。皇帝は死後、廟号として太祖といわれるとともに、元号によって洪武帝と呼ぶ習慣ができた。これ以来明、清の皇帝はいずれも一世一元の制を守っていく。

日本でも明治になって一世一元とされた。一世一元制はまさに皇帝の絶対権力の成立とともに始まったもので、

 彗星が接近したら改元(例:久安・宝徳など)

・戦乱が起きたら改元(例:応仁・享禄・天正など)

・火事や大噴火が起こったら改元(例:明暦・宝永など)

・他にも将軍の改元、江戸城が燃えたから改元、山崩れのため改元、などなど


元号というとき常に私は郷土史を知るために墓地とか石碑でもまずいつの時代かをみる
江戸時代だったら必ずマークしてここは古いなとかみる
でも元号をみて天皇を意識したことはないのである
元号で意識するのはその元号の時代に何が起きてどういう時代だったのかを知りたいとなるが容易ではない
例えば大同というのは東北では重要な元号である
それはその時代に蝦夷征服を大和朝廷で推し進めていて坂上田村麿が活躍した時代だからである、それで田村市とあるとそこから市の名前になっている
相馬市も南相馬市も相馬市一族が千葉方面から移住して支配したからその名になったとにている

また文明となるとこの時飢饉があり相馬藩で三分の一の所帯が減ったから常にマークされる、それは文明という元号が大事なのではなくその時起きた大惨事故に記憶されているのである
明治以降でも太平洋戦争だと昭和になる、でも戦後の昭和は高度成長の時代であり平和の時代を享受したのである、だから戦後はもし江戸時代だったら改元している
ところが一世一元になっていたから変えられなかったのである
そうなると元号から時代を見ることがむずかしてなる、なぜなら戦前と戦後とはまるで違った社会となっていたからである
アメリカの民主主義を全面的に取り入れた社会になったからである

歴とは元号とはその時代に何が起きたかどういう時代の特徴があるのかが肝要なものとなる、それの目安としてある
それで天変地異があったり戦争があったり何か大きな事件があったりすると改元したというのはその方が歴史にとって重大なことだからである
つまり歴史にとって元号とはあくまでも時代の目安となるものであり何か明治以降は強力な天皇制が全面に出たから時代が逆戻りしたのかともみる
古代では天皇は現実に神になった、でもその後は江戸時代などは天皇の名前すら知らないとか京都で貧乏暮らししていたとかなる、実質の権力は政治は武家によって行われていたからである

だから明治以降は日本の歴史は古代に返ったとなる、尊王攘夷思想でも天皇を前面に押し出すものとなりそれが西欧化による対抗手段として用いられたのである
そのことが尾をひいて太平洋戦争に天皇を御真影として神として300百万人が死ぬ犠牲を払うことになった
これは実は歴史の逆戻りだったのである
明治といえば明治天皇時代であり大正でも昭和でもそうである

一世一代の元号の利点は江戸時代の年号をみればわかる、5年で改元されたとかあまりにもその年数が短すぎるから元号で歴史をたどると細分化されているのでわかりにくくなる特に幕末は変わりすぎたのである
だからなぜもし元号が日本の歴史に必要だというのはわかるとして一世一元の元号にするのくだろうか?
それは天皇の権威を保つためだともなる、そうしないと天皇の権威が失われるからだともなる

元号より西暦でもその数字よりその時代に何が起きたのかどういう時代なのか知るか事が重要である、それによってその時代をしる、西暦でも元号でもそうである
キリストが生まれたときから西暦が始まるのだからキリストが生まれたという大事件がそうさせたのでありイスラム教になるとモハメッドが生まれた年だとか釈迦が生まれた年をはじめとするのもそのためである
一世一元の元号にも利点がある、天皇と同時代を生きる感覚が生まれる
それでそのことを書いた、明治とか大正という時代になると私の父が明治生まれで母と姉は大正生まれでありそれでその時代に親しみを覚えているからだ
でも元号で天皇を呼ばない、明治以降だけ元号を天皇が生きた時代として現すようになったのである

ただ昭和となると何か親しみがないというか時代が長すぎるとなったのである
つまり頻繁に改元するのも良くないが戦後は改元するべきだったとなる
なぜなら江戸時代まではそうしてきたからである
古代の神のような天皇を継続させる時代ではなかったけど日本が西欧列強に植民地されるとかの危機感から古代の天皇に逆戻りしたとなる
何か日本を統一するのに天皇はどうしても必要になったからである
天皇とは何かとなるともともと政治的道具として権威として利用されてきた経緯がある

ともかく元号を継続するのか?天皇制を継続するのか?
これも曲がり角に来ているとなる、でも二千年つづいた元号を簡単に廃止はできない
それが日本の文化だという時、天皇制ともまた違って元号の意味を考える時なのかもしれない、天皇とあまりにも深く結びつくことは象徴天皇制の時代に合わないのである
なぜなら明治天皇とか大正天皇とか昭和天皇の時代となり天皇が中心となる歴史に逆戻りするからである
つまり歴史を作るのは天皇ではない、その時代を作るのは天皇ではないからだ
だからこそその時代に起きた天変地異とか戦争でも大事件でもそうである
この辺では東日本大震災と大津波と原発事故により時代がまるで変ってしまった
だから津波前と原発事故前と後で時代が変わったから元号も変わってもいいとなる
ただ江戸時代のようにそうして頻繁に元号を変えるのも問題だとなる
そうなると西暦の方がいいともなる

だからこそ戦前の昭和と戦後の昭和はまるで違ったものだから元号を変えてもうたいして事件も起きなかったのだから元号を変えない方が歴史をみるには良かったのである
天皇が時代を作るわけでもないからである、そして元号を秘密裏に決めるとかも何か民主主義にかなっていないのである
この権限は政府にあり天皇になるとかなる、ただ天皇は元号を決められない時代になったすると誰が元号を決めるのか今の政府が秘密裏に決める、そして何か今の政府の権威を高めるイベントにするともなる
もちろん私は日本古来の伝統文化を維持し復古させるべきだという立場にある
でも天皇制を今のように維持するのかとてるとそれは別な問題になる
元号にしても歴史的に一世一元ではないしそういう趣旨でつけられた元号は今までなかったからである、そうしたら二千年の歴史的伝統に反していたとなるからだ

それで思い出すのは都築詠一氏があれほど昭和天皇を批判していたのか?
強力な武闘派の極右とも見えたのになぜなのか?

「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳天皇の跡をたどる(キーワードー都築詠一) 

なぜこれほど光厳天皇をほめていたのか?それは南北朝の争いで光厳天皇が自ら蟄居して深く反省したからだとしている
それに反して昭和天皇は自分の命が助かりたくてGHQに命乞いしたとか痛烈に批判していたのである
それが極右なのになぜだろうと良く理解できなかったのである
普通は極右だったら天皇は批判しないからである、だから一世一元制にも反対したともなる
ただ今や日本人にとって天皇とは何なのか?それも問い直されている
それはマスコミとかでは表立って言わない、だからまともな議論にもならない、何か日本が危機になる時天皇が問題になる
南北朝時代がそうでありまた明治維新の時もそうだった、錦の御旗が強力なものとして勝敗を分ける
官軍と賊軍に分断されてしまうのである、それが日本の歴史だったともなる

でもそれが今後適応されるのか?日本は混乱が生じると天皇を担ぎ出す、それが権威となるからだ
だから今は自民党がそうである、これはいい機会だとして政権を強化するものとして利用する政治的意図が働くとなる
かといって元号は日本の歴史そのものであり文化だというとき否定するのもむずかしいしメリットもある
そういうことで元号は日本の歴史とかをふりかえる話題として良かったとなる
そして元号がなぜ維持されているのか?
それは日本が漢字圏であり漢字を使用していることにあった、漢字二字で深い意味をもたらす、漢字一字一字にも深い意味があるからだ、でも中国では元号は廃止された、それは共産主義国家になったからである
王朝を否定するものだからそうなった、日本では天皇を象徴制として維持するのはやはり日本の歴史と文化の継続のためとしてあるからだともなる



posted by 老鶯 at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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