2019年04月07日

神の爆弾に宗教問題をとりあげる (宗教団体はただ数を権力を得るために活動しているだけ)


神の爆弾に宗教問題をとりあげる

(宗教団体はただ数を権力を得るために活動しているだけ)


宗教と宗教団体と違っている、宗教団体とはなんであれ利権を追求する団体である
それは政治団体ともにている、創価などは政治団体化している幸福の科学でもまた他の日蓮宗系統の団体でもそうである
そもそも宗教を職業とすること宗教で飯を食うこと自体が何か誤った方向に導いたのかもしれない、それでパウロはそのことを嫌ってテント作りして自活して布教していた
宗教というとき何か暴力団のように怖いというのは団体化して徒党を組んで威圧してくるからである
そして罰が当たるとかその団体は宗教で脅しをかけたりする、呪うことだってする
そうしたカルト団体では宗教団体はみんな同じなのである
個々人の改心とか心の問題など関係ないのである
会員を増やしてこの世の勢力となり権力と利益を得るためでしかない
エホバなどでもそうである、会員になるのはどんな人でもいいのである
ネコ十匹飼ってまわりに迷惑をかけているとしてもその人がどんな人か問わない

それはどこでも同じなのである、会員を増やすことが第一であり宗教で重んじる改心とか何か精神的なことは一切関係ないのである
だから政治団体に当然なってゆく、議員をたてないにしても政治団体なら当然団体の利益を得るために訴えても正当化されるからである
そして集団化すると何でも許されるとまでなる
みんな創価の会員であれカルト団体の会員化したらそれはナチスになるのである
宗教だと必ずそれが悪用される、敵に罰が当たるとか呪詛するのも普通である
それが何百万で呪詛されたら怖いものとなる、つまりナチスなのである
当然権力を目指しているのだからその人たちが権力がとれば結果はどうなるのか?
それはソビエトとか中国の共産党でもわかる、利権は一分の幹部が一人占めすることになる、なぜならそもそもそうしたイデオロギーなど手段に過ぎないのである
権力を得るための美辞麗句でしかないのである

現実は常に人間の底知れない欲望がありそれが権力を得ればそれを実現しようとする
宗教団体だから清貧だとか今はありえないのである
それはすでに宗教が力をもったとき権力を得た時そうなっていたのである
だから実質の権力者の武士と衝突して信長の焼き討ちがあった
それは信長でも相手がそうしてただ権力を維持して権力をふるうだけの団体とみていたからである、そこに現実に武力をもつ僧兵もいたからそうだったのである
宗教団体は僧兵であり武力をもたないにしろいざとなれば武装すらして権力をふるうことになる、カトリックでもそうだったから政教分離政策をとるようになったのである

つまり宗教も必ず俗化する、巨大な大衆であれそうしたものに飲み込まれて俗化する
そもそも会員だけを増やすことを目的としているのだから必然的にそうなるのである
その人たちは地の塩なんでもないただの俗化した人たちである
ただそうして団体で数で権力化して圧力をかける、そのために宗教も利用されるだけだとなる、寺がつぶれてゆくというときも何か宗教が胡散臭いというのがあるからである、江戸時代から墓を管理するだけのものでありそれが現代までつづいてきただけなのである
大衆にとって宗教はなにか?
それは一つの利権団体として利用するものとしてあるだけである

キリストが二三人集まる所に私がいるとか言っている、たった数人のことなのである
それが何百万とか億人とかなるともうそこには神はいないのである
ただ権力を得るために人々が群がるだけだとなる
オウムの幹部は高学歴でありそれで学歴をもっていない人が地位を得るために幹部になりたくてサリンをまいたと言っていた
その内部でも熾烈な地位争い権力争いがある
そして人間が組織化して集団化するのは人間の変わらない業なのである
会社自体でも必ず派閥を組む、派閥を組むことも人間の業である
それで宗教でも団体化組織化したら同じになる
そこはもう権力を操作する場所でありあとは宗教はそのために利用されるだけだとなる

そもそもでは会員を一人でも増やしたから信者の数を増やしたから神は認めるのか?
数さえ集めればそれで集団で神に訴えて神が仏でもいい認めるのか?
それは世俗ではそうして数が集まれば恐怖するし権力で左右できる
でも数が多いからとその人たちがみんなどんな人たちなのか、その内面は心はどうなるのか?そういうことは一切関係ない、これだけの数が集まりました、みんな成仏させてください、天国に入れてくださいとは宗教ではならないのである
それは世俗の場なら通用するからそうなっているのである

それがイスラム教でも同じだったのである、最近見ている、「オスマン帝国外伝 〜愛と欲望のハレム〜」でイブラヒムという大帝相に反乱する、イスラムにもいろいろ宗教団体があり特別の団体に金を支給できない、多くはできないと断る、それをその宗教団体は怒りデモしたり襲撃までする
それは一重に特別に特定の宗教団体に金を多く出せということでそうなった
それでそこまでするというのはドラマだからだろう 
普通は宗教家だったらそんなことまでしないとなる
それで殺されているのだから割に合わないとなるからだ
でも金がないと生活に困るとかありそうなった、政府からの支援で成り立っていたからだともなる、これも何か政治と宗教の分離がなされておらずこうなった
現実にこれは日本であれ世界であれ共通の問題だと思った
利権のためには金が欲しいとなれば武力で襲うこともある
ただそれだけのことでありそこに何か宗教が関係しているとも思えないのである

宗教団体の会員の頭の中にあるのはとにかく会員を誰でもいい、一人でも増やして勢力を持つことである、権力をもつことである、それしかない
それが権力を得る事だからである、後は馬鹿な会員に適当に罰当たるとか脅していればいいとなる、ただそれでも自分がその罰を当たることを恐れているのである
それは自分が損すること常に恐れている、損することは罰があたることなのである
利益があるもうかる得することが信仰のおかげだとなるだけである
それが宗教の俗化であり大衆化でありもうそこには本来の宗教心など何一つないのであるあるのは人間のむきだしの欲望が集団化したというだけなのである
そこでは一切の精神的なもの真善美もない、そんなものが生まれえようがないからだ
だから宗教でも仏教でも芸術化されたときそこにはやはり今の宗教とは違っていたのである、それは本来の宗教心が信仰心があってこそ生まれたとなるからである

現実に創価だったらカジノなどギャンブルに反対するはずだがしない、自民党のなすがままである、それが庶民の政党なのか?
つまりもともと権力を求めるだけであり権力で得することしか考えないからそうてっても不思議ではないのである
それは結局大衆なら得することしかしない、原発でも得するから積極的に誘致したのである
損得ですべて判断するだけである、いづれにしろそういう団体はなのためにあるのか?
それはただ利権をえるために会員を増やし権力を得るためだとしかいいようがないのである
だからそういう団体が宗教を標榜していることこそ偽善だとなる
でもそういう矛盾がこの世の習いだとなる、それが変わらぬ世の中の姿だとなる
それにしてももっと謙虚ならいいがあからさまに利権のみを追求しているのは異常だとなる
そのために毎日祈っているのも異常だとなるがそれがそうならないのは数が多いことであり権力をもつと是認されることである
そしてまたいつしかナチスの全体主義の再来の悪夢が現実化するのである 

paperbbbb111.jpg

紙の爆弾は何なのか?左翼系であるがそれなりの論調を出している
でも楽天でその紙の爆弾を出した、楽天の社長は創価系だとしているがそうでもないことがわかる、ここで批判しているからである
とにかくインタ−ネットだとプログだと簡単にこうして評論を加えられる
それは金がかからないからである、マスコミが力をもったのはまず一個人では新聞であれ雑誌であれテレビとなると余計に何も言うこともできない
ただそうした権力をもつマスコミによって牛耳られてきたのである
それがyoutubeで放送するとかインタ−ネットで報道が変わって来たのである
マスコミとyoutubeでも平行化してくる、それは報道するにしても資金がかからないからである、テレビ局すら個人でも作れるともなる
そこで百家争鳴になっている

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185825396
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック