春の丘のスミレ(隠された道)
春光や道いくつも分かれけり
隠されし道にすみれを見つけけり
高倉の奥にしあれや古き家春の日来たりて我は偲びぬ
丘の上に松風なりて鶯の鳴く声ひびき樅の木も立つ
故郷でも狭い場所でもまだ行っていない場所がある、そこはいつも通っていたのである
それは小山田の丘だった、そこに道があり電動自転車で上った
この自転車はもともとマウテンバイクだから道が悪くて行ける
だから行動範囲が広がったのである
そこは意外と眺めのいい所だった、丘であり樅の木が一本立っていた
それが目立っていた、鶯がなき松風が鳴る、気持ちのいい場所だった
そこにはタラの芽の木が何本かあった、あれは一か所に集中してあることが多い
でもあんな近くにあるとは思わなかった、あれは知っている人はいる
あれはうまいからみんな探しているからである
近くでもまだ行っていない所を未だに発見しているのは不思議である
灯台下暗しなのである
高倉は奥の行き止まりである、あそこに住んでいる人に聞いたら戦後開墾に入った人ではない、百年くらい住んでいるというから戦前から住んでいる古い家だとなる
その土地を見る場合新旧が問題になる
あのような奥でも戦後開墾に入った人が多いからである
その見分けが大事なのである、古い家はやはりその村を語るものでありまず知るべきだとなる
橲原でも大原でも高倉でも山の方にあるのは何か奥座敷のようになる
でもそういう場所で放射能汚染で田畑でも放置されて草ぼうぼうになり荒地になっていると淋しいとなる、人間はそこに営みがないと自然まで死んでしまうのである
人の手が入らないと山でも山林でも何か問題が起きてくる
そういう場が失われることは全体からみると小さい部分でも何か貴重なのである
ただあんなに桜が咲いていたのは意外だった
あそこはバンガローとかがあり休む場所になっていたが人はいなかった
高倉からさらに道がありあそこはどこに行くのか?飯館村の長泥の方に行く
でもそこは立ち入り禁止かもしれない、ただ前は細い森の道を行っていた
道にさそわれてどこまでも行く、それが旅でもあった、道は未知だからである
【日々の感想(今日の俳句短歌と詩)の最新記事】
- 冬の日に相馬市の宇多川を上りから丸森へー..
- 冬薔薇【一日風が唸り吹いた】
- 冬の菊の俳句連作【原町郊外から橲原の冬景..
- 冬に入る―俳句連作−神の手に万物が結ばれ..
- 俳句が写生になるのはなぜなのか? ..
- 鹿島駅舎は古いー駅前の星自転車屋は死んだ..
- 人は死んで何が残るのか―愛は消えない ..
- 国民国家とは近代に形成されたもので新しい..
- 文化の日に近くの地蔵堂をたずねる ..
- 夕陽が輝き秋の雷がひびき鳴る
- 【田舎の秋の風景】ーダリア、秋薔薇、柿、..
- コスモスと川と魚 Cosmos a..
- 秋になり飯館村に行く【秋の風、秋の蝶、実..
- 秋からすぐ冬になるのか (花でも野..
- 秋時雨(急速に秋になってゆく (自..
- 秋になってもまだ夏なのか(鮎、カンナ、朝..
- 認知症にならないためにすること (..
- ようやく秋になるー窓に月(朝露、稲穂、秋..
- 特別暑い夏の詩(鷺、涼しい、雷、夏の雲、..
- 小さきものの声(虫の声)