人を雇うほどやっかいなことはない―人手不足はなぜ起きる
(奴隷のしつけ方(本)を読む)
コンビニでも人手不足で24時間営業ができなくなるとか曲がり角に来ているとかなる
24時間影響でないと仕入れを夜にして早朝に品物を出せなくなるとかある
それより人手不足が深刻のためもう維持できないとなっている
都会では外国人労働者が多くなる
そもそもなぜ人手不足が起きるのか?
少子高齢化とかいろいろあるにしても現代では労働したくないのである
人間はもともと労働をしたくないというのがある
労働は重荷になるからである
だからこそ機械化自動化することに経営者は熱心になる、また誰でも機械化して家事ですら楽にしたいということで機械化したのである
人間の楽園はエデンの園では労働はしていない、そこには果物でもふんだんに実り労働する必要はなかった、アダムが罪を犯してエデンの園から追放されて労働させられるようになったのである、労働は呪いであり神からの刑罰だったとなる
私自身も労働を嫌悪した、それは底辺で流れ作業のようなことばかりしていたからであるそれはまさにロボットにされることだったのである
そこに人間の尊厳は丸ごと奪われこる、機械と同じにされる、ならば機械化して人間はいらないとなるのは当然である
それ以後私は一切仕事はしていないのである
コンビニに働く人がいないのはなぜか?
そこで働く人に敬意をもつ必要があるとか言っていたがまず今働く人に敬意をもっているのは医者とか科学者とか技術者とかくらいだろう、弁護士などもそうなる
後は底辺の労働者にまず敬意を持つ人はゼロだろう
そこには敬意どころか感謝すらないのである、感謝されるのは買う方だとなっているからだ
駅で道案内とか何か案内してありがとうと言われる、その時すら感謝しているがコンビニとかスーパーで働く人に感謝している人など皆無である、ただ文句と不満しかないのである、だからそういうところで誰も自主的に働いているわけではない、しかたなく金のために働いている、それはみんなそうである
つまり現代はあからさまな奴隷はいない、金銭の奴隷化されたのが現代である
人手不足というけど別に元気な老人が膨大にいるしその人たちはパークゴルフとかして働かない、ニートもいてその数も60万とかいる
つまり現代は働かないで暮らせる人が膨大なのである、何千万人といるのである
それだけの余裕があるからそうなっている
人間というのは本当に歴史をふりかえると過去には奴隷がいて過酷だったとかなる
でも現代でも資本主義社会で巧妙にかえって過酷な奴隷にされているということがある
それはあからさまに奴隷ではないからそう自覚しないだけである
「奴隷のしつけ方」−マルクス、シドニウス、ファルクス・・は面白い本である
ローマの奴隷となると過酷な本当に奴隷のように思っていたがそうではなかった
奴隷も人間だから人間的に扱うようになる、そうしなければ奴隷を働かせることはできないと書いている
不思議なのはかえって人間的なものがそこにあった
奴隷は奴隷ではない人間であり主人でも奴隷のように仕えるのでは人間として仕える
そして忠誠を誓い主人のために命までささげた奴隷もいたのである
それは家族のような紐帯が一緒に暮らしているから自ずと生まれていたのである
人間はどんなことしたって家畜ではない、家畜のようにはできない、必ず人間的情が生まれる、奴隷は家の中で働くから余計にそうなるのである
家族の一員のようになってしまう、現実に奴隷でも家族と一緒に食卓を囲み食事していたことがあった、奴隷というと鎖縛られて家畜のように扱われたように見ていたが違っていたのである
現代の方がむしろ非情な奴隷化システムが構築されている、そこには人間の情が親愛の情が通わない、ロボットのようにまさに工場では流れ作業をさせられているのだ
後進国だと余計にそうさせられる、子供まで安い賃金で働かせられる
だから時代が進んでも文明化されても人間が幸福になるということはなかったのである
誰もが今働きたくないというとき労働する者に敬意をはらわないというときローマの奴隷以下にされているのが現代なのである
そして決して人間は奴隷のように働かすことは不可能である
だからこそ外国人労働者でも自国並みの待遇をしなければもう日本には来ないとなる
それでそういう法律もできる、いかに人間を働かすことはやっかいなことかである
とても機械のようにロボットのように働かすことはできない、だから奴隷というがそれは今よりましだったともこの本を読んで思った
正直それを自分自身が嫌というほど経験した、もう根も尽き果てるほどになる
雇う方が重荷になるのである、それでまた機械化ロボット化が雇う側にするとそうする事情がある、人間を雇うということはどれだけ負担になるのか?
そうなら機械化ロボット化自動化ですまそうとするのは必然なのである
だからコンビニでもどこでも自動化する、駅でも無人化するのである
そのコストは金銭面だけではない、様々なことで負担になるからである
そして自らの自主的な意志で働く人はまれである
それからどこでも働いてる人に敬意などもたない、むしろサービスがたりないたりないと文句と不満しかないからである
それでベーシックインカムでも現代に堂々と言われ実行さえされている
でもこれも失敗になっている、働かなくてもいい社会である
なぜならみんな働きたくないからそうなる
ではベーシックインカムになったらみんな働かないかというとそうではない
私の家にきて働いた人は今は何もしない、皿洗いもなにもしない、ただ三日に一度くらい話にきて金をせびるだけだとなる、でもその人は小さな畑でたいして野菜もとれないがその仕事だけは文句言いながらしたいのである
それでもそこには種だと肥料だ道具だと金がかかるがそれも払っている、それでもらったのはキュウリ二三本だったのである、だから一本一万以上のキュウリになっていたのである
いづれにしろ人間は金のために働く人は奴隷である、ソローも「森の生活」でそう言っていた、もちろんベーシックインカムなども実現不可能なことはわかる
でもそれが公然と言われすでに実行されたのはやはり現代のシステムはローマ時代より過酷な奴隷労働化されているからである
ローマの方が主人との親愛の情が生まれ主人のために命まで捨てた人もいたのである
それは武士社会でも主従関係が生まれてそういうことがあったのとにている
そこにはどうしても家族のように一緒に暮らすからそういうことが自ずと人間だからこそ生まれたのである
今はただ人間と人間の関係は金しかなくなったのである
そこに一切人間的情を省かれた社会なのである、だから索漠とした社会である
もちろんローマの奴隷でも召使でも奴隷でも常に盗まれるとかがあったから今と同じである、でも何かそれでも家族内労働となると人間的な情愛が生まれる
現代の問題は情が喪失した省かれた非情化した世の中である
そしてすべてが金に換算されるだけで一切人間の情は通わない世の中なのである
だからまず家の中に入る人はローマの奴隷ように危険である
まず金しかもらうということしかない、だから後は盗めばいいとなってしまうからであるローマでもそのことで苦労していたけど反面家族のようになった人もかなりいたということである
つくづく人間の進歩とはなんなのだろうと思う
ローマの奴隷とかなると映画とかで見ると非人間的な社会だと見ていた
実際はむしろ現代社会より情的であり人間的であったともなる
現代の方が非人間的であるとすると自由社会でありながら巧妙に資本主義のシステムのなかで奴隷化されている、どうせ社畜なんだよなと常に言うのもそうである
会社員でも奴隷だと意識しているわけである
だから元気な老人でもニートでもなんでも金さえあれば働きたくないのである
そして当然そうなれば働くことを強いられなければ働かないとなる
それも責められるにしても自分のように別に働かなくてもいいなら働かない
駅でボランティアしているのは別に働いているわけではない
そこで人と話したりその合間に困った人がいたら案内しているだけだとなる
別に雇われているわけでもない、だから雇う人は何の負担にもならないのである
私は何もしない人でも金を払っているのとは違うのである
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