「高齢ドライバー」の運転を止められないのか
(老人でも今までしてきたことは簡単にやめられない)
高齢者がなぜ車の運転をやめられないのか?
車社会だからやめられない、車社会用ように社会ができているからだ
もし車を運転できなくなると社会的弱者に転落する、社会から置き去りにされる
どういうわけか私は車を運転できないから自転車に乗っているから自転車の人とは話が合い仲間になりやすいのである
駅でトラック運転手だった人が足を怪我して運転できないので自転車に乗って遠くに行くその人は60代であり70なのかわからないが結構相馬市とか松川浦とか行っている
15キロとかなるとかなり遠くなる、それも電動自転車ではないのである
まずその人が車を運転していたら話もしないのである
自転車を通じて話をするようになったのである
その人が言うには車を運転できないのは何か問題があり能力的にも問題があり社会的劣等者に見られると言っていた
そういうことは確かにある、そして自転車は車に嫌われる、突然横切ったりするからである、自転車は車にとって特に目障りなのである
高齢者でも車を運転できないことは夫婦だと女性も今は普通に運転しているが運転できないと妻を乗せられないとかなり頼りにされなくなったりする
田舎では特にそうである、買い物でも街内に住んでいない人が多い、するとどうしても車が必要であり一人一台とかでももっているのだ
第一男が車をもっていないと女性だってついてこない、車に女性を乗せられることで一人前の男だと今はなっているからだ
そういうことが車社会なのである
それは江戸時代辺りだったら馬をもっているのが侍であり馬を持たないものが庶民階級だとなる、それで馬を飼うための専用の家来をもつのが侍である
そして徒町(かちまち)があるがこれは徒歩で歩く人の町だと区別されたともなる
御徒歩(おかちまち)とかがそうである、そこにも馬を持つものと持たない者の差があった、それが車社会になれば車をもたないものは足軽のようなものになる
現代で車をもたないことは実際に私自身経験している、モスバーガーは車専用だとばかり思っていた、それでそこで中が喫茶店のうよになっていて休める場所と思っていなかったのである、それは車を利用していないからそうなったのである
それも20年間くらいわからなかったのである
つまり車を持っていなものは社会のこともわからなくなる、なぜなら車社会だからであるそういうことはパソコンとかスマホとかでもそうである
情報社会でインタ−ネットをしていないものは時代に乗り遅れるのである
インタ−ネット社会になっているからインタ−ネットから情報を得たり発信しないものは遅れるのである、ただこれはまだ車社会とは違っている
車社会では社会全体で生活するのに不可欠になっている、だからこそシャッター商店街が生まれたとき駐車する場所がないということが要因でそうなった
車社会になっていることは駐車場がないことは致命的だからである
それで鹿島駅で案内などのボランティアをしていて自転車の駐輪場が前は広く両側に置くことができたのに狭くしたのである
それは車が八台駐車するためのスペースをとるためにそうしたのである
なぜなら駅には駐車する場がないからである
地元の人が駐車しているのは契約して場所を確保しているから外部の人は駐車できない
それから駅前は一時的にしか駐車できない
その八台分は商工会の観光協会に連絡して金を払うと長くとめられる
それは前々からわかっていた、鉄道を利用しなくても車で駅に来る人がいたからだ
道の駅がここにないので街の中心が駅と思い車で来る人がいたからである
駅でも車が遠くから来た人でも駐車できる場があれば駅周辺も活性化するとなる
鉄道だけでは今は活性化しないからである
いづれにしろ高齢化で車の運転をやめるという人に免許を返上したという人に何人かあった、それは80くらいの人である、男性もいたし女性もいた
そして鉄道を利用していたのである、そういう人は電車の乗り方さえわからなくなっているのである、でもそういう人か高齢化社会で増えているからこれから交通の問題が生まれる、田舎で老人でも車を利用できなくなったらどうするのかとなるからだ
そうなるとバスとか他の交通手段の整備が必要になってくるのである
老人の習性として今までしていたことを同じように続けようとする
それは自分でもそうだった、今までしていたことをやめられないのである
年寄りの冷や水というけど今までしていたことは依然としてできると思いやる
それで74歳でもバイクに乗っていた人がいた
ハーレーダビッドソンに乗っていたのである、それは双葉の人である
補償金で金が入ったから買ったのだろう
何か自分でも病気とか介護から解放されたら登山しようとか新しいザックを買ったりしたでもそれも利用していない、ビデオカメラもしていたから買ったが利用していない
ビデオカメラは格段に進歩していたから小型のものでもデジタルカメラでも良かった
10年くらいしたら技術が格段に進歩して買い物すらできない状態になっていたのである
とにかく老人は今までしてきたことやめられない、それはあらゆる面でそうなのである
肉体の快楽でもそうである、それも老人になると異常化している人がいたというのも納得する、性の快楽などでもやはり一旦味わった快楽をさらに追及しよとつづけようとするのである
つまり老人になったからと言って淡泊になったりしない、また車の運転が危険になってもやはり運転しようとする、また登山でも体力がなくなってもしようとする
それが年寄りの冷や水なのである、年取ったんだからそれ相応に隠居して楽しているということでもない、今までしてきたことを簡単にやめたり継続している生を断絶することはできないのである
だから車の運転もやめられない、死ぬまでセックスとか週刊誌であおる
それは個人差があっても人間は今までしてきたことを簡単にやめられないのである
90歳になってもやはり車の運転を使用とするし今までしていたからそうなる
第一車だと体力はいらないから老人にとって車に乗れないことは行動範囲が狭くなり視野も狭くなる、そして鉄道とかバスなどは不便であり利用できないから余計にそうなるのである
駅前の自転車置場が車の駐車のスペースを作るために狭くさせられたのである
前は広かったのに車の駐車のために狭くさせられたのである
ただここには外からの人が長く駐車する場がないからこうさせられたのである
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