2019年05月05日

カルマを積んでいるから必ず苦しみとなって現れる (国でも会社でも団体でもカルマの清算が強いられる)


 カルマを積んでいるから必ず苦しみとなって現れる

 (国でも会社でも団体でもカルマの清算が強いられる)

良いことをすると良いプラスポイントがたまっていって、いつかポイントが自分に還元されます。

しかしプラスポイントと同様に、悪いことを行うと悪いポイントが貯まっていきます。そして悪いマイナスポイントも悪い出来事として自分に還元されてしまうのです。

自分にカルマのポイントが還元されることを「カルマの精算」と呼びます。


カルマの謎はいいことと悪いことがポイントとなることは確かである
ところが人間社会全体を見ればつくづく個々人だけでない、家族であれ会社であれそもそも国自体がカルマを積んでいる
それがある時何かの大きな事件となって苦しみとなって現れる
つまり時代を変えるような大きな歴史的事件が起きる
それが戦争とか自然災害とか巨大な事故とかである
また金融とかなると資本市主義が崩壊するような深刻な状態に陥ってゆく
金融恐慌などが起きてくる

その周期は60年間70年なのである
個々人でもそうであり国とか世界全体のレベルでもそうなのである
日本だと70年前は戦争でありその70年前は明治維新なのである
その変革は日本全体をまきこむ変革の時代であった
それはカルマの清算も意味していたのである

なぜそういうことが起きてくるのか?
知らずにカルマが積まれてどうにもなくなってくるからである
自分自身の体験したことでもそうである
介護から病気から今度は他者から責められるだけだった
塗炭の苦しみを受けたのである
誰も助ける者もいなかったのである
これも自分自身のカルマだった、別に悪いことしないからとか関係なく人はカルマを生きている限り積んでいるのだ

カルマといってもそれは多様なのである、結婚することもカルマであり結婚しないこともカルマであり子供をもつこともカルマだし持たないのもカルマである
仕事するのもカルマだししないのもカルマである
おそらく何もしなくても人間はカルマを積んでいる
その清算がやがて60以降に確実にカルマとなって苦しみとなって現れて清算を強いられる

それは個々人だけではない、国全体とか世界全体とか会社でもあらゆる団体でも起きてくる、宗教団体などでも起きてくる、宗教などでもそこでは本当に善いことを心の清い人たちの集まりでもなんでもないからだ
むしろ宗教を利用してこの世の欲を追求しているのがほとんどだからである
そこでカルマがそういう団体に現れてくる
そこで派閥争いとか権力闘争が内部でも起こり殺し合いさえ普通に起きる
組織化すること自体人間の業なのである、そこでは熾烈な地位争いとか起きてくる
それでオウムでは有名大学出ていないから幹部になれないとサリンを率先してまいた人がいたのである
そういうことはどこの組織団体でも起きてくる、それがカルマ(業)なのである

原発事故を見ればわかる、そこには東電だけではない、国家自体が国家を担う政治家でも官僚でもマスコミでも今の社会の枢要にある人たちが「安全神話」結託して作ったのである、国家自体がカルマを積みそして破局的な事故を起こしたのである
その時津波とか地震とかも何かカルマを清算するために起きたともなる
何かそこには人間の業(カルマ)が蓄積されて遂に爆発したとなる
戦争などでもそうしてカルマが人類全体に積もり何千万という人間が死ぬ
そして人類滅亡のハルマゲドンが起きるというときもそうである
人類とは人間とはそもそも生きること自体カルマを積む存在だったのである
だからいつか人類滅亡のカルマが破局的なものとして現実化する

例えば世界全体で資本主義がここ二百年くらいつづいたとしてもそれも富が数パーセントの人に握られる、そんな社会が持続すると思うだろうか?
なにかしらでそんな悪魔的なことをしていたら破局が訪れ日がくる、それが世界恐慌なのかもしれない、資本主義の崩壊なのである
その枢要な要の銀行もつぶれる、銀行というのは悪魔的な所があったからだ
それが確かにいい方面に機能していたときは良かった
銀行は兵器産業を推進する会社とか環境破壊の会社とかいろいろな悪い会社に投資している、また最近では地銀レベルでも投資信託とかでかえって投資する先がなくなり利子をとる方になっているのだ、だからもう銀行は半分が潰れるという時、そういうカルマを積んできたからまず資本主義は銀行から破綻してつぶれてゆく
資本主義が長くつづいてカルマを積みそのためにもうどうにもならなくなりつぶれる破産するのである

個々人でもそうだけど何か巨大なカルマが積もり積もった時、もうどうにもならなくなり天変地異とか起きたり巨大事故が原発事故が起きたり戦争が起きる
それはカルマの清算なのである、そのために人類の三分の一は死ぬと聖書でも予言しているのはそのためである
カルマの清算は個々人でもそうだが人類全体でもその規模が巨大になるのである
人類が滅亡することだってありうるのである
人類とは人間とは罪を背負ってカルマを背負って生きていたが遂にもうそのカルマを清算することを強いられる、神の許容限度を越えたとなりそれで世界が滅亡するような破局的現象が起きてくる  

そこには人間の念というのも関係している、思想も関係している、悪念が視界をさえぎるほどに人間からあくことなく放出されてくるすると神はそういう悪念に耐えられなくなりそれを一掃するために天変地異とかが地球規模で宇宙規模でも起きてくる
だから大都会は危険である、そこには悪念が欲念が集積した場所だからである
そこには人間の生き地獄が現れやすいのである、何かそこに美的なものがないことでもわかる
美的なものが生まれないことでもわかる、天才でもヨ−ロッパでも地方都市には生まれてもメガポリスなどからは生まれないのである現代は世界的にもメガポリスの時代でありそこに富が集中している、それが危険なのである

そういう場には文化は生まれない、ただ巨大な欲望の経済都市となっているだけなのである、巨大な胃袋になっているだけなのである
とにかくこの辺に起きたことは必ず全体に波及する、ここだけの問題ではない、津波とか地震は天変地異は起きる、また原発事故もどこかで日本だけではない起きる、そうういカルマが必ず蓄積されていて起きる
中国だってとても何兆もの金を人民から奪っている政権が維持できるのか?
これもカルマが積もり積もって革命が起きてそこで文化革命の時のように膨大な犠牲者が生まれる
だから何かが起きないこと自体ただ猶予期間にすぎないのである
最後に死が来るように避けられないのである、だからこそ易姓革命が起きるのである

戦争から70年過ぎて日本でも今がその大きな変革の時なのである、その変化に大きな痛みが生まれる
会社でも銀行でももう安泰なものはない、国家を担う人たちでも安泰はない
国自体が崩壊するような危機に瀕するからだ
つまり資本主義は終わる、その時新しい生みの苦しみが起きる、それは新しいものが生まれ作るための苦しみなのである

「人間は幼いときから悪をおこなう」(創世記8章21節)

ノアの時代、地上に創造した人間たちが堕落していったのを見た神は、すべてを滅ぼすことを決心した

その時すでに悪がカルマが積もり積もっていたのである、そうならざるをえないのが人間だったのである
それは一人の例外もないのである、そして再びノワの洪水並みの天変地異が起きる
人類がそういう時期にきている、グローバル化とは人類の平和を促進することでもない
悪でも世界規模で実現してくることでもある、多国籍企業などでも世界を舞台にして環境破壊するし世界の貧乏な国を搾取しているのである、つまりグロ−バル化とは世界規模で何か大きな破局が起きることでもあるのだ
そもそも第一次第二次世界大戦もそういうグロ−バル化のために起きた、その前はそんなことがない、日本だったら鎖国で300年戦争していないからである、グロ−バル化とは何かいいように見えても世界的破局をもたらすものともなるのだ
貿易戦争がそうである、貿易の面で国と国が助け合うとういう面があっても熾烈な経済戦争になりまた戦争になる
だから現代では何でも世界規模で大きな事件となり破局が人類的にもなり遂に人類滅亡の危機になる
それは別にSFの小説ではない、現実なのである

自分自身にも起きたことは何か自分のカルマでありまた人間がもうモラルもなにもない、金しかない、人とは金でしかない、情もなにもなくなっている、金のためには人を殺してもいいとまで普通にみんなそういう心情になっていることが怖いのである
そういう地獄人間が今やこの世を形成しているのである、そんな社会が平和でありうるのか?
だからこそ自分自身にもそういう人達が弱った時襲いかかってきたしそれはまた自分が積んだカルマの結果だったともなる
カルマとは別に自分が悪いことをしなくてもいろいろなことで積んでいるのである
知らないでも積んでいて苦しみとなって現れたとき自覚するのである
私は何も悪いことをしていないと私の家族が言って死んだ、それは何かみんな私は悪いことはしていないと死ぬとき言う人が多いのである、そのこと自体最後に死ぬとき罪の呵責に悩まされているからそうなったのだと思う

そうして認知症などという訳のわからない病気になるのも人間のカルマの結果だったともみる
認知症になるといくら優秀な人だとしてもあらゆるものが崩壊する、もう人間でくなったのかという恐怖を味わったからである
そういう大きなカルマが最後にくること自体、人間のカルマがいかに大きいものか最後に苦しみとなって現れるかを如実に示しているのだ、もうカルマから逃れようがないのだ、人間は幼い時からカルマを積んでいかるらである
生れたのもなにかしらカルマがあって生まれたとなる、カルマを清算するために生まれたともなる
なぜなら人間が苦しみなく終わることがないからである、どんな裕福でも病気になったり死ぬから同じだとなるからだ
そういうことでは平等だからである、つまりカルマから逃れられないの宿命なのである
科学技術すらカルマと関係ないようでも人間のカルマなのである

技(わざ)は災いに通じているからだ、科学技術が破局的なものをもたらすことは原発事故で証明されたからである、核戦争が人類を滅ぼすこともありうるからだ
最後に人間は業を尽くしてハルマゲドンの最終戦争で滅びる
つまり人間の業(カルマ)はそのくらいのことがない限り消滅することがないのである

大難を得て罪障消滅するー日蓮

これも個々人にあてはまるし人類全体にもあてはまる

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