2019年05月11日

人間はなぜ関心をもたないのか? (原発でも自分に危害がない限り関心をもたなかった―報道は関心もたせること)


人間はなぜ関心をもたないのか?

(原発でも自分に危害がない限り関心をもたなかった―報道は関心もたせること)

人間はなんでも自分自身に家族でもまたその住んでいる場所でも何か危害あり不便を直接感じないと関心を持たない
なぜ今駅のことで書いたが鉄道を人々があまり利用しないからである
だから駅が自動化されようが何になっていても関心がないのである
そこでボランティアしても必要がないとなる
JRでそんな余計なことをするな、地元の人も必要がないとなり誰も注目もしないのである
でも車社会になると常に車のことに人々関心をもっている、どういう新しい車が出たとか高速道路の方が鉄道より関心がある、だからもっと道路を便利にしろとなる
常磐高速の4車線化を要求している
でも鉄道になると一時間おきでは不便だから30分おきにしろといってもそもそも乗る人も少ないし不便を感じないから要求もないのである
ただ遠くから来る人は一時間おきだと不便となるがそれで遠くから来ている人は日常的に利用していないからそれは要求とはなりにくいのである

近くのゴミ捨て場として網をかけている所でも烏につつかれて困った
ゴミが散らかったりするがそれで市に問いあわせたらゴミ箱は場所が確保すれば市で設置するという、でもその場所が確保できない
近くに最近そういう場所を発見した、でも近くの人に言っても関心がないのである
別に今の場所でいいと思っているからみんなの切実な関心がない
もし何かもっと切実なものとしてあればみんな関心をもつ

人間は切実なものとならない限り関心をもたない

人間はなんでもそれが自分の身に降りかかり切実なものとならない限り関心をもたない
鉄道でもなにかぎりぎりで廃線になるとかなり存続しろとか関心をもつのである
でもその前はみんな車を利用しているし鉄道は利用しないのである
廃線となることで街が衰退するとか関心をもつ

それは人間自身が常にそうなっているのである、例えば体でも健康な時は体に関心をもたない、でも一旦病気になるとその病気に異常なほど関心をもち調べる
なぜなら生死にかかわるからである
でも考えてみれば体に関心をもたないときそれが平和な時だったのである
また犯罪とかに自分自身が会えば治安に異常に関心をもち警察に頼むとかなり警察に関心をもつのである、もし病気にもならない、犯罪もなければ医者も警官もいらない
実はその時こそ人間社会に平和があるとなる

でも関心をもたないことで非常に危険なことも起きてくる
それが原発事故だったのである
原発は本当に危険極まりないものだったのである
でも不思議に地元でも原発に関心をもっていなかった
私自身は30キロ離れていて遠いから関係ないと思っていた
その関心のなさがすでに小高地区に原発が建てる工事を東北電力で開始するところだった小高になるともう20キロ内にも近くになるし原町は10キロとかなるから危険極まりないが小高に原発を作ることで原町があれほど人口が多いし反対する人がいてもいいのにそうしたものも聞こえなかった
もちろんこれにはマスコミが危険だと報道しないことも原因だった
マスコミは原発のことで危険だとなど報道していない、原発推進であり広告費をもらっていたからである、それは大手のマスコミでもそうである

そうして原発事故には地元でもただ金をもらえるから景気が良くなるからいいとしかなかったのである
福島市とか二本松とか白河まで放射性物質が流れて影響されるとは思えなかったのであるそれもつくづくカルマだと思った
福島市には県庁があるからだ、だからその時福島市の人たちも原発は遠いから関係ないし誰も関心をもたなかったのである

こうして関心をもたないことは重大な事故や被害をもたらす
津浪にしても2011の震災の7年前とかにスマトラで津波があり大被害があった
でもその時日本とは関係ないと見ていた
なぜなら日本では津波を経験している歴史があるから津波対策しているからスマトラとは違うと国民も見ていたのである
その後にこれだけの大地震と津波に襲われたのである

人間の弱点は自分に直接危害が起きなければ関心がないのである
何か自分自身にとって不便なことや危害があったりしないと関心がない
そんなこと自分には関係ないとなっているのである
それはあらゆることでそうである
鉄道を利用しないものは鉄道に関心がないのである
私自身は鉄道に関心をもったのは鉄道で長い間旅していたからである
遊びでも鉄道を利用していたからである
これが車で旅していたら鉄道には関心がないのである

ただこの関心がないということが上からの為政者とか支配者には好都合なのである
そこで重大なことは見逃される、すると原発でも容易に作られる
実際は原発建てる土地を買収して県の許可がおりるだけで原発は建てられたのである
ここでは誰も反対していないのである、ここで関心があったのは金とか景気が良くなるとかしかなかったのである
だから小高に原発を建てる工事がはじまるのにそれすら10キロくらいしか離れていな原町ですら知っている人がいなかったのである
つまり原発に関心がほとんどなかったということなのだ
それがこれだけの事故になり関心をもつようになったのだが時遅しとなったのである

人間の弱点は自分の身に及ばない限り関心をもてない

そのことが重大なことにいつのまにか発展している
例えば体でも実際は病気になる芽がある、でもそれに気づかない、そしていつのまにかもう手遅れだとかるなる、早期にその芽をつんでいれば病気でも直ったとかもっと延命できたとかなっている
でも人間は病気になってはじめてその病気に異常に関心を持つ
原発など核のことなど普通はめんどうだから調べもしないのである
それでも一旦こんな事故になると科学のことはわからないにしろ関心をもつのである
つまり病気と同じく生死にかかわるからである
残念ながらその時関心をもってもすでに時遅しとなっていたのである
それは人間社会には常にそういうことが起きているのだ

ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。
 それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。  

こういうことはローマ時代からあった、「パンとサーカス」なのである、パンとか金であり馬鹿な大衆にはパンを与えればいい、サーカスはマスコミとかのテレビで芸能人の馬鹿騒ぎを見せていればいい、あいつらは原発のことなど何もわからない
あいつらが欲しいの金だから金をばらまけばいい、テレビとかの害悪は何か政治的問題でも重大なことがあっても真剣に検討されないのである、それは大衆が国民が無関心だからである、いくら大衆が馬鹿でもこのように故郷にも住めなくなったら関心をもつからである、でもその時はすでに時遅しとなっていたのである
それは歴史では常にあったことである

結局自分の身に危害が及ばない人間は無関心なのである、体でも病気にならない限り無関心である、それはいいことなのだが人間は誰しも病気になるから病気に本当は無関心でいられない、認知症などについて無関心だった
でも家族の一人が認知症になったとき無関心ではいられない、関心をもちなんとか対処しようとする、それは強いられてそうなったのである
結局いくらグローバルな情報社会になっても何かあってもあらゆることに興味を関心をもてない
ただ本当に重大な原発のようなものにはもっと関心をもつべきだった
それをマスコミでも地元の新聞でもしていない、報道は関心をまずもたせることなのである
ニュースでもそうである、重大なニュースでも報道されないことがあるからだ
それでインタ−ネットでyoutubeなどで個々人が報道されることはいいことである
非正規の派遣労働者の苦境を語る人には共感したりしたからである
そういうことはマスコミではとりあげてもそうした苦しんでいる本人に語らせないからである

posted by 老鶯 at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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