2019年05月27日

責任をとれない人には何でもまかせるべきではない (あらゆることに責任がついてまわる)


責任をとれない人には何でもまかせるべきではない

(あらゆることに責任がついてまわる)


この世の中は本当に責任が常に問題になる、だからこそ契約にこまかく責任はとりませんと書いてある、責任を明確にするために契約がある

ある人が組の会費集めとかまかせられた、組長で順番がまわりまかせられた
でもその人にはそもそもその責任を果たすだけのものがなかったのだ
福祉に世話になっているし貯金もなにもない、だから金を盗まれたとかなりそれは3万とかでも払えない、それで私の所に常に頼みに来る
最初から組長などできない、責任がもていない人だったのである
私の組では一人暮らしの人は組長にならなくてもいいか助かる
金があづかるとなるとめんどうになる
数万の金でもない人はないからなにかあったら責任がとれないのである
だから責任がとれない人にはまかせるべきではないのだ
別に断ってもいいのである、そういう事情がありそれを押し付ける方も問題だとなる

とにかく何かこの責任問題をいろいろ自分の一身上でもそうだが問題になった
介護になってからあらゆることで自分は責められる立場になったのである
それから津波や原発事故でも責任が問われた
特に原発事故では責任が重く問われた、「安全神話」で事故は起きないとしていたのに大事故になりとりかえしのつかないものになった
その責任はどうとれるのか?誰もとっていないともなる
もし事故起こしたら切腹してますとか契約にでもあったらまた財産は没収されますとかでまかされたらそれなりに責任とるのだから「安全神話」を信じてもいいのかとみる
実際は誰も責任はとらないのである

地銀にしても

私はプロですからまかせてください

ではどういう責任をとるのですか

株とか投資信託はいろいろなことで変化しますから保証はできません
すべてお客様の責任です

ではなぜプロですからまかせてくださいと言うのですか?

・・・・・・・・・

それならそれで損することもあることを明確に説明すべきです
そうして客に判断をゆだねる
説明責任がアカンタビリティがあるというのは本当である
責任の中に説明責任が明確にある
すべてまかせてくださいとなれば客は何もかかわる必要がないのである

「私は株のことや投資信託は全く知りません、あなたがプロというのでまかせます
私は忙しいしいちいち株のことなど調べることも株の上がり下がりとか投資信託の利益がどうなっていんるのか見ていられないのです
だからプロの方におまかせしたのです」

「そういうことなら私たちプロですからおまかせください」

こういうふうになっても全く地銀でも損しても責任は一切とらない
地銀は百パーセント損することはない、手数料が確実に入るのである
そして何か売り買いするとまた手数料が銀行に入る絶対に損しない責任もとることがない商売だったのである

「もしお客様損するようなことがあればこちらでも分相応の負担はします」

こうでもなっていたら責任を分担してとるということで信用できたし納得できたのであるそもそも何も責任をとらないのだから信用できないとなっていたのである
そしてでは株でもなんでも知らないものはかかわるなともなっていた
素人は怪我するからかかわるなともなっていたのである
そもそも経験も知識もないからである
ただリーマンショックの時もっていた株が上がった時投資信託に回したのも分散投資しておけばいいのに地銀の儲けだけを営業の人はノルマを果たすだけにそうしたのである
でもなんであれこ一切地銀は責任はとらない、だから最初から何の責任も取れない人は信用してなてらないしまかせるべきではなかったのである

なにかこういうことは社会の中で常にあるから保証人問題があり保証人がない人は信用できないとなるし後ろ立てがないものは信用できないとなる
何かまかせるにしてもその人だけを信用していたら金を貸す方でも部屋を貸す方でも大損するからである
だから契約して責任を明確にしていないと後で大けがをする
だから何かと社会は責任を恐れるから契約をする
駅の高校生の見守り役でも駅の業務をしないと契約しているのはJRの方に責任が回ってくることが恐れているためかもしれない、駅の業務をJRが頼んだとなる何かあるとJRに責任が問われるからである
それで私が書いた時刻表でもルールであり何かで問い合わせとか来たりして責任をとらされることが嫌だから断ったとなる

つまり人間社会ささいなことでも常に責任を恐れるのである
それも責任をとらされることを恐れるからそうなっている
ただ責任を明確にして責任をとらないものには任せるべきではない
その任せた方が実は責任が問われているのである
それは原発でもそうである、なんであれ東電と国に原発を建てることで合意してまかせた時点で責任が今度は地元住民と福島県民とかさらに日本国民まで責任をとらされたのである、国民が関係ないとはならない、莫大な廃炉費用が税金として国民からとられるからである、責任は何かあったら広く波及してくるのである

合意したことはどちらにも責任がある  

説明責任→合意→契約→責任

こういうことになる、だから合意には双方が責任があることを明確にしたものだとなるそうしたら簡単に合意はできないともなる
責任が問われるし責任が課せられるからである
だから合意の契約するときは慎重になるしその重みを感じてすることになる
責任をとらされるものとして合意するからである
交渉とかでも説明責任が重要になる
説明したとしても専門的なことだからわからないとかいっても一応説明はされるべきなのである

このシステムには最終的な「説明する責任」がない
日本がで最も力をもっている人たちと、公式に民主主義国家である以上は主権者である普通の人々の間の政治的コミ二ケーションを可能にする機構がない
権力者がある政策について人々にきちんと説明し、人々が別な政策について権力者に一般的な方向付けを与える
官僚たちは何をしているのか、なぜそれをしているのか、人々に伝えず、人々は「公僕」たちが何をすべきか、官僚たちに伝えない、政治家は信用されずその役を果たしていない(
日本を幸福にしない、日本がというシステムーカレル・バアン、ウオルフレン )

民主主義ではめんどうでも説明する責任が重要になる、とにかく相手が素人でも説明はすべきだとなる、そして責任を明確にすべきである
そうしたら投資信託など誰もしなくなる、だからこそ明確な説明はしないししてもわからない仕組みになっているのである
ただそれだってやはり説明責任がある、そしてまかせる客も合意したとなるのだからわからないにしろ責任だけはとらされるのである

だからわからないならやるな、まかせるな!

こうにもなる、責任は必ずとらされる、誰かがとらされる、原発でも合意したから責任は地元の人も故郷に住めなくなる責任をとらされたのである

そして組長をまかせられて金をあつかうとなると責任が生じる、わずかな金でもその人には貯金もないとしたら何かあったらどうするのか?
その責任がまわりにくる、それがいつも自分自身なのである、必ず金を払っているからだそうなるとそんな責任をとらされることはやるなとなる
また周りの人もやらせてはいけないのである
こうして人間は常に何かしら誰かが必ず責任をとらされるのである



posted by 老鶯 at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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